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<第3回応募作品>「デートコースは深大寺」 著者:鈴美 輝

深大寺本堂の縁の下。
僕は泣いていた。
空も泣いていた。
どちらもいつ泣きやむのか分からない。
ずっとないていたらどうしよう。
そう不安に思ったとき、彼女が傘をさして迎えにきてくれた。
「お母さんが許してくれるって。一緒にうちに行こ?」

懐かしいにおいがする。
緑と木、そして土のにおい。
ここに来るたびにあの三年前のことを思い出す。
いま足りないものは一つだけ。
雨。それのにおい。
ふいに左から右に抜けるやわらかな風が吹いてきて、彼女の香りが通り抜けた。
左上を見ると、彼女は奥にある祭壇に手を合わせて願い事をしている。
肩口まである黒髪が風に揺れ、同じように白のカーディガンとスカートが揺れていた。
なにをお願いしているんだろう。僕は彼女とここへ来るたびに考えてしまう。一度、聞きたそうな顔をしていると、「誰かに言うとお願いが叶わなくなるんだって」と、やんわりと断られた。
だから僕は考える。彼女がなにをお願いしているか。だけど、その考えはいつも途中で終わってしまっていた。
「ごめんね、待たせちゃって。行こ、悠斗」
彼女の願い事が終わってしまうからだ。
僕たちは本堂を後にして来たときと同じ、山門から大通りに続く土産物通り(僕たちが勝手に呼んでいるだけだけど)に出た。
平日のここは人通りもまばらでゆったりと歩けるから好きだ。逆に休日や祝日は嫌いだった。蕎麦屋や甘味処、楽焼屋等に立ち並ぶ人たちで普通に歩くことさえもままならない。背の低い僕は人波に飲まれないようにして歩くのに精一杯で、彼女との散歩を楽しんでいる余裕がない。だから嫌いだ。
大通り――三鷹通りに出て左に向かう。僕たちの家は、この先にあるだらだらとした上り坂を登りきり、さらに奥に進んだところにある。
散歩となるといつもこのコースだ。他の道は歩道があんまり整備されてなくて車が歩行者のすぐ脇を通るから危ないと、たまにしか連れてってもらえない。
坂を上りきったところで、向こうから大きな犬が歩いてきた。半歩後ろには飼い主らしき人がいるけど、どう見ても犬に引っ張られているようにしか見えない。
彼女と飼い主らしき人は互いに挨拶を交わす。僕はといえば、
「ワンッ! ワンッ!」
すれ違いざまに吠えられてしまった。
「すみません・・・。こら、ダメでしょビリー!」
飼い主らしき人が犬を叱りながら紐を引っ張って犬を遠ざける。
「悠斗、怖くないの?」
ううん、と首を横に振って何事もなかったように僕は歩きだした。
そういえば、この散歩コースの途中、彼女が本堂でお願いをするようになったのはいつ頃だったろう。ほんのつい最近のような気もするし、結構前だったような気もする。
そういえば、同じ頃から彼女があんまり僕と遊んでくれなくなったような気がする。冷たくなったというよりも僕と遊ぶ時間が別の時間に取られてるんだと思う。
「・・・・・・」
なんだか腹立たしい。
イヤすぎてないてしまいそうだ。
僕と彼女が遊ぶ時間。
それを奪い取るヤツを僕は知っている。
アイツだ。
アイツと遊ぶ数日前、彼女はきまって嬉しそうな顔をする。そしてその顔は当日と遊びから帰ってきてその日が終わるまで続く。
哀しいことに彼女は数日前から嬉しそうな顔をしている。アイツと逢う日が近づいているに違いない。どうにかして彼女とアイツの遊びについていけないものだろうか。
別に何するというわけじゃないけど。アイツとの遊びがそんなに楽しいのか、僕は知りたかった。

数日後、僕はどうにかして彼女とアイツの遊びについていくことに成功した。
「・・・なぁ、さっちゃん。なんで悠斗がいるんだよ」
彼女の名前をアイツが呼んだ。
佐須 明海。だから、さっちゃん。
「たまにはいいでしょー。こんなデートも」
「まぁさっちゃんがいいって言うならいいけどさ」
「ならよし。――で、裕樹。今日はどこいく?」
「悠斗がいるからなぁ。そんな遠くまで行けないだろー。日曜だから深大寺は混んでるし・・・」
「調布駅まで歩く?」
困っているアイツの代わりに彼女が行き先を言った。それを聞いてアイツが、ゲッという顔をする。
「マジかよ・・・。遠くね?」
「いいじゃん。たまには私のダイエットに付き合ってよ」
「・・・おまえのどこに脂肪があるってんだよ。なあ悠斗?」
いきなり話を振られても困る。答えないでいると、アイツは小さく溜息をついた。
「ほら、悠斗も《どこに脂肪がついてんだ?》って顔してんじゃん。だいたい、おまえ体重いくつよ?」
「四十二キロ。――てか女の子に体重きく? ふつー」
「だったら答えるなよ・・・。ったく、別に俺は今のままのさっちゃんが好きだからダイエットなんかしなくていいと思うだけど」
「――っ! ばか」
「うわ。殴ることないだろ~」
「朝っぱらから甘ったるいセリフ言ってるからよ。ほら、調布駅まで行くの? 行かないの?」
「他にいい案もないし・・・。行きます、行きますよ」
そう言って歩き出す二人に僕は半歩遅れてついていった。少しだけ早足になってようやく彼女の右横に着く。アイツはというと彼女を挟んで左側を歩いていた。
整備されていない歩道の車が通る側を、彼女を守るようにして。
しばらくしてアイツが僕に話しかけてきた。
「なあ悠斗。どうせならもっと太った方がいいと思わないか? ――特に胸の辺り」
次の瞬間、アイツが車道に放り出された。

その日の夜。
僕は居間でテレビを見ている彼女の横に座り、テレビを見ている振りをしながら考えていた。
彼女がアイツといると嬉しそうな顔をするわけを。
答えは簡単だった。
僕が彼女を好きなように、彼女はアイツを好きで、アイツも彼女が好きで、お互いがお互いを好きなら、それは嬉しいことだろう。彼女がアイツに逢う数日前から見せる顔は、嬉しい顔なんかじゃなくて幸せな顔なんだと気づいてしまった。
悔しいけれど、彼女を一方的に好いている僕に、あの幸せそうな顔を向けられることはないだろう。
だって僕はまだ生まれてから三年しか生きていなくて、十五年も生きている彼女から見れば子供だ。恋愛対象として見られるわけがない。
ふいにテレビから流れる音が消えてなくなって、僕は考え事を中断した。見れば画面は真っ黒で鏡のように目の前にいるものを映していた。
そこには立ち上がる彼女とソファーに座っている小さな犬の姿。
あれ・・・? 僕は映ってないで、僕のいる場所に犬がいる・・・?
僕が首を傾げると、その犬も首を傾げた。
???
わけがわからない。
わからないけど、彼女が行ってしまったので僕は慌ててその後を追っていった。

いつもと同じ散歩コース。いつものように本堂で彼女がお願いをする。
そういえば、彼女が本堂でお願いをするようになったのはここで縁結びのお守りを買ってからのような気がする。彼女がなんのお願いをしていたのか分かったような気がした。

――二人の縁は結ばれたよ。悔しいけど。

報告してみて、あ、と思い出す。
僕と彼女との縁もここで結ばれたんだ。
雨の日、彼女がここに来て――

懐かしいにおいがする。
緑と木、そして土のにおい。
いま足りないものは一つだけ。
雨。それのにおい。
ふいに左から右に抜けるやわらかな風が吹いてきて、彼女の香りが通り抜けた。
「お待たせ。行こ、悠斗」
彼女に促されて、僕は本堂を後にした。

鈴美 輝(東京都豊島区/22歳/男性/介護士)

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