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「喪名」著者:久坂蓮

 地面にうちつける細密な雨と行ききする車のはねとで白くけぶった道のさきから、最寄り駅にむかうバスがやってきて停留所にとまる。さしていた傘をたたみ乗りこむ。乗客はさほど多くない。わたしの他には背広姿の男性が三人と年かさの女性がひとり、それに制服姿のふたり組の女子生徒。わたしはいつものように一番後ろの五人掛けの席、右端に腰かける。七月の半ば、外気の暑さが空調によって冷やされ皮膚の表面に自然と汗がにじみ、湿気とあいまって車内は饐えたにおいをこもらせている。窓ガラスに頭をもたせかけエンジンがふたたびかかる音をきき、わたしは窓にはりつき球状に結ぼれては重さにたえかねながれてゆく雨滴にぼんやりと眺めいる。
 深大寺とその周辺を舞台にした恋愛小説をかくための取材をすることが外出の目的だった。相模大野駅でバスを降り、小田急線快速急行新宿行で下北沢、そこから京王井の頭線で吉祥寺駅にたどりつくころには雨はやんでいた。マルイのビルを正面にみながら往来をすすみ、横断歩道をわたって右にまがると深大寺行のバス乗り場があった。バスがくるまで背後のドン・キホーテの入口に展示された水槽をながめて時間をつぶした。
 わたしには恋人がいなかったし、友人を誘うにしてもだれを誘えばいいかわからなかった。これはいつものことだった。LINEをたちあげて、友だち216、としるされた液晶画面に指を這わせていっても、気軽に話ができるひとがわたしにはいなかった。わたし自身の問題だった。他人にこころのうちを明かすことが怖くて、作り笑いをしょっちゅうしたり自分を偽ってばかりいたから、大学三年生になってもだれとも深い信頼関係を築けなかった。だからできるだけ天気がわるくてひとの少ない、ひとりでいるときに感じる惨めさもまぎれるような日に取材にいきたかった。

 バスはそば屋「梅月」のまえでとまった。深大寺通りを脇道にそれ大黒天・恵比寿尊の石像を右手にぬかるんだ土のうえをあるいて、深大寺の参道のある通りにはいる。もうすぐ盂蘭盆だからか、店店の軒先にほおずきが吊るされ亀島弁財池の水面にはさるすべりの桃いろの花びらが浮かんでいる。まばらな人通りにわたしは傘の柄をにぎる手のちからをつよめる。「あめや」で高菜のはさまれたそばぱんを買い、道の端の各所にもうけられたベンチにすわって食べた。ベンチはまだすこし濡れていた。そばと高菜のほのかなかおりが鼻にぬけていった。咀嚼しながらわたしは眼球の表面をうすく覆ってゆく漿液にきづいてまぶたをひきおろし、こみあげてくるものをおさえた。
 ものごころついた頃から、からだのもつ性別と感情とのあいだにずれを感じはじめた。男らしくしなさい、といわれることが一番嫌だった。俺、や僕、とじぶんを指していうことができなかった。できなかったから、会話するときは一人称を使わないですむような喋り方を心掛けた。けれどもそれも限界があって、次第にわたしはひとと話さなくなった。
 小学二年生の時だった。教壇にたった先生が、青地にピカチュウのえがかれたハンカチを掲げ、これだれの、ときいた。わたしは尻ポケットをさぐりしまったはずのハンカチが消えていることに気づいた。誰もいませんか、ともういちど教員がたずねた。僕のです、といえばすぐに返してもらえるのに、わたしはいえなかった。
境内にちょうど海外からのツアー客が詰めよっていたので、さきに神代植物公園にむかった。「一休庵」のガラス張りの厨房でそば打ちをする割烹着すがたの料理人を横目にほそい道にはいり、ゆるやかな傾斜の石畳をすすんでゆく。左右を森に囲まれたこの坂はミンミンゼミの鳴き声と鳥の鳴きかわしであふれかえり暑さを助長しているように感じる。頭髪の生え際やわきの下から汗がふきだす。「玉乃屋」と「松葉茶屋」ののぼり旗がみえてきたところでわたしはようやく安堵の息をつく。つきあたりが植物公園になっている。深大寺門のまえでわたしは料金を払う。

けっして送信されることのないメールの文面を、綴るのはこれが何度目になるかわからない。「わたしはだれにもあいされない」と書き、すぐに消す。わたしはひどいほど感傷的になっているわたしを意識する。「わたしがどんなにこのこころであなたをおもっても、このからだはあなたに受けいれられないだろう」とわたしは書く。わたしは眼をとじ息をすう。咽喉がわずかにふるえているのがわかる。そしてふたたびすべての文字を空白に葬りさる。

わたしはおもいだす。この寺の縁起を。福満と郷長右近の娘、深沙大王、そして福満がしたためたという一〇〇〇通の手紙、筆をにぎりしめる指の、にわかな緊張……

爪紅、旭鶴、朝霧、イロハモミジ、十寸鏡、滝野川、ミツデカエデ。幹に括りつけられた札に書かれた名称をわたしは読んでゆく。すべてカエデ科だった。いまはどれも緑で、頭上をさしかわす枝葉は陽のひかりをすかしてやわらかく灯っている。秋の盛りになればいっせいに紅葉していっそう趣ふかいものになるだろうと想像をめぐらせる。かえで園をすぎてしばらく歩くと景色がひらけて、芝生広場にでる。売店でお茶を買い、咽喉をうるおしてから広場をよこぎり蓮花園のまえでたちどまる。紅白の蓮の花がさいている。まだ咲いたばかりで花托のまわりの花びらがとじたままのものもあれば、完全に花ひらいたものもある。いちまいいちまいの重なりに見とれているとあなたのことをおもいだす。一年前のこの時期、鎌倉の鶴岡八幡宮でわたしはあなたと蓮の花群をみた。太鼓橋で区切られた源氏池と平家池の両方にえんえんとつらなる蓮の葉と花冠を眼にして、わたしは芥川龍之介の「蜘蛛の糸」でお釈迦様が歩いていたのはまさにこんな蓮池のふちだったのだろうとあなたにいった。あなたは笑った。薄いくちびるがめくれ唾液にぬれた白い歯がのぞいた。わたしはあなたの笑う顔をみるのが一番好きだった。
あなたは大学の同級生だった。進学して数日の、発達心理学の講義でわたしははじめてあなたと話した。黒板にかかれたマーラーの分離個体化理論をノートに写しているとき、あなたは遅刻して教室にはいってきてわたしのとなりにすわった。
笹田くんだよね、とあなたは声をひそめいった。
わかるかな、おれ、おなじゼミに割りふられた……
そしてあなたはノートを見せてほしいと乞い、わたしはうべなった。講義のあとであなたにノートを貸した。以来わたしたちは並んで講義をうけるようになった。
カウンセラーになるのが夢なんだ。大学院にいって臨床心理士の資格取って、今度できる公認心理師のほうの資格も取って、ちゃんとクライエントとむきあいたいんだ。学生食堂でかつ丼を食べながらあなたはいった。
それはとてもいい夢だとおもう、とわたしはかえし、味噌汁をすすった。
笹田もそうか、とあなたはきいた。わたしは首をふった。わたしはただじぶんに興味があるだけだった。どのようなことに興味があるのかとあなたは白米のつまったくちを抑えたずねた。わたしは応えなかった。
DSM‐Ⅴになるまで、性別違和は障害として記載されていたことを知っているか、とわたしは問いかけようとした。異性を愛せないことは病気なのか知りたい、と。けれどもくちをつぐんだ。

見ごろだというむくげ園、大温室の睡蓮やベゴニアを観賞したのちわたしは植物園をで、来た道をひきかえした。陽はすでにかたむいて輪郭をとろかし空を赤く染めていた。鬼太郎茶屋のさしむかいにある「鈴や」でもりそばを食べ深大寺の参道にもどった。三種類のおみくじがならんでいるうちわたしは左端のおみくじをひいた。大吉という結果とともに金いろの達磨がはいっていた。閼伽堂で手とくちをゆすぎ香炉に線香をおとしてけむりを浴び本堂のまえにたった。賽銭をいれてわたしは二礼二拍手のあと手をあわせた。願いたいことはいくつもあったはずなのに手をあわせるときは毎回なにを願えばいいかわからなくなる。頭のなかをさまざまな思惟がめぐってゆく。その沈殿からすこしずつ浮かんでくるものがある。

 あの日わたしたちは校舎から駅までの帰り道をふたりあるいていた。
好きなひと、いないの、というあなたの質問をわたしはさあ、とはぐらかし、下くちびるを噛んだ。
 なんだよ、教えろよ、とあなたはからかう口調でいった。
 そっちこそどうなんだ、とわたしはきけなかった。あなたがだれかの名前を発語したばあいどうすればいいのかわからなかった。
家にかえってからわたしは洗面台のうえにおかれた母親の口紅を床にたたきつけた。女になりたいわけではなかった。女でも男でもない、なにものでもないただ《わたし自身》として生きたいだけだった。

久坂 蓮(神奈川県/20歳/学生)