「かんざし侍」著者:近藤セイジ
脇差の柄に、かんざしを挿した侍がいた。
二日前から深大寺の山門前で、日長一日なにもせずに立っていた。かんざしには小さな可愛い鈴がついていて、こわもての侍にはおおよそ似合わぬ代物だった。
参道の蕎麦屋、茶屋、土産屋たちは、彼を『かんざし侍』と呼んだ。かんざし侍は不愛想で、挨拶もしない。参道の連中は、かんざし侍が山門に立っている理由を噂した。
「仇討ちの相手が、ここに来るに違いない」
「生き別れた母親が、深大寺に参拝に来るに違いない」
「いや、難病の妹のために、お百度参りをしているに違いない」
噂は噂のままで終わっていた。不愛想で尋常ならざる気を発しているかんざし侍本人には、誰も何も聞けなかった。
ある日、山門に一番近い蕎麦屋のお調子者、蕎麦切り職人の留五郎が言った。
「お前さんたち、かんざし侍で一つ賭けをしようじゃないか。俺が今から直接、かんざし侍に山門に立っている理由を聞いてくるから、各々、理由に賭けよう」
「難病の妹に五文」
「仇討ちに三文」
「母親に五文」
参道の連中は好き勝手に賭けた。あっという間に八十文のお金が集まった。
留五郎は連中の出した小銭を懐に入れると、かんざし侍のところへ行った。
「お侍さん。すみません」
かんざし侍は、留五郎を見た。
「いやぁ、そんな怖い顔してくんなせぇ。悪いヤツではございません。あっしは、そこの蕎麦屋でケチな蕎麦切り職人してる留五郎と言います。お侍さん、先ごろからずっとここに立ってるじゃないですか? どうしたのかなぁ、なんて思いまして。よかったらワケを聞かせていただけませんかね? もしかしたら、力になれるかもしれないなぁ、なんて思いましてね。えぇ」
かんざし侍は、為五郎から視線を外すと、顔を真っ赤にして脇差に手をかけた。
斬られる、と思った留五郎は驚いた。
「お侍さん! お待ちください。そんなぁ、簡単に抜いちゃいけませんぜ。あっし、なんか、変なこと言いました? 言っていたら謝ります。はい、全部謝ります! あ、もしかして、全部お見通しですか? いやぁ、まいったなぁ」
留五郎は懐から小銭を取り出すと、かんざし侍に渡した。
「これで全部です。賭けていたことは謝ります。だから、参道連中も許してやってください。お詫びとして、明日からお昼に蕎麦持ってきますんで。えぇ、どうもすみませんっした」
次の日からかんざし侍は、お昼になると留五郎が持ってくる蕎麦を立ちながら器用に食べた。次第にかんざし侍は、『かんざし蕎麦侍』と呼ばれるようになった。
それから二日後。深大寺の住職は檀家から苦情を聞いた。
「山門に、大小とかんざしを差して、昼になると立ったまま蕎麦を器用に食べる、こわもてで不愛想な侍がいる。そのせいで寺に来づらい。何とかしてほしい」
何日か前から、山門に殺気めいた侍がいるというのは知っていた。放っておけば、すぐにいなくなるだろうと高を括っていた。しかし、一向にいなくなる気配はない。それどころか、蕎麦屋の留五郎なんてもはや手下のようにふるまっている。
一度、話を聞いてやらねばなるまい。住職は意を決してかんざし蕎麦侍のところへ行った。
「お侍さん。少し良いですか?」
かんざし蕎麦侍は、住職を見た。
「うちの寺に何か用ですか。厄除けでしたら、午後の祈願で行いましょうか?」
かんざし蕎麦侍は、首を振った。
「違いますか。それでは何ですかね。あと、うちの寺で有名となると、縁結びぐらいですかね。開祖の満功上人の時代から、恋愛成就や縁結びにはご利益のある寺ですぞ」
その話を聞きながら、かんざし侍は顔を真っ赤にして脇差に手をかけた。
斬られる。そう思った住職は慌てた。
「お侍さん。早まるのはお止めなさい。境内で刃傷沙汰は仏の御心に反します。何かまずいことでも言いましたか? どいて欲しいっての、伝わってしまいました? いいでしょう、いいでしょう。気のすむまで、山門にいたらいいでしょう。私が許可しましょう。この辺りは、夜に物の怪が出るという話も聞きます。物の怪から身を守るために、これをつけていたら良いでしょう」
住職は、自分の首にかけていた念珠をかんざし蕎麦侍の首にかけた。
次の日から、かんざし蕎麦侍は、『かんざし念珠蕎麦侍』と呼ばれるようになった。
ある雨の日。かんざし念珠蕎麦侍が、山門の下で留五郎が持ってきた蕎麦を器用に食べていると、一匹のねこがやってきた。
「にゃあ」
ねこが鳴くので、かんざし念珠蕎麦侍は蕎麦を二、三本ねこにやった。ねこはむしゃむしゃと蕎麦を食べた。
「にゃう、にゃにゃにゃあ」
ねこはそう言うと、草むらの中へ走って行った。
次の日、ねこはもう一匹ねこを連れてきた。
「にゃあ」
「にゃにゃあ」
ねこが鳴くので、かんざし念珠蕎麦侍はまた蕎麦を少しやった。二匹のねこは、仲良く蕎麦を食べた。二匹のねこは、そのまま山門から離れなかった。
次の日、片方のねこが子供を六匹産んだ。
「旦那、大変なことになりましたね。こんなにいちゃあ、蕎麦一人前じゃ足りませんな」
そういうと留五郎は、二人前の蕎麦を持ってきた。かんざし念珠蕎麦侍は、一人前は自分で食べ、もう一人前はねこ達にやった。ねこ達は完全にかんざし念珠蕎麦侍になついた。
次の日から、かんざし念珠蕎麦侍は『かんざし念珠蕎麦ねこ侍』、略して『ねこ侍』と呼ばれるようになった。
ねこ侍が山門に来てから、月が一回りした。もはやねこ侍は山門の景色となっていた。ねこ侍を恐れるものは誰もいない。それどこか、手を合わせるものさえいた。ねこ侍は、深大寺の新しい名物となりつつあった。
ある日のこと。年頃は十六、七歳の美しい娘が深大寺へ来た。
ひと月ほど前に、娘の父親は原因不明の病に襲われた。医者にもさじを投げられ、父親はみるみる弱って行った。最後の頼みにと、娘は深大寺で父親の回復を祈願した。すると父親の容態は薄紙をはぐように良くなっていった。今日はそのお礼参りに来たのだった。
山門まで行くと、ねこに囲まれて、首からは念珠をかけ、立ったまま蕎麦を器用に食べる侍がいた。
娘は無類のねこ好きだった。声を上げると、娘はねこ侍の元へ駆けていった。
「お侍様。ねこ、触らせてもらっても良いですか?」
ねこ侍は驚いた顔をして、コクリとうなずいた。
「このねこたち、蕎麦食べるんですね。なんか変なの」
ねこをなでながら、娘はクスクスと笑った。その顔を見て、ねこ侍の顔は真っ赤になった。真っ赤な顔のままで、ねこ侍は脇差に手をかけながら言った。
「あ、あの……」
こわもてのその顔からは、想像もできない裏返った高い声だった。娘は顔を上げた。
「あっ、母上のかんざし」
ねこ侍は、脇差からかんざしを抜いて娘に渡した。
「なくしたと思っていました。お侍さんが拾ってくれたのですね」
ねこ侍はコクリとうなずいた。
「このかんざし、母の形見だったのです。見つかって、本当によかった。なんとお礼をして良いのやら」
娘はかんざしを強く握りしめ、深く頭を下げた。
「あ、あの、良かったら……」
ねこ侍は真っ赤な顔のまま、切腹を覚悟した武士のような形相で言った。
「拙者と蕎麦でも食べにいきませぬか?」
娘は驚いた顔で言った。
「私、そんなお金持っていません……」
ねこ侍が何も言えずにいると、一部始終を見ていた留五郎が駆けてきた。
「娘さん、大丈夫ですよ。ここは私がおごりましょう。旦那、そのかんざし。そういうことでしたか。旦那も人が悪いや。言ってくれればあっしらが娘さんを捜したのに。まぁ、でも、こうやって会った方が良かったのかもしれませんな。深大さんは縁結びでも有名ですんで。また一つ、縁結びの話が増えそうですな、こりゃ。蕎麦も末永くってことで縁起物ですから、二人で食べるといいですよ。お礼参り? そんなのは、蕎麦食べた後にゆっくり旦那と一緒に行ったらいいんですよ。お礼参りは伸びないけど、蕎麦は伸びちゃいますから。それにね……」
話続ける留五郎に引きつれられて、侍と娘と、親ねこ二匹と子ねこ六匹は蕎麦屋に入って行った。
それからしばらく、深大寺参りにはかんざしを腰に差していくのが流行ったそうだ。
近藤 セイジ(東京都西東京市/34歳/男性)