<第3回応募作品>「交叉するふたつの流線」 著者:中山 琴音
いつの間にか、たどり着いていた。
退屈な授業に耐えられなくて、途中でこっそり教室を抜け出したのはいつもといっしょ。だけど、このまま家に直行するのももったいなくて・・・。せっかくバイトも休みだし。そんなことを考えているうちに、ふらっとバスに乗り、人の流れのままにたどり着いたのが深大寺だった。
大学の近くにあるとはいえ、バスを使わないとこられない距離のこの土地を訪れたのは、もちろんこれがはじめて。それも、一人で来るなんて・・・。自分でも、何をしたいのかよく分からなかった。
ときどき、教室や街中の人いきれに、がまんできなくなることがあった。目的があるのかないのか、人はみな、どこかに向かって進んでいくけれど、私には何の目的も見出せなかった。そんな世界をいっときでも飛び出して緑の中に埋没してしまえば、なにかが変わるかもしれない、などと淡い期待を抱いたのかもしれない。でも、そんなこと考えてもしょうがなかった。だって、現に今私は、深大寺の門の前に立っているのだから。
平日の昼間なだけあって、深大寺の境内に人影はあまりなかった。深く濃い緑は、母親の胎内のようにあたたかく、そしてやわらかく私を包んでくれる。東京に出てきてちょっと無理をしていたのかもしれない。緑が恋しくなっていた。緑の中に身をおくと故郷の山々を思い出して、山の情景と共に不思議な安寧が私を包んでいた。静かに目を閉じると、梢のささやきだけが私に話しかけてきてくれる。そんな時間に、しばしうっとりしていた。
どのくらい経っただろうか。うっすらと現実に戻りつつある私の意識に、なにかが働きかけてきた。ゆっくりまぶたを上げると、池のふちに三脚を立てて、ファインダー越しに水面をじっと見つめている人がいる。古い建造物には目もくれず、その人は水面に写るなにかに心奪われていた。
不思議だった。
その人の隣に立って、いっしょにファインダーを覗いてみたい衝動に駆られたからだった。静かにゆれる水面には、その一瞬一瞬に計り知れない顔と可能性が見えるから、私もつい、時間を忘れて見入ってしまうことがある。だから、気持ちの波が同じうねりを描いているのを感じたのかもしれない。ふと気がついたら、その人に声をかけていた。
「何が見えますか?」
なに、バカなことを聞いているんだろう、私・・・。それも、見知らぬ人に。いつもの私だったら考えられない。後悔したけど、幸運にもその人は一向に顔を上げる気配もなく、ファインダーを覗いたままだった。今のうち、ときびすを返したそのとき、
「おもしろいことを聞くんだね」
と、どこかとぼけた、やんちゃ坊主のような柔らかい声が私の背後から聞こえてきた。しまった、と思ったけれど、そのまま立ち去ることもできず・・・。恐る恐る振り返ると、声からは想像もできない、ひげ面でこわもてのその人がいた。
「ははは、そうですよね。わたしったら、なに言っちゃったんだろ。すみませんでした」
何を言えばよいのかわからなくて、引きつった笑顔になってしまったのが、自分でもよく分かる。どうしよう・・・と困っていたら、その人はおもむろにかばんを開けて、いくつかの写真を取り出した。
「別に謝ることでもないけどさ。よかったら、この写真見てみる?」
差し出された写真に写っていたのは、すべて水の写真だった。留まることなく流れる水の動きには、理性では制御できない、魔性の美がある。何もかも飲み込んでしまう、恐ろしさがある。きらきら輝く水面や、夕日を映した湖面などはなく、その人の写真にあったのは、憂いを秘めた水の流れだけだった。
結局その日は、素性のひとつも聞かずに別れてしまった。
そしてまた、単調な毎日が始まった。それでも、ふとした瞬間に思い出していた、あの日のあの出会いを。現実なのか夢なのか。それさえも分からないくらい遠くて曖昧な記憶しか残っていないけれど、いつまでも心の奥底にしがみついて離れない。なぜなのだろう。疑問符は常に私の胸の中でうずいていたけれど、気がついたら半年が過ぎていた。
もやもやした気持ちを引きずりながらも、それに気が付かない振りをしていた。なんだかちょっと、面倒だったのだ。自分でも、その気持ちのありどころを判断しかねていて、気が付かない振りをしているうちに、いつかは消えてなくなってしまうだろうと、安易に考えていた。
そんな時、ゼミ仲間でドライブに行くことになった。久しぶりの旅行に、日々とらわれていた鬱々とした気分もすっかりはれていた。
そんな気になっていた。それなのに・・・。
帰り道に偶然通りかかった、深大寺の前。突然、私は訳のわからない衝動に駆られていた。
「ここで降ろしてくれる?」
あわてたのは、ドライバーだ。
「いいけど、いきなり言われても・・・。ちょっと待ってよ。それにしても、こんなところで降りても、帰るのが大変なんじゃないの?」
不思議がる友人を尻目に、私はひとり深大寺山門前で降り、あの日のあの場所に向かっていた。
そこには、あの日と同じ場所でファインダーを覗く、彼がいた。すぐに気がついたけれど、名前も知らない彼に声をかけることもできず、遠くからその姿を眺めていた。彼は、あの日と同じように水面を見つめたままで、身じろぎひとつしない。すると、何かを察したのだろうか、突然振り向いてしまった。
「あれ?久しぶりだね。いつからそこにいるの?」
あの日と同じようにとぼけた声と、ちょっぴり驚いた表情。やっぱり引きつった笑いになってしまって、恥ずかしさを隠そうとうつむく私に、彼はカメラを向けた。
「やめてください」
口を開いたその瞬間、カシャというシャッター音が響いた。
その日から、何かが流れ出してしまった。いつのころからか、最初に出会ったあの日と同じ時間、同じ場所で会っていた。自然に、2人の向かう場所と互いを必要とする時間は一致していたから、特に約束をすることもなかった。深大寺境内を散歩して、植物公園まで足を伸ばすこともしばしば。公園の中で特に好きだったのは、池の中に凛として咲く蓮の花だった。蓮の花の前に立つと、自分を覆っていたベールがはがれていく。何のことばもいらない。時を忘れて、二人、寄り添うだけでよかった。
おもむろに、あなたは私を振り返る。何かを語ろうとするけど、その目がどこを見ているのかわからなくて、私は立ちすくんでしまうことがよくあった。私を見ているようでいて、本当はその先の何かを見つめている。そんなあなたの目に、いつも惹かれていた。
「どこを見てるの?」
「そんなこと、聞くもんじゃないだろ?」
同じ会話を何度繰り返したことだろう。私のことばに、あなたはいつも微笑みながら同じ答えを返す。
いつの頃からだろうか、花や池をぼーっと眺める私を、あなたはよくカメラに収めるようになった。何の前触れもなしに、ときどきカシャっとシャッター音が鳴る。突然取られるものだから、ろくな写真がない。
「またこんな顔してる・・・」
嫌がる私を楽しむかのような、いたずらっ子の笑顔。その笑顔を見ると、怒った顔もすぐにほころんでしまう。小さな争いごとも、2人の間を清く流れていくだけだった。
2人の時間が、彼にとってどのような意味を持っていたのかわからない。ただ一ついえるのは、その頃からはっきりと彼の撮る写真に変化が現れたことだった。どこか憂いを秘めた写真に、一筋の光が差し込み、映像全体を明るく照らし出すようになった。そのことに気がついたとき、私はなんとも言えない不安にかられた。私は、彼の隣にいてよいのだろうか?彼は、この先もずっと、私の隣で笑っていてくれるのだろうか?そんな疑問ばかりが、私を苦しめるようになった。
彼の中で何かが変わり、それは確かに私の存在に因っている。ファインダーを覗くその目は、私を見つめるその目に通じていた。だからわかるのかもしれない。私を見つめる彼の目に映っているのは、今では私そのものだから。その先を、彼は見ることができなくなっていた。
四季折々に咲く花のように、私もまた彼の四季の中でつぼみを膨らませ、花開き、そして散っていかなければならないのかもしれない。留まることを知らない水の流れのように、最後にはここから流れ出ていかなければならないのかもしれない。
離れていくことも時には必要なのだと、なんども自分に言い聞かせた。二つの流れは、交叉しても永遠の一筋にはなりえない。いまは、違う方向に向かうべきときなのだろう。それが、あなたがあなたであるために必要なことなんだ。いいじゃない。また出会い、交叉することもある。そんな時、自然に笑える自分でありたい。あなたと出逢って、素直に笑えるようになった自分でありたい。
今では、あなたという存在と巡り会えたことさえもまた、儚い夢物語のように思える。あなたの存在も、わたしという意識も、すべてが幻だったのだと・・・
変わらぬあなたの笑顔に、心の中で別れのキスをした。
何年後に、私たちは再びこの地で交叉するのだろうか。この深大寺で。
中山 琴音(千葉県市川市/31歳/女性/派遣社員)