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「サザンカ」著者:佐藤御幸

 迷いのない一定の音で蕎麦を切る父の隣で私は毎朝七時に薬味のネギを刻み、父の一言を待って十時に店を開ける。
深大寺周辺には蕎麦屋が多く、平日は年配の観光客が老舗の蕎麦屋を好み、休日は縁結びの深大寺にあやかろうと若い女性が目立つ。彼女たちはケーキやコーヒーがありカフェのように長居ができる若い世代が切盛りする店を選ぶ。
父の店は祖父の代から続く家族経営の店であり家族だけで切盛りできるようメニュー数は少なくカウンターとテーブル二席があるのみ。祖父の代から継ぎ足し使っている蕎麦つゆは辛口の江戸風。つゆの味が分からなくなるからと酒、タバコを嫌い付き合いの席では雰囲気を悪くするからと早々に帰る。
休日はテレビをラジオのように聞き流しているか、散歩に出かけるくらいで早朝の仕込みに備え九時には床に就く。父のそんな雰囲気がそうさせているのだろうか、黙々と蕎麦をすすり席を立つ客たち。大通りから一歩外れた場所にある店は常連客が多く長居する客はいない。たまに行列に並ぶのを諦めた若い女性たちが訪れるが自分たちの笑い声だけが響く店内に気まずさを感じコソコソと話しながら携帯でカフェを探し出す。
「相変わらず葬式やっているみたいな暗い店だな。」
 野菜を配達にくる圭介(ケイスケ)、父が調理場を離れているのを確認しながら私に話しかけてきた。圭介は高校の同級生で彼の父親が営む八百屋に祖父の代から配達を頼んでいる。高校を卒業し、就職も進学もせずそのまま家業を継いだ。金髪に無精ヒゲを生やし、休日はバンド活動をしている。もう何枚ライブチケット買わされたか、考えたくもない。
私と圭介は高校で出会い付き合って四年になる。互いに惹かれあい結ばれたわけではなかった。圭介と私には共通点がある。母親が子供を置いて出て行った事、母子家庭の家庭はめずらしくなかったが父子家庭なのは私と圭介だけ、ましては娘を手放した母親。
まわりからの特別視が嫌だった。小学生の頃は忘れ物をしても母親がいないからと怒られず、同級生からやっかみの対象になっていた。中学、高校は目立ちすぎず、周囲に溶け込む事を常に気を付けたが、自分を抑え相手に合わせる私はいいように使われた。
圭介は、私と真逆のタイプ。学校にはバンド部に参加するために通っているようなもので、目立ちたがり屋で行事にはリーダーシップをとり憧れの存在。私のような地味な女には見向きもしなかったはず。
しかし、高校2年生になると将来の選択へ自然と足し引きをして自分にとって有利になる人間関係や環境を作っていく。その中で圭介は同窓会でネタに開けられる引き出しの一つにすぎなかった。最終的に私を選んだのは進路が決まっていく女子たちの中で唯一私が同等でいれるプライドからだろう。
派手な見た目とは裏腹にメールの返信が遅れるとすぐに電話をかけてくるし嫉妬深く依存体質。今まで付き合いが続いているのは依存される事で安心感を得てしまう母の遺伝子だろうか?
私の母親は、自由奔放でだらしない女性だったと祖母に言い聞かさていた。母の遺伝子を強く受継ぎ瓜二つの私に警戒しているようだった。
昔から母を知る圭介の父に聞いた話では、母は幼くして父親を亡くし昼夜仕事をして家計を支える母親と二人で暮らしていた。母とのすれ違いの生活、寂しさゆえに年上の男性と付き合うようになり、それを母親に反対されると家を飛び出しその男の家に住むようになった。
しかし、上手くいかず帰るに帰れず日払いのスナックで働きながら出会った男の家を転々とした。想いは届かず依存されるばかりで男性に貢ぐ日々。
見かねたスナックのママが知り合いだった父に店で面倒をみてほしいと頼んできたらしい。祖父母は反対したが頼まれた事は断れない父の性格が二人を結ぶ結果になった。
母がいた頃は店の雰囲気は明るく店の通りまで笑い声が聞こえていた。ホステスで身につけた愛想のよさと聞き上手な母に向いていたのだろう。母は今まで出会えなかった真面目で仕事一筋の父に惹かれ、父も気の利いたこと一つも言えない不器用な性格だからこそ母のような人を選んだ。
遠回りをして幸せをやっと掴んだ母だったが祖母と折り合いが悪くなるばかりで、母はよく一人で泣いていたのを覚えている。
母は休日、祖母を避けるように私を連れ深大寺へ出かけた。深大寺は自然豊かな草木に囲まれ、植物に浄化された澄んだ空気が安らぎを与えてくれる。
本堂から少し離れた深沙大王堂でお参りをする。ここを訪れる度に母に教えられたのを覚えている。「困難が待ち受ける二人ほど叶えがいがあると深沙大王様は見守ってくれる」と。
湧き水の水源が深沙大王堂の裏手にあり、清らかな水のせせらぎが心を静め、透き通った水面に母の穏やかな顔が映っていた。   
いつも笑顔で明るく愛想のよかった半面、一人ため込んでしまう性格だった母。  
小学生の頃、私を置いて母は出て行った。父の性格では祖母には強く言えず、母の居場所が無かったのだ。母はけして父を責めなかった、責めた方が母は楽だったはず。自分の優しさが自分を追い詰めてしまった。
私を連れて出て行こうとする母に、私は父といたいと言えば母が出て行かない気がして母の手を振りほどいてしまった。
「お父さんと一緒がいいのね。」
いつもの声と深大寺の湧き水に映る穏やかな母の顔があった。
父と母は離婚したが母とはこっそり会っていた。母に会える事と祖母は連れてってくれないファミリーレストランで甘いデザートを一緒に食べるのが楽しみで仕方なかった。
私が中学を卒業する頃、次第に嫌悪感が生まれるようになった。
母親から女性になりつつある母。地味だった服装は華やかになり、薬指の指輪のデザインが会うたびに変わっていく。いつも真新しく輝いた指輪。そんな母に距離を置く事で、自分の中の母親のイメージ像を崩さないようにした。
高校二年生の夏、祖母が亡くなり後を追うように祖父も亡くなった。父一人では店をまわせずパートを雇ったが職人気質で無口な父とそりが合わず辞めていく。特に夢もなく希望する進学先もなかったので卒業後父の店を手伝い二年がたつ。
同級生は何をしているのだろうと考える。卒業以来自然と連絡が少なくなり、フェイスブックで近況を見るたびに自分と違う世界にいる友人達、私の事など忘れているだろうか? いや、蔑みのネタになっているかもしれない。
父と二人きりで働き、ストレスなく、職場の人間関係で悩む事もない。
しかし、限られた出入りのないコミュニティーの中で人々は詮索し、珍しい者を嘲笑し団結を深める。
「若い時のお母さんにそっくりね。」
その言葉の裏側に気付いたのは早い。
圭介のライブも初めの頃は同級生をよく見かけたが今は後輩の姿が目立つ。だんだんと歌う姿が自身の悩みや葛藤を吐き出すように感じ、私と圭介の将来の不安と重ね合わせてしまう。
 週末になると圭介に頼まれ路上ライブのサクラとして神代植物公園で一日を過ごす。
公園のベンチに座り自分と同じようにただ同じ場所で風に身を任せる花を見ていると無心になり歌は耳に入らない。
ツバキの花が点々と落ちている。そのまわりを避けられることなく踏まれたサザンカの花びらが地面に茶色く貼り付いている。
ツバキとサザンカの咲き姿は似ているが、花びらが一枚一枚散っていくサザンカと違いツバキは雌しべを残し、花弁と雄しべが一緒に落ちて生涯を終える。その姿は咲き姿と変わらず美しい。
ツバキに母の姿を重ねて想う。今もどこかで誰かを愛し、裏切られてもすべてを差出し去っていく姿を。母は私を捨てたのでなく父のために、私という花弁を捧げて一人風に身を任せる人生を選んだ。
私は、サザンカだろう。私には圭介しかいないし、圭介も私に依存している。
サザンカのように雌しべと雄しべが離れまいと花弁を散らしながら二人丸裸になって風に身を任せる運命。行き場を失った私たちは寄り添って生きるしかないのだから。
 いつものように配達に来た圭介がソワソワと落ち着きがない。父が調理場にいることを確認してから
「おじさん、俺に蕎麦打ち教えてくれない?」
父は黙ってうなずく。
無精ひげのまま私に誇らしげな顔で蕎麦打ちを習う圭介に私は母が深大寺で教えてくれた言葉を想う。
父は、未だに母の気配と共に時を過ごしている。母が外していった結婚指輪も鏡台の上に置いたまま。その指輪は母の左手の薬指を彩った指輪の中で一番質素だったが無数の傷が刻まれていた。
誰かの帰りを待つ寂しげな薬指が今日も迷いのない一定の音で蕎麦を切る。

佐藤御幸(茨城県/27歳/女性/会社員)

   - 第12回応募作品