「朱色の名残」著者:松本利江
戦時下で多くを我慢しなければならない日々、生活の中から色というものが全て失われてしまったようだった。そんな中、母がせめてとの思いで下駄箱の上に小さな鉢植えの鬼燈を飾ったが、その鬼燈にも時局が分かっているのか、遠慮がちにひかえめに朱く色づいているように見えた。
私は玄関の上がり框にもんぺの膝を抱えて座り、暗い世の中で唯一そこだけに明るい色がついているように見える鬼燈を眺めながら、戦争が始まってから夏祭りはずっと中止だし、何でも贅沢だと言われる今はお気に入りの浴衣さえ着られないと思うと、つまらない気持ちでいっぱいになった。だけどそれも日本が勝つまでの辛抱だと思いなおしていると、玄関の引戸に嵌め込まれた乳白色の摺りガラスの向こうに男の人の姿が黒い塊のように透けて見える。その人は引手を引くのをためらっている様子だ。
この春に兄が召集され出征していたので、その黒い塊のような人影を見た時、私たち家族が最も恐れている知らせの配達ではないかと一瞬にして私の心に不安が覆いかぶさる。それは出征兵士を出している家族なら一番恐れていることだ。
私はどなたですかと問いかけながら三和土に降り、震える手でゆっくり玄関戸を引くと、ギリギリギリと私の不安な気持ちを細かく挽くような音がした。
戸の向こうには兄と同年代の見知らぬ軍服姿の背の高い男の人が立っていた。片手には軍帽、もう一方の手には私が書いた手紙を持っている。
「あっ、私の手紙」私はその人の手の中に自分の手紙があるのを見て驚き、思わず大きな声を出してしまった。その頃私は国民学校に通っていて、半年ほど前に授業で外地で戦う兵隊さんを労う手紙を書いて送った。その手紙はどの兵隊さんに渡るかわからないが、春に出征した兄のことを思って一所懸命優しい言葉で綴った。しょっちゅう喧嘩ばかりしていた兄だが、いざ離れてみると寂しかった。その手紙を目の前の人が持っている。
「私は○○師団のSと申します。驚かしてしまって申し訳ありません。先週まで外地におりましたが、その時に頂戴したあなたからの手紙を読み、お礼を申し上げに伺いました。あなたの相手を気遣う優しい文面に亡き妹のことを思い出し、隊に戻る前にどうしても会ってお礼が言いたくなりました。軍の決まりで詳しいことは言えませんが、内地に戻って数日間の休みをいただき、故郷にいる祖父に挨拶をして、これからまた隊に戻るところです。不躾にも急にお宅まで来てしまい申し訳ありません」
Sさんはそう言いながら私の方に少しかがんで顔を近づけ笑った。そのSさんの澄んだ目と私の目が合った時、下駄箱の上の鬼燈の朱色がさっきよりも色づいたように見えた。
Sさんと私の会話を家の奥で聞いていた母が玄関まで出てきて「うちに上がってほしい」と言いながら遠慮しているSさんの後ろに回り込んで背中を押した。
「失礼ですが、お母様は私の亡き母にそっくりだ。まるで家族が皆元気だったころに戻ったようです」Sさんの声が少し涙声に聞こえた。
それを聞いた母も涙ぐみながら「うちにも出征中の息子がおります。さあ、むさ苦しいところですが上がってお茶でも」と、遠慮しているSさんを子供を気遣う母親の優しい強引さでどうにか茶の間に連れて行く。
Sさんが緊張した面持ちで座ったところで、ガラガラと勢いよく玄関戸を開けて父が仕事から戻って来た。玄関に揃えられた軍靴を見て兄が戻って来たと勘違いしたのか、兄の名前を呼びながら「休みで帰ってきたのか」と、嬉しそうに弾んだ大声で言いながら足早に茶の間に入って来た。
しかし見知らぬ軍服姿の男を見て急に強張った表情になり、兄に何かあったのか不安げに問いかける。Sさんが丁寧な挨拶をして事情を説明したところで父が言った。
「まだ少し蕎麦粉が残っているはずだ。深大寺の蕎麦屋は兄が継いで、今のわしは工場勤めだが、わしだって元は蕎麦屋の子、門前の小僧なんとかで蕎麦打ちはお手のもの。今日はうちの息子になったつもりで遠慮せずに食べて行ってくれ」
Sさんは、この食糧難の折にと頑なに遠慮していたが、父はすぐに台所で蕎麦を打ち始め、調子のいい音が響いてきた。
久しぶりに家族全員が揃って食卓を囲んでいるようで普段でも美味しい父の打った蕎麦が今日は格別に美味しい。Sさんも、うまい、うまいと、頬張っている。
Sさんは両親と妹を相次いで亡くし故郷で祖父と二人暮らをしていたが、招集される前は都内の下宿から大学に通っていて、ずっと家族で食事をしたことがなかったそうだ。私達家族との食事がよほど楽しかったのか、玄関の前に立っていた時の緊張した面持ちから柔らかな表情に変わっていた。
父の面白くもない冗談にも笑顔で相槌を打ちながら、私の隣に座って姿勢よく背筋を伸ばして蕎麦を食べるSさんの凛々しい横顔に私の目は釘付けになってしまった。両親は兄が帰って来たようだと喜んでいたが、少しませたところのあった私は恋人を両親に紹介しているみたいだと心の中で想像して、なんだかとても恥ずかしかった。
食事の後、またいつでもいらっしゃいと言う両親にSさんは丁寧にお礼を言い、私には澄んだ目の優しい笑みを残して隊に戻って行った。Sさんは玄関を出てから何度も振り返り、その度ごとに長身を折り曲げて深々とお辞儀をしていた。私たち家族は玄関先に並んで立ち、Sさんの姿が小さくなって夕空の下に広がる深大寺の深い緑の中に見えなくなるまでずっと見送り続けた。
帰りがけにSさんが下駄箱の上の鬼燈を見て呟いた。
「いつかまたこの朱色の鬼燈が見たいな」
その声が今も私の耳のうちに残っている。
Sさんがうちに来てからしばらくして戦争が終わった。幸いなことに兄は戦後すぐに復員して私たち家族はまた全員が揃った。Sさんもまた来てくれるはずだと信じていた私は、季節が来ると玄関に朱色の鬼燈を飾り続けて待っていた。だけどそれが何回過ぎてもSさんが姿を見せることはなかった。大学に問い合わせてみることも考えたが、問い合わせてみて最悪なことを告げられると思うだけで悲しいし、また逆に帰って来ているのに会いに来てくれないのなら、それも悲しいと思い事実を確かめるのが怖かった。見知らぬ少女からの手紙にわざわざお礼を言うためにやって来た律儀なSさんなら帰ってきたら必ず挨拶に来たと思う。だから答えはわかっているようなものだが。
終戦から随分と長い時が過ぎて少女だった私も超高齢者になってしまった。
今でも鬼燈が朱色になる頃、緩い風が窓の乳白色のカーテンを揺らすと、その向こうにぼうっと黒い人影が見えるような気がする。それはいつしか玄関戸の摺りガラス越しに見た人の姿に代わる。その人が帰って来たのか、帰ってこなかったのか未だに確かめられない。今となってはたまたま私の手紙がSさんの手に渡り、ほんの束の間だったけど一緒の時間をすごせた偶然を幸福だと思う。あの暗くて色のない時代の記憶も薄れて来たが、二度と会うことがかなわなかったSさんの澄んだ目や凛々しい横顔の面影は、鬼燈の朱色と共に今でもあざやかに私の心に甦る。
孫があの頃のSさんと同世代の学生になり、最近、人生初の彼女が出来たのがよっぽど嬉しいと見え片時もスマホを離さず始終にやにやしながら連絡を取り合っている。その様子を見ていて、孫につい言ってしまった。
「今は会いたい人とすぐに連絡が取れて便利でいいねぇ。街にもきれいな色が溢れているし、どんな格好をしても怒られない。あぁ、私もこんな平和な時代に若い時分を過ごしたかった。あんたが羨ましいよ」
孫は耳の遠くなった私に聞こえるように大きな声で訊いてきた。
「じゃあさぁ、もし、ばあちゃんが若返ったとしたら、じいちゃんと一緒にどこへ遊びに行きたい?遊園地?それとも温泉?」
「そうだねぇ。お気に入りの浴衣を着て深大寺の鬼燈まつりに行きたいね」
「浴衣姿でじいちゃんとまつりか。ばあちゃん、かわいいなぁ。オレも彼女と鬼燈まつりへ行こうかなぁ」
相変わらず締まりのない顔でにやにやしている孫には聞こえないように小さな声で付け加えた。
「じいちゃんとじゃなくて、もちろんSさんと一緒にだよ」
松本利江(兵庫県宝塚市)