「アイリーンに捧ぐ」著者:村田朋博
1915年、アルベルト・アインシュタインは、宇宙を記述する方程式を完成させた。人類史上もっとも壮大にして神秘的なその方程式は、この宇宙がただそこにあるのでなく動的であることを示唆していた。
そう、138億年前、原子よりも小さく、溶鉱炉よりも熱い――直径10‐35メートル、温度1030度の――まさに灼熱の火の玉が突如爆発を起こし、今につながる膨張を始めた。
宇宙創成の瞬間から月日は流れ、さしわたし500億光年に成長した時空は、摂氏マイナス270度の電磁波で満たされている。宇宙はとても寒いんだ。
今も加速膨張を続ける宇宙はいつかの時点で生物が存在しえない温度まで冷やされ、熱的な死を迎える。
コップに注いだ熱い珈琲も、大きな器に移せば冷える。それと同じだよ。
僕たちはその熱的死の過程を生きている。
*
その日の朝、僕は浅い眠りの名残りを残したままテレビを眺めていた。
神社に出向いたレポーターは、もうすぐ開花、今年も待ちに待った春ですねと伝えていた。レースのカーテンの向こうでは陽光降りそそぎ、小鳥が鳴いている。ベッドから聞こえる寝息は安定し、握る掌も温かい。初春の長閑な朝だった。
しかし、朝とは違う午後だった。
ディスプレイ上で弱いけれど規則正しく振動していた緑色の波が、平坦になった。
呼応するかのように規則的な電子音も息をひそめ、世界から音が消えた。
せわしなく動いていた白い人たちの動きが一瞬とまった。
誰かが宇宙の一時停止ボタンを押したようだった。
煙突からたちのぼる、春の空には似つかわしくない薄い灰色の煙も、なんだか他人事のようだった。あの煙にはどれだけの数の粒子が含まれているのだろう、どれだけの時間で成層圏に達するのだろう。そもそもこの宇宙にはどれだけの粒子があるのだろう。そんなことを思った。
優しい人たちが次々と声をかけてくれたが、涙など出なかったし、どんな感情もなかった。一年かけて準備ができていたのかもしれない。ただ何かが欠落した、そんな思いだった。
長い車が響かせたクラクションの音は時間をかけて宙に拡散していった。
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世界が和紙に包まれた曖昧な二週間が過ぎて、以前と同じ生活が始まった。
朝目が覚めてシャワーを浴び電車に乗り、大学ではまだ高校生のような学部一年生の他愛のない質問に答え、実験と計算をいくつかこなし、気まぐれな教授の相手をして、アルコールと化粧がない交ぜとなった猥雑な匂いがする電車にのって帰宅した。
疲労も喜びも怒りも彩も何もない淡々とした毎日だった。
大学までの行きかえり雑踏の中にいると、人々の輪郭がおぼろげで影絵の中に紛れ込んだように感じた。綿菓子が敷き詰められた地を歩いているかのような浮揚感があった。月面の宇宙飛行士はこの浮揚感を感じるのかな。月の重力は地球の重力の1/6って言うよね。
急ぎ足の人たちは僕を追い抜いていく。流れを乱す僕にぶつかった若い女性は、目を吊り上げ舌打ちをして通り過ぎていった。どうしてそんなに急いでいるの。138億年の月日の後に。
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一日休みをもらって、二週の間には行けずじまいだった、役所へ届け出に行った。
地下鉄の地上出口を出ると脇に幹線道路が走り、その高架には高速道路が走っていた。おかげで昼間なのに薄暗い。付近案内図を確認して歩き出した時、ブレーキが軋む音がし、直後に大きなクラクションが響いた。
頭上からだった。高速道路を見上げたその時、僕は眩暈がした。この春までは気にもしなかった灰色で巨大な構造物。ところどころに時間の経過を象徴するひび割れが走っている。この巨大な構造物は何だろう。何のために存在しているのだろう。
僕は近くにあった道路標識にもたれかかり両目を強く閉じ深い呼吸を繰り返した。平衡感覚が回復するのを待って歩き出した。100年前嘔吐されたマロニエのように、巨大な灰色は変わらずそこにあった。
役所は平日なのに混雑している。番号札139番が呼ばれ、窓口で「名前を確認させてください。長谷見さんですね?」と言われ、僕は戸惑った。ハセミ?僕はハセミと言うの?紙面に書かれた「長」「谷」「見」の文字を眺めていると、意味のない線の集合のように見えた。
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五月晴れのお昼時、頼りないと思っていた学部生が気を遣い、今日は早帰りしてゆっくりしたらどうですかジムでも銭湯でも映画でも、ほら田中教授も出張だし、と言ってくれた。僕は甘えることにした。
大学前から西行きのバスに乗った。信号とバス停で止まり走り出しを繰り返すバスの中は時間がゆっくりと流れ、温かな日差しもあって、僕は微睡を繰り返した。
小一時間ほどでバスは終点、郊外の緑豊かな寺院に着いた。1000年を超す歴史を持つ荘厳な古刹だ。門前で軒を競う蕎麦屋さんの多くは暖簾を下ろしていて、昼時を終えて一息つく時間のようだ。
茅葺が美しく切り揃えられた山門をくぐり、石畳を歩く。山門と本堂の間にある焼香場からゆるく煙が立ち上っていた。本堂は背後の丘に、その丘は蒼い空に抱かれていた。
時間をかけてお参りを済ませた後、本堂右手の池の脇の石に腰かけた。池では数十匹の鯉の泳ぎがゆるやかな水流をつくり、時に水面を揺らした。
見上げると蒼い空が広がっている。雲も何もない空は基点となるものがなく、その奥深さが実感できない。
この空は今も膨張しているのだ。そして少しずつ、でも確実に、体温を下げている。
空を眺めていると、緑の波形、白い人、灰色の構造物が繰り返し浮かんだ。それらを何度も何度も振り払った頃、乾いた風が吹いて、蒼い空に白い花が舞った。
その時だった。堰を切ったように涙があふれたのは。
それはあまりにも突然でそしてあまりにも激しかった。
止める術などなく、自分の意思とは関係なく、ただ流れ落ちた。
一年前、この石に、丸みをおびた大きなこの石に、二人で座っていた。
地面に舞い落ちた一枚の花弁。
綾は大切に拾いあげて僕に教えてくれた。
ほら見て、なんじゃもんじゃの花。白くて細くて可憐でしょ。昔の人は、大きくて風格のある木に出会って畏敬をこめて「なんじゃもんじゃ」って呼んだの。面白いよね。未知のものへの敬意がまだあった時代よ。本当の名前は「一つ葉田子」っていうの。ヒトツ・タバゴ? あらら、違うよ、ヒトツ・バ・タゴ。春から夏に変わるころに純白の花を咲かせ、そしてすぐに散っちゃうのよ。儚いよね。
風はやんでいた。季節はすぐに新しくなる。
僕は、大地に落ち動かなくなった花をみていた。
動かくなくなった波形をみていた。
村田朋博(東京都大田区/55歳/男性/会社員)