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「花と言葉」著者:音音

言葉が怖かった。

簡単にこころを傷つけ、積り積もって破壊する力を持つ…少なくとも私にとって。言葉の積雪の下で息がつけない。
なぜなら私は中学生のころ言葉によるいじめにあい、人一倍言葉の意味に敏感になり、悪くとらえる傾向にあったからだ。
いじめが常態化していた頃の事。自分が踏みつぶされたと感じたある日の帰り道だった。ふと道脇を見るとコスモスが咲いていた。風の中でぽかりとしろくやわらかく揺れていた。
一瞬、彼らが私にしたように踏みつぶしてやろうかと思った。足を上げ、コスモスの上に影が落ちたのを認めた。すると動けなくなり、足を戻した。
コスモスを、うつむき見つめてしばらくした後、鞄からごそごそと携帯を取り出し写真におさめた。
私は彼らとは違う。落ちる雪でも足でもなく、認めとどまり受けとめる。
その後から、何回も何回も花の写真を撮るようになった。何回も、何回も。それは私にとっての静かな戦いであり、毅然とした反抗であった。その写真を眺めることによって自分の内側の温かさを回復させていた。

中学のその時期はそうして乗り切ってきたけれども、高校に入っても周囲に対して警戒が解けなかった。ノリが悪いと言われようと、タイミングが遅いと思われようと、言葉のせいで息がつまるよりはどんなにましか。聞く一言、発する一言を考え抜いて綱渡り。そのために疲労で限界を感じた時は一人となり、撮り続けていた花の写真を眺めていた。
そんな気を抜いた世界に一人浸っていたある日の休み時間、背後から突然気の抜けた声がした。
「写真、撮るの? 」
息が止まるほど不意をつかれた。
見上げると、にこにことした満面の笑み。近くの席の男子生徒だ。私は黙り込んだ。
「俺のも見てよ」
おもむろによれよれの紺色のナイロン製のカバンの底からごそごそと携帯電話を取り出し写真を次々と見せてきた。「蛙」というタイトルの蛙の顔に似たビン・缶ゴミ入れ、「推薦が決まった日」というタイトルの遠近法を使い校舎よりも大きく見える跳ぼうとするバッタの写真、などなど。思わず顔がほころんでしまう。今度は私の携帯を渡し写真を見せると、驚きの後に喜び、最後に少し悲しそうな表情を浮かべた。表情の変化がこころそのもののようで面白く、目を逸らせなかった。
彼は私から顔をそらしてうつむきながら、
「写真とかを送りたいからメッセージのIDを交換できればと思うん…だけど……」
と絞り出すような声で言った。言葉ではなく写真のやりとりであれば、安全かもしれない。同じものを見ても切り取り方が全く違う彼の写真と、彼の表情は面白い、もっと見る機会が欲しい。頷いた。

その時までは花ばかりを撮っていたのだったが、見せる相手がいることで撮る写真の種類が広がってきた。「こんな気分」と書き空模様を送ると、抜き打ちテストの後で「こうなりました」というコメントとともにゲリラ豪雨の写真が返っててくる。だから校庭のスプリンクラーの放水でできた虹を送ったら、笑顔のイラストが返ってくる。適切な写真が手に入らない時はウェブで落ちている画像を送った。言葉に頼らずに画像のみの送信をすることが多かったために時にかんちがいも生じたが、それも楽しかった。話合うとこわばってしまっただろうが、写真や画像を通してリラックスをして続けられた。

そんなやりとりをして数か月経った夏休みのことだった。
珍しく画像なしで「○日に午後1時ごろから部活の帰りにどこかに行きませんか? 時間がずれるかもしれないから先に行って過ごして待っていてくれたらうれしいです」という文章が送られてきた。
「もちろん!」と即答しようとしてとどまった。言い訳が効かない返信をしてしまったら、もしかすると中学時代のころのようなことが繰り返されるかもしれない。どうすれば…。
行きたい場所は決まっていた。「植物園」だ。
私にとっての大切なルーツ、花。アクセスの良い都内で一番大きな神代植物公園が最適だ。後は渾身にして会心の出来の写真を撮る必要があった。その日のうちに写真を撮りに出掛けた。
神代植物公園は庭園と大温室がある。庭園は季節の花々や木が見られ、温室は南国の植物やベゴニアとランの区画などでセクションが分かれている。「これ」と思えるものを求めて園内を散策した。
温室のベゴニア室で足を止めた。さまざまな鉢植えのベゴニアが水盆の上に浮かんだ赤や白や黄のダリヤのような大輪の変わりベゴニアを囲んで見下ろしていた。これだ!
水盆は水流を生じさせているため、気に入った構図に至る偶然まで待たねばならぬ。時間が過ぎていく。5分…息遣いを自分でも感じた。10分…もどかしい、少し違う気がする。15分…水流と自分の呼吸のリズムが合ってきた。
<○日に午後1時ごろから部活の帰りにどこかに行きませんか? >メッセージが頭に閃く。
今だ!シャッターを切った。
テラコッタの床の上の水盆に、桃色と黄色と鮮やかな赤のベゴニアが浮き、水盆を写しきらずに切った構図にして写真に収めた。余計な背景は入れない。送信した。
画像を送信する指が震える。すぐさま「どういう意味?」と返信が来たが答えずに同じ写真を送った。中学生のころのようなことを万が一繰り返すようであれば耐え難いし、彼であれば理解してくれると信じたかった。

返信が来るまでに数日かかった。何か月にも感じた。怖しさを覚える程の長さであった。こわごわ返信を見た。たくさんの満開のバラ。
バラ園に神代植物園の特徴の東屋や柱もうつっている。あ、あんな小さい手掛かりから場所を特定できたんだ!鳥肌が立った。返信までに長くかかった時間に、一生懸命探していた重みを感じて嬉しかった。バラが咲かない時期だからウェブで画像を拾ったのだろう。
私は、携帯をにぎりしめてベッドの上で笑いながら何度もぴょんぴょんと飛び跳ねた。

当日。時間前に植物園の入り口で待っていた。入場門の前のバス停の椅子に腰かけて、今まで彼とやりとりをした携帯の写真を眺めていた。中で待っているように伝えられていたが、入園する時から一緒で行きかった。
時間が過ぎる。汗が流れて目に入った。サンダルが足に食い込み、白いワンピースが汗で肌にぴったりと張り付く。制汗剤を何度スプレーもしてさらに待っていた。かけ過ぎたせいだろうか、サボンの匂いが鼻をつく。
0分ごとに鳴る鐘の音楽が虚ろに耳に響いた。

結局、約束の時間を二時間過ぎても彼は現れなかった。『来ない』、ということだ。

こんな展開は中学の時慣れていたじゃないか、十分予測できるほど学んでいたはずではなかったか。後で彼と彼の友人たちがきっと笑うのだろう。期待するとその何倍も痛みで裏切られる。分かっていたはずなのに、今回こそはと信じてしまった。
目の奥がしびれてきて頬に熱いものが伝わった。自分の送信したメッセージは写真のためにどうとでも言い訳はきくが、自分の気持ちに言い訳はきかない。
暫くしてふと気づくと影が動かずに自分の上に落ちていた。見上げると、彼だ。数秒の持ち重りする沈黙の後、彼がややかすれた声で話を始めた。
「言った方がさっぱりすると思うんだ。だから全部言う。
初めて誘う時はあまり重く取られないようにって、部活帰りについでを装おうと思ってた。友達として会いたいって言い訳もきくし、少なくとも友情は続けたかったから。あのメッセ―ジの後で、ベゴニアの画像が送られたときに場所じゃなくて花が送られてくるっていうのは、どういう意味かとまどったよ。訊いても答えてくれなかったから、いろんな意味を考えた。花を買って来いとか、この花みたいな気分とか…。ピンとくる答えが思いつかなかったから画像検索をすると花言葉で『愛の告白』と『片思い』って出たから、あぁ、ばれてたんだなと思った。だから思い切ってバラの画像を送った。数えきれないバラ。
でも、返信なかっただろう…。

結果が分かって。
今日来たのは、せめて同じ花を見ようとして…そうしたら吹っ切れるかと思って」

それから私にとって言葉はもはや怖くはなくなった。

音音(東京都多摩市/36歳/女性/会社員)

   - 第12回応募作品