「フェチと恋とその先へと」著者:落合 香緒里
私、田宮有佳、高校三年生、変態だ。友達には内緒だが、ある部位がどうしようもなく好きなのだ。そして、それを見かけると一人心の中でニヤついてあらぬ妄想を……。
今日も通学の為に家からバス停迄の道を歩いていると、水車のある蕎麦屋の近くで会ってしまった。顎から耳にかけた先で汗を滴らせるつるんとした線。そして、頭頂部、額へと続くその輝き。特にその形が良い男は最高。
「あの、少々お尋ねしてよろしいですか?」
声も日頃の鍛練で低く通る素敵な声で、って……、え? いつもはここではなく、もう少し先の深大寺境内で見るはず。
私は勝手な驚きと共に改めて声の男を見た。
「驚かせてしまったようで、すみません」
キレイに剃り落された頭で優しい顔のスーツ姿のその男は、固まっている私に気まずそうに謝罪した。齢は私より十歳くらい上かな。
「いいえ、こちらこそ」
『貴方で妄想してすみません』という言葉を呑みこんで私も応えた。
「ああ、この頭は、その、あの、ホルモンというか遺伝というかによるもので、私は決して怪しい者ではなく、ただ深大寺小の場所を」
私が彼の頭を見ていた事がバレた。恥ずかしさで全身の血が一気に沸き昇る。
「は、はい、分かっています!小学校ですね、小学校はあっちの方です!」
固まったまま、慌てて進行方向先を指さす。
「ありがとうございます」
男は優しく微笑むと会釈して歩いていく。
私は彼の背中をしばし眺めた。そして、今度は青ざめる。私も同じ方向に行くのだ。ど、どうしよう……ストーカーにならないように……。しかし、意識すればするほど、歩み方がどんどん怪しくなっていく。
突如、男が振り返った。ヤバっ。バレた?って、別に私はストーカーするつもりはなく
「ここ、良い所ですね」
挙動不審だろう私に彼は差し当たりのない会話をしてきた。私は思わず口を開けたまま固まる。しかし、彼が申し訳なさそうな顔をした気がして、慌てて返事をする。
「は、はい、そうなんです」
そして、彼の隣に少し急ぎ足で近づく。彼は私が近づく迄待ってくれた。
「特にこの時間は、静かな緑の中で蕎麦屋さんの蕎麦を打つ音とお坊さんの読経の声が」
声をかけられた嬉しさで一気に話し出した私は再びハッと口を噤む。顔に熱が押し寄せる。
しかし、彼はただクククと笑うだけだった。
「お坊さんが好きなんですね」
「は、はい、あ、いえ、その違くて……」
好きなのはお坊さんでなく、男らしさを匂わせる、何も生えていない頭から顎や首迄の線であるが、まさかそれをこの人に言える訳はなく、黙り込んでしまう。
「そうですか。それは、ただの臨時の保健医な自分が残念ですね」
「そ、そんな……えっ!? 保健室の先生!?」
全力で首を横に振った私は、今度は大きな口を開けて彼を見上げた。
「はい。こんな見た目ですが」
優しい瞳で苦笑する彼に見つめられるとだんだん息が苦しくなってくる。
「いいえ。……素敵です……」
後半は小声でモゴモゴさせて私は答えた。羞恥心で私は彼の微笑みを見る余裕はなかった。
「道案内ありがとうございます。降り所を間違えてしまい困っていたので助かりました」
ちょうど小学校の門に差し掛かり、彼はそこが目的の場所だと気づいたようだ。
いつもお寺の中をチラ見する事を、今日は忘れていた事に気付いた。そして、私の目的のバス停も近い。バスの時刻も迫っている。しかし、私はまだお話していたかった。
会釈して門の向うを行く彼を呼び止める。
「わ、私、田宮有佳といいます。お、お名前教えてください!」
彼はキョトンとして振り返った。しかし、すぐに柔かな笑みに戻り、答えてくれた。
「深津慎也です。田宮さん、今日はありがとうございました。では、また」
「はい!どういたしまして」
私は嬉しさで頬を紅潮させ、勢いよくお辞儀した。深津先生は再びクスクス笑うと、門の中、校庭内へと進んでいった。
しばらく彼の背中を眺めていると、バスが来るのが視界に入った。私は慌ててバス停まで駆け、出発しようとするバスを大声で引き止め、急いで乗った。他の乗客にじろじろ見られるも、私の中の興奮は暫く収まりそうになかった。ずるいよ……そそられる見た目だけじゃなく、あんな素敵な人だなんて。
その日は受験モード一色になっている高校でも勉強になかなか身が入らなかった。ついつい考えてしまう。彼の色々な表情とその時のうなじから頭頂部の線は元より、彼の低く通る声で語りかけられる言葉達……。
「こらっ、田宮。集中しろ。本番半年前だぞ」
一人ボーっとしていたら先生に注意された。
翌朝も翌々朝も深大寺小の前で深津先生と遭遇し、それから毎朝、通学途中に会うのが日課となった。しかし、会えるのは学校の門の前で、彼がバスから降りて私が次のバスに乗るまでの間の少しの時間。時間の少なさにもどかしさがこみ上げてくる。
とはいえ、それでも会いたいので、私は早めに家を出て彼がバスから現れるのを待った。
しかし、私がギリギリな時間に高校に行っているとはいえ、彼が毎日こんな朝早いのは不思議だった。ある日思いきって尋ねてみた。
「貴女がこの時間のここが良いと言ったように、私もこの時間のここが気に入りましてね。実は、貴女を見送った後いつも少し散歩しているのですよ。朝の静かな時を豊かな自然と風流な佇まいを感じて贅沢に過しています」
はにかんだ彼の笑顔に、私は耳まで真赤になるのを感じた。そして、彼は続ける。
「お坊さんの声も自然によくとけこんで」
「そ、それは、忘れてください!」
私は真赤な顔のまま、両手を彼の前で大きく振った。彼は少し意地悪そうに笑った。
むっとしつつも、彼を憎めなかった。
朝の楽しい一時とは反対に、私の成績は落ちていった。受験前という時期もあり、私は担任から最近の浮つきをこってり絞られた。
それが、朝早く出て真面目に勉強していると思っていた親にもバレ、勉強以外の物は、スキンヘッドの男性が載った写真集含めて全て取り上げられてしまった。
それでも深津先生との朝の逢瀬は続き、私の落ち込みぶりが出てしまったのか、ある日、彼は私に尋ねてきた。
「元気ないですね。どうしたんですか?」
「……受験前なのに成績が落ちちゃって」
そして、私は彼の事を考えている事以外の今の状況を当たり障りなく伝えた。
「それは尚更に窮屈ですね」
彼は心配そうな顔で私を見た。
「いいえ。私が悪いんです。大事な時期にうまく集中できなくて」
「でも、特に女性は楽しい事と同時並行でやっていかないと心が持たなくなり、体にも悪影響が出やすいんですよ。男と違って色々な事を一度にできる分、心が嬉しく感じる事も一緒に必要としているんです」
ここ数日の会話で、私が受験勉強を嫌々でやっている事が伝わっていたようだ。
「勉強はどうすれば好きになるんですか?」
彼は保健医とはいえ、学校の先生である事を思い出して尋ねた。
「うーん、そうですね。些細な事でも何でもいいので、その物に興味を持つ事で自ずと学びたくなりますよ」
私が考え込んで唸っていると、彼は続けた。
「お坊さん一つとっても、由来から歴史を遡る事で関連する主要な歴史も学べる」
私が「お坊さん」と言う彼を軽く睨みつけたら、彼は慌てるそぶりなく言い加えた。
「お坊さんでなくともこの地でも蕎麦でも」
「でも、後半年しかないのに……」
まだブー垂れる私に彼は別の事も言った。
「他には、受験後の目標を定め、受かった時の自分を想像してですね。田宮さん、好きな人はいませんか? 最近は小学生も大分マセてましてね。私の処にも恋愛相談に来るのですよ。こんな強面によく相談しようと思うなって思いますが」
「先生の顔は恐くないです。優しいです」
私は慌てて彼の言葉を否定した。しかし、言った後で恥しさがこみ上げ、勢いで俯く。
彼は一瞬驚きを見せるも、優しく微笑んだ。
「ありがとうございます。話を戻しますと、女性はそういう事を考えるの好きでしょう」
『ええ、いつも貴方で考えています。でも、だから成績が落ちているんですが……』とは言えず、私はただ黙る。
「受験が終わって、行きたい処で好きな男性と楽しくしている処を思いっきり想像してご覧なさい。そして、それをするに必要な、その大学に行けるだけの必要な勉強量を知れば、やる気になりませんかね?」
私はそれを聞いてハッとした。
そうか。私は勉強から解放され、目の前の彼とじっくり会っている処を妄想すれば、私の妄想癖をそのまま別に使えばいいのだ。
私は納得し頷いた後に、おずおずと尋ねた。
「先生は恋愛に年の差って気にされます?」
「?いいえ。好きになったら関係ないですよ」
「分かりました。ありがとうございます。なんか、すごくがんばれそうです!」
「よかったです。がんばってくださいね」
貴方をこんなに好きにさせたんですから、覚悟してくださいよ!
私は秘かな決意と無言の挑戦状と共に、彼に元気よく「はい!」と答えた。
落合香緒里(東京都港区/30歳/女性/自営業)