「蕎麦とエスプレッソ」著者:野平あまか
ふと閃いて出発したものの、もう三十分以上歩いている。軽く汗ばみながら、麻子(あさこ)は冷たい蕎麦に想いを馳せていた。とろろか、ぶっかけ。ほぼ二択だ。
よかった。まだ開いてる。深大寺通りの目当ての店に辿り着いたときは、二時半近かった。暖簾をくぐる前から決めていたはずなのに、品書きを目の前にすると心が乱れる。隣の席では、常連風の男性たちが勢いよく蕎麦を啜っていた。
「やはり独活は天ぷらがいちばんだね」年嵩の方が言い、もう一人も肯いている。
独活が入っているのか! ほろ苦い味わいは、麻子の大好物だった。この季節だけの魅力には抗えない。注文を終え、店内を見回す。冷蔵庫の上にエスプレッソマシーンがあった。赤いボディが、ひときわ鮮やかだ。重厚な梁が廻らされた和風の内装に、その姿は異彩を放っている。今どきは蕎麦屋でエスプレッソを頼む客が、いるのだろうか……。
「食事の後は、カッフェで〆ないとね。どうも落ち着かないんだ」
忘れていたはずの人の顔が浮かんできた。もしゃっとした髭に縁取られた口から、何度そのフレーズを聞いたことか。深緑色の目を輝かせ、日本が大好きだと語ったリッカルド。いつも旺盛な食欲で。どの料理もきれいに平らげた。けれど、いかなる時も、食後にエスプレッソを欲しがった。とはいえ、都心部でさえスターバックスも数少なかった時代。夕食後に、エスプレッソを飲むのは容易ではなかった。普通のコーヒーでは駄目なのだ。
「これはカッフェじゃない。イタリアだったら、ただの汚い水と呼ぶ代物だよ」 コーヒーカップを手にし、絶望的な表情でリッカルドは首を振るのだった。一度など、彼の求めるカッフェを探して京橋から銀座を抜け新橋まで歩いた。路地裏の外看板に「エスプレッソ」の文字を見つけた時は、麻子まで小躍りした。やっと、出会えたと。デミタスカップにわずかに抽出された濃いエスプレッソ。一杯、二杯、三杯。これでもかと砂糖を入れて、リッカルドはカッフェを堪能した。
つつじヶ丘の家にもしょっちゅう遊びに来た。とびきりの食いしん坊リッカルドに、母は張り切って家庭料理をふるまった。鯖の竜田揚げ、筑前煮、常夜鍋、ちらし寿司。とりわけ鰈の煮付けに添えた牛蒡を好んで「ボニッシモ」を連発した。あまりの賛美に、次から母は大きな鍋で準備し、牛蒡入りの煮凝りをタッパーに詰めて彼に持たせてくれた。
麻子も兄の信也(しんや)も食べる専門だったから、料理への興味が半端ないリッカルドに母は惚れ込んだ。「リッちゃん」「マンマ」と呼び合い、ふたりで出刃包丁を探しに合羽橋に行ったり、築地まで魚の買い出しに行ったりもした。実家にエスプレッソマシーンも出現した。仲が良かっただけに、母はずいぶん経ってからも思い出したように呟いた。「どうしてリッちゃんと別れちゃったんだろうね」と。
付き合っている間に、大学生だった麻子はメーカーに就職した。残業の多い部署だったけれど、仕事の面白さに目覚めた時期だった。
「会社ばかりで自分の時間がないじゃないか」リッカルドはすごい剣幕で怒っていた。上司に直談判する勢いで。母国の研究機関で働く彼を宥め、日本社会の掟を説明した。何度も話し合ったけれど、私たちの溝は埋められなかった。あれからいくつかの恋と短い結婚もしたけれど、麻子はひとりだ。
母が独り暮らしの室内で転倒したのは、梅の花がほころび始めたころだった。天袋にしまった雛人形を出そうとして、踏み台から落下。全治三か月の骨折で、三鷹の病院に入院している。仕事が休みの週末に麻子は病室を訪ねる。行ったところで何ができるわけじゃないけれど、話し相手になればと思って。
「今日は疲れた。もう帰っていいよ」麻子の前に近所の友が見舞いにきて、おしゃべり欲が満たされているらしい。手土産のプリンを瞬く間に食べると、母は目を瞑ってしまった。
つれない態度に、麻子の気がおさまらない。都内の東側の住まいから、はるばる電車とバスを乗り継いでやってきたのだ。貴重な休日。もう少し寝ていたかった。こんなことなら……。母は何も悪くないと分かっていても、もやっとした。このまま一時間以上かけて帰るのもしゃくだった。思いあぐねていた時に、閃いたのだ。深大寺でお蕎麦を食べよう、と。我ながら、グッドアイデアだった。子どものころ家族で通った店がある。ここから、そう遠くないはずだ。しばらく、美味しい蕎麦とはご無沙汰だった。遅いお昼に、ぴったりだ。緑の境内を散歩したら、気持ちも晴れるだろう。むくむく元気が湧く。
グーグルマップを頼りに歩き出したものの、深大寺は麻子の記憶より遠かった。四月だというのに、陽射しがきつい。信号待ちのたびに、現在位置を確かめる。まだまだだ。弾む気持ちがしぼんでゆく。着いたら何を食べるか、それだけを考え歩き続けた。手打ちの二八蕎麦のつるっと爽快なのど越しを想うと、涎が出る。ストレートにざると言いたいところだが、これだけ歩いたのだから、少しプラスしたい。ならば、とろろ。いや、この暑さなら、納豆と大根おろしのぶっかけもいい。
「ごめん。冷たいパスタなんて、僕には無理だ」
あれは、松本だった。リッカルドと初めて旅をした時のことだ。信州の蕎麦を味わってもらいたくて、麻子が調べに調べて選んだ店だった。
「シンプルなざるがね、いちばん蕎麦本来のおいしさが分かるから」
麻子がいくら薦めても彼は譲らず、温かいきのこ蕎麦を選んだ。リッカルドにとっては、蕎麦もうどんも、ラーメンもみんな等しくパスタなのだった。熱い一皿なのだ。麺類はすべからくパスタと考えるリッカルドにとっては、冷たく締められた蕎麦なんて、まさに論外というわけだった。麻子が運ばれてきたざる蕎麦の繊細な風味をどんなに力説しても折れなかった。未知の食べ物には常に興味津々なのに、あの日は味見すら拒んだのだった。
その後も何度か一緒に蕎麦屋で食事をしたけれど、彼の強い信念は覆らなかった。品書きに目を走らせはするものの、僕はあったかい蕎麦にするよと。
「蕎麦粉を使ったパスタだ。アルプスに近い地方の名物だよ」とリッカルドがカラフルな箱を差し出したシーンも甦ってきた。ピッツォッケリという名の乾燥パスタ。年末にミラノに里帰りしたお土産だった。箱を開けてみれば、きし麺ほどの太さの短いパスタがランダムに入っている。全体に黒っぽく、まさに田舎蕎麦の色をしていてた。 実家のキッチンでリッカルドが作ってくれたのは、定番のピッツォッケリ。ちりめんキャベツとジャガイモと一緒に茹でて、バターとたっぷりのチーズで和えたものだった。グラタンのような一品は、クセの強いチーズが主張して、すこぶる濃厚だった。
「これが同じお蕎麦なのね。所変わればねえ……びっくりだわ」言いながら、母はゆっくり味わっていた。リッカルドは静かに見守っている。日本蕎麦みたいに、するすると胃に収まるジャンルの料理ではない。こってりとしたピッツォッケリを流し込むように、麻子は赤ワインをぐびぐび飲んだ。ざらっとした蕎麦粉特有の舌触りだけ、覚えている。
「お待たせいたしました」ふわっとした声に、我に返った。
麻子と同年代の女性が、天ざるを運んできた。海老が二本、茄子に南瓜、葉を広げた独活。からりと揚がった天ぷらが並ぶ。まずは、蕎麦をひと口啜る。このコシだ。 記憶と違わぬ味に、思わずにんまりした。歩いてきた甲斐があった。
「クミちゃん、ありがとう。そういえば最近見ないけどリサちゃんは? もう、大学三年だったっけ?」お茶を注いで回る女性に隣席から声がかかる。
「そうなんです。三年なのに就活もしないで、この夏からアメリカに留学するって……」
「若いうちに世界を見といた方がいいよ。でも、旦那がさびしくなるねえ」
「ホントに、そっちの方が心配です」隣席の二人とクミちゃんと呼ばれた女性が、声を合わせて笑った。しょっちゅう訪れている客のようだ。ひとしきり世間話が続く。物腰の柔らかいクミさんが女将さんで、旦那さんが蕎麦を打っているらしい。
グォッホホ。グォッホホ。グォッーホ。
厨房から大きな笑い声が響いてきた。クミさんらしき声が続く。
「リッちゃんたら、食べすぎ。これ以上お腹が太くなったらもう入るズボンがないでしょ」
グォッホホ。グォッホホ。グォッーホ、ホッ、ホッ。麻子は確信する。紛れもない。リッカルドの笑い方だ。くしゃくしゃ顔で肩を揺らしているはずだ。
冷たいパスタを断固拒否したあのリッカルドが、蕎麦屋の主になっているなんて。まさか、今でもあったかい蕎麦オンリー? そんなわけないと、麻子は知っている。 クミさんのあの屈託のない声を聴いたら。冷たい蕎麦を受け容れるようになったリッカルド。
ふいに気づく。それでも、食後のカッフェは欠かせないのだ。企みが生まれ、麻子は愉快になる。外出許可が出たら、母をここへ連れて来よう。おいしい蕎麦を食べ終わったら、すましてエスプレッソを注文するのだ。
野平あまか(東京都杉並区/57歳/女性/自営業)
