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「ものや思ふと人の問ふまで」著者:江原間

「明日でもいいから」義母の危篤を伝える千佳もこの天候を心配していたが、妻の心細さと義父母のことを思い、洋介は二時間あまり暴風雨の中、車を走らせ続けた。
午前零時を過ぎ、調布インターを降りたところでラジオから台風通過の知らせが流れ、途端に弱まる素直な雨に、洋介は苦笑いしながらワイパーの速度を落とし病院へと急いだ。

岡島信子と書かれた505号室に入ると、義母の手を握る千佳と、妻の髪を撫でる義父の姿が見える。目を上げた義父に会釈しながら、洋介は千佳の肩に手を置き、目を閉じたままの義母に挨拶した。その三十分後の午前一時七分、義母は意識を回復することなく、六七歳の生涯を終えた。義父の作ったそばがきを最後に食べてから二日後のことだった。

「さすがは信子先生。みんな来てるよ」
高校で古典教諭を勤めた義母は多くの生徒から愛されていたのだろう。教え子らしき若者達が道に溢れ、メモリアル調布の前で軽自動車が1台、道を阻まれている。職員に促されて道を開ける彼等の声を後に斎場に戻った洋介は、葉書半分程の大きさの紙を一枚、棺の中に忍ばせる義父の姿を目にした。
最後に義母に渡したのは、彼女が趣味で作っていた百人一首の札であろう。千佳も見ていたのか「歌を入れていたね」荼毘に付される間、悲しむ間もなく続いた親戚の相手に疲れたのか、いつもより白い顔で呟いた。
「二人だけの符号だろうね」
高く上った陽を見上げながら、義父母の過去に思いをはせ、二人は心から冥福を祈った。

遠く、小さな深大寺の緑を眺め、信子は点滴の痛みに顔をしかめた。不思議と日を追うごとに死への恐れは薄れていく。替わって夫と過ごした日々、それも楽しかった出来事だけを思い出すことが多くなった。それが、自分の終わりが近いことを確信させていた。

信子が初めて深大寺を訪れたのは調布西高校に入職した二十三歳の時だ。調布出身の、当時は珍しい髪をベリーショートにした同僚から「四代目が良い男なの」と案内された蕎麦屋で信子は初めてそばがきを食べた。関西出身の信子に蕎麦は馴染み薄だが、初めて食べたその香りと味は今でも覚えている。それから休みの度に通い、必ず注文した。
「清流」藍に白く染められた幟が新しくなった今も、その味は変わらない。
「お嬢さん、よっぽどお好きなんですな」
店主とおぼしき年配の男性がうちのそばがきはこの辺りで一番だと自慢していた。
けれど、他の店を知らない信子にとっては、何番だろうと良かった。
「あれが作っているんです」店主が向いた先に見えた、口を真一文字に結んだ男に、何かを予感させる気持ちが大きかったから。
勝茂と呼ばれた四代目は不器用で分かりやすい男だったと信子は思い出し、西日が差し込むベッドの上で微笑んだ。

人生なんて些細なきっかけで変るものだ。師走のある日、店を出ると雨が降り出した。
「これを使って下さい」傘を差しだす勝茂が
「深大寺の初詣に行ったことはありますか」うつむき加減で信子を誘ったことをきっかけに二人は時々会うようになった。人で溢れる参道で、はぐれないようにと繋いだ手が寒さの中で汗ばんでいたことを信子は忘れない。
二人を引き合わせた同僚の退職が、それから間もなくだったことも。

「結婚記念日にはそばがきを作ります」信子の作った弁当を神代植物公園の藤棚の下で食べた春。突然の言葉に、信子はそれが求婚だと気づくのに時間がかかった。結婚記念日にそばがきとは、そう思って吹き出しそうになったが、その不器用な真摯さに「美味しいのをお願いしますね」と卵焼きを取り分けながら微笑んだのは、だるま市の日のこと。
あれから40年以上、本当に毎年そばがきを出す勝茂には娘の千佳も呆れていたが、信子は忘れずいてくれることが何より嬉しかった。ほとんど食事を摂れなくなったが、昨日見舞いに来た夫にそばがきが食べたいと我儘を言った。おそらく彼は、いつもの器に入れて持って来てくれるだろう。台風が近いとのニュースを聞きながら信子は目を閉じた。

「今日も熱くなりそうだ」台風の九州上陸を伝えるテレビを消した勝茂は、いつものように店の前を掃除した後、これも欠かさない元三大師堂へのお参りのため店を出た。
深大寺には水神である深沙大王が祀られていると言う。最近では縁結びの寺として若者に人気らしく、早朝にも関わらずカメラを手にした男女の姿が目に入る。
妻の肝臓にガンが見つかって以来、以前より手を合わす時間が増えたが、どうやら水神様の力も今度ばかりは及ばないらしい。勝茂は恨めしそうに本殿を見上げた。

店に戻り、そばがきを作る準備をしている勝茂の手元を従業員達が不思議そうに見ている。最近、厨房に立つことの減った店主が朝から何やら始めたのが気になったのだろう。
「奥さんにそばがきですか」アルバイトの一人が仕込みをしながら声をかけてくる。
昔から思いが顔に出る様だが、年を重ねてもそれは変わらないらしい。やはりバレているのかと勝茂は苦笑いを浮かべた。
信子が初めて店に来た日にも、従業員や親父にからかわれた。そして信子にも日頃から、
「あなたは平兼盛ですから」と言われていたこともふいに思い出した。それが百人一首の歌い手だと知ったのは、最近になり信子の引き出しを開けてからだ。
花一つ送ることない結婚記念日だったと思いつつ、いつもの器を手にした勝茂の脳裏には、当時珍しかった髪の短い女の笑顔も浮かんでいた。これも顔に出ていたのだろうか。
 
病院へ向かうバスから見える野川の流れに浮かぶ葉に、勝茂は人生を重ね見た。
細く頼りなかった源流は速く、やがて穏やかに太さを増した後、緩やかに河口に向かい終わりを迎える。信子の川は俺より少し短かった様だと思いながら、自分は後どれぐらい流れていられるのかと考えた。

いつの間にか眠っていたようだ。顔を上げると信子がこちらをみて微笑んでいる。
「さっき来た時、お前が眠っていたから」
言い訳するような勝茂を見ながら信子はテーブルに置かれた包と花に目をやった。
「そばがき、作って来たぞ」花には触れず、結婚記念日にいつも使っていた、信楽の器を取り出して勝茂は出来具合を信子に見せた。
「食べられるか」頷く信子の口元に小さな一さじを差しだす。
割れた唇を長い間かけてゆっくりと動かす信子の目に薄い光が漂う。勝茂が器を置こうとすると、信子は再び口を小さく開き、もう一度口に運ばれたそばがきを名残を惜しむかのように、少し苦しそうに飲み込んだ。
「ごめんなさい」二口しか食べることが出来なかった信子の声はあまりに細く、両手で挟んだ器を勝茂はただ撫で続けた。

「初めてお前を見た時から好きだったんだ」なぜ急にそんな言葉が出たのか、勝茂にも分からない。台所に立つ妻、洗濯物を畳む姿、机に向かう後ろ姿、何でもなかった日常が次々と頭に浮かび、叫びそうになる気持ちを抑える中で出てきた言葉だった。
「知っていましたよ」おそらく初めて勝茂が口にした愛情に、信子は少し戸惑いながらも嬉しそうに目を細めている。
「平の兼盛さんだから、あなたは」満足げに口元を緩めながら閉じた信子の瞼の裏には、
「お待たせしました」と不愛想に器を差し出す若き日の割烹着姿が浮かんでいた。そして一度ぐらい髪を短くしても良かったかもと、意地で切らなかった残り少ない髪を撫でた。

「どれも捨てることができない」義母の遺品整理のために実家へ戻った千佳の電話から
「全てに思い出が詰まっている」と溜息が漏れてくる。亡くなって一月で急ぐことはないと伝え、洋介は義父の様子を尋ねた。
「少し痩せたけど元気よ」義父の様子を伝えた千佳は、思い出したように棺に入った一枚の歌について話し出した。
何故分かったのか聞こうとしたが、母の影響から百人一首に詳しい妻ならすぐに足りない一枚を見つけたのだろうと洋介は先を促す。
《忍ぶれど 色にでりけり我が恋は》詠み人は平兼盛だと聞いた洋介は、その歌ならば下の句を知っている、そう答えようとした時、クスッと笑う千佳の声が耳に入った。
「お父さん、何でも顔に出る人だったから」

多くのことが顔に出る夫を、果たして妻は手放しで喜んだのだろうか。
長い夫婦生活、分からない方が良いこともあるはず。そして、忍んだのは互いにではなかったか。それら全て、多くのことを含んだ上での二人だけの符号だったのだろう。
そう思った洋介だが口には出さず、週末には俺も行くと短く伝えて電話を切った。
義父の蕎麦を久しぶりに食べてみたいと思いながら洋介は、清流は四代で終わるのだろうかと心配し、何故か残暑の中、千佳と行った深大寺の初詣帰りに降り出した雪を思い出していた。
そして二人の前を寄り添うように歩く義父母の姿が、まるで一枚の絵の様だったことも。

江原 間(東京都調布市/45歳/男性/会社員)

   - 第12回応募作品