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<第3回応募作品>「清廉(せいれん)」 著者:石黒 隆士

 胸の奥が熱く疼いた。末期の痛みだろうが何故か懐かしい感覚に囚われた。それこそ何十年ぶりかに「ここ」に還って来たからか。ゲルマン系らしく能力的には極めて優秀だが、事務的な物言いしかしない専属ドクターが言うには「いつ逝ってもおかしくない。」らしい。自分の最期の地を、やはり「ここ」に求めてしまった事を認めざるを得ない様だ。
 三十数年前、逃げる様に渡米してから、ひたすら働いた。運もあったが、自分でもここまで上りつめられるとは思っていなかった。とにかく日本を、「ここ」を、そしてあの頃の自分とあの女を、頭から追い払いたかっただけだったのだが。その年は公共放送の大河ドラマが取り上げた「新撰組」ブームとやらで、ここ植物園にまで展示場ができている。時代の流れに抗った熱い男たち、その多くが若くして命を落とした。そんな彼らから見れば、自分は宗旨変えをして、代わりに富と名声を手にした変節漢と言う事になるのかもしれない。
 「おじいちゃん、大丈夫?」ふとかけられた可愛らしい声。母親に手を引かれた5歳位の女の子。「おじいちゃん」か。五月晴れの中、薔薇の芳香に眩暈を覚えそうなこの植物園の原色に近い美しさの中で、まだ60前だが、単身異国で勝ち得た富と名声の代わりに、自分の顔には深い無数の皴が刻まれていた。強壮を誇った長身は砂漠にただ一本残った枯れ木の様に朽ち果て、艶やかだった黒髪は面影も無く暗灰色だ。「本当に大丈夫ですか?病院にお連れしましょうか?すごく辛そう。うち、この近所のお蕎麦屋なので、よろしければちょっとお休みになられてはいかがですか?」上品で落ち着いた感じのする30歳位の母親。「いや、ご迷惑をかけては。」慌てて立ち上がるが胸の痛みで情けなくも蹲ってしまう。「だめです。本当にすぐ近くだから。」支える様にして歩き出す。ああ、どうか自分に構わんでくれ、と思いながらも、力なく体を預けるしかない枯れ木の自分。そう、「あの女」もどこか、いつもおせっかいだったっけ。
 1969年、大学闘争の真只中、激しく口論する男と女。「あなたの言う、熱い想い、だけでは人はまとまらないわ!」「おまえに何がわかる。女が政治の事に口を挟むな!」いつもこうだ。心の中では彼女の助けを常に渇望しているのに。信州の寒村から上京して来た自分は、沿線にある法科が有名な私大に通う為、ここ深大寺にある蕎麦屋に住み込みで寄宿させてもらっていた。そこの一人娘が奇しくも同じ大学同期の才媛、暁子だった。意志の強さを現す真直ぐな輝きを放つ瞳、華やかでハリウッド女優の様な容姿の一方、細やかで気が回り、明るく闊達な彼女は男子学生達の憧れの的だった。田舎から出て来て、何事にも負けず嫌い位しか取得の無か
った自分には眩し過ぎて、素直な想いが口をつく事はなかった。何事にも単純で、熱くなりやすい自分が、当時世の若者を熱くしていた「闘争」にのめり込むのは自明の理であった。そんな自分を、何故か理知的な暁子がいつもサポートしてくれた。
暁子の綿密な理論構成を、自分は代弁し、行動する形で、いつしか他大にも知られる「闘士のリーダー」となっていた。「いい?今はみんな熱くなっているからわからないでしょうけど、あなたも私も大人になって行くのよ。働いて生活をしていかなくてはならないわ。国を語る事も大切だけど、自分と自分の周りにもっと目を配ってよ!」「働くべき時が来たら働くさ。おまえ一人俺が食わせて行ける!」勢い余って口をついた言葉にハッとする。暁子も一瞬驚いた顔をしたが、何も言わず自分の胸に飛び込んで来た。胸の奥が熱く疼いた。不器用に暁子を抱きしめ、比翼の鳥が結ばれた様に満たされ眠りについた。
 「もう着いたよ、おじいちゃん!」女の子の声でふと我に返る。「ここは!」そうか、ここだったのか。建替えたのか、当時の店の面影も少ないが、清廉な湧き水をポンプ式の井戸で引いているここは忘れるべくもない、あの店だった。倒れこむ様に奥座敷に休ませてもらい、蕎麦湯を出された。そう、あの懐かしい香りと、心の昂ぶりなど全てを包み込む深い安らぎと。「お薬を飲む前に、胃にやさしいからうちの蕎麦湯は良いですよ。」若い母親が心配そうに声をかける。「あなたのご家族は?」「ここは祖父の代からのお店で、祖父は私がまだ幼い頃に亡くなり、母が女手一つで私を育ててくれました。その母も昨年の暮れに亡くなり。今は入り婿に来てもらった主人と切り盛りしていますのよ。」「君のお父さんは?」「母は父の事はあまり話しをしてくれませんでした。ただ、熱く真直ぐで不器用な人だった、とだけ。」そうだったのか。自分はまさに、何も知らずに、本当に守るべきものを残したまま故国を去ってしまっていたのだ。陳腐な言い方にはなるが、いよいよ「お迎え」という奴が来たらしい。本能的にそう悟った。「君のお母さんは幸せだったのだろうか。」「何故そんな事をお聞きになるのです?母はとても強い人でしたから。そう、清廉の水の様に、いつまでも変わらずに澱む事無く。」
 「ねえ、武。うちのお蕎麦はなんでおいしいと思う?」「それはお前、親父さんが名人だからだろう。」大きなデモの前日、ギラギラと暑い真夏の昼前、先の大戦で「撃墜王」の称号を欲しい儘にしたらしいが、一言も戦争については語った事の無い親父さんが黙々と、その無骨で大きな手でそば粉をこねる傍らで暁子が言った。「ううん。それはもちろんだけど、それだけじゃないの。」「寒く、けっして豊かとは言えない土地で育まれた強いそば粉に、全てを包み込む様な深大寺の清廉の水、この二つが水魚の様に交わるからおいしいのよ。」漢籍にも造詣の深い暁子が得意顔で言う。「ふーん、なるほどなあ。」この様な会話になると闘士と言われた自分もすっかり形無しだった。「武がそば粉なら、私が清廉の水になってあげる!」思わずうつむき黙り込むしかできない無骨な男二人。その夜の事であった。唐突に私服警官二人に率いられた警官隊が店を訪れ、有無を言わさず自分は連行された。明日のデモには何としても出なくては。仲間を裏切れない。「暁子!後の事は頼んだ。」絶叫する自分。取調べの中で、計画を事前に漏洩したのが誰あろう暁子であった事を知らされた。何故!拘束されている間のそのデモはかつて無い規模で、多くの仲間が傷つき、捕らえられたが、そこには暁子の姿はなかった様だ。後日釈放された自分は、店にも故郷にも戻らず、僅かな蓄えをはたいて振り切る様に渡米をした。自分の熱く、そして青かった恋と故国への想いへの決別の瞬間であった。
 まったくツテもアテも無く、ただ故国とあの女を超越できる可能性だけを求め、人種の坩堝のニューヨークに飛び込んだ。不法就労状態でイタリア系移民の経営するレストランの皿洗いから始めた。しかし生活費は切り詰め、移民にも門戸の広いビジネススクールに通い、貪欲に実業の世界でのし上がる機を狙った。英語も生活の中でいつしか母国語と変わらず使える様になっていった。そんな中、たまたま知遇を得た米国でも有数のユダヤ系金融グループの長が、東洋的精神主義への単なる憧憬なのか、亡国の虚無感からひたすらに足掻く野心の塊の様な自分を見出し、いたく気に入り、半ば強引に自分の娘を娶らせ養子とした。その金融グループの中で、自分は故国と暁子へ復讐でもするかの如く我武者羅に働き頭角を現した。日本のバブル崩壊期には、故国の企業を多数強引に買収し、日本では悪名を馳せた。そんな中、ふいに宣告された肺癌。余命幾ばくも無いと悟った私は、延命治療などの一切を拒み、グループの全権を最大の宿敵ではあったが、最も信頼もおける副社長に委ね、妻と子達にも何も告げず、単身この深大寺へと還って来た。暁子に会いたかった訳ではない。何故か、ただゆっくりとここで眠りたかっただけなのだが。
 そうだったのか。あの時、自分との間に子ができ、一人の女として、母として、私と、子供を守ろうとしての漏洩だったのか。女は明日の夢よりも、今日の現実を確かな糧として生きるという。私は暁子を失ってから、心の虚無を埋める様に仕事だけに打ち込んで来た。もう誰かを愛する事など無いと思っていた。ただ、暁子にも筆舌に尽くせない程の辛苦があっただろう。昨今では日々世界的にメディアを賑わかせていた私に、一切連絡も寄こさずに。嗚呼、嗚呼、それこそこの国を去って以来、流す事を忘れていた涙が滂沱の如く、枯れて水気のなくなった頬を流れて行った。「おじいちゃん、痛いの?」心配そうに女の子が自分の手を握りしめ覗き込む。「大丈夫だよ。君はなんていうお名前なの?」「廉(れん)だよ。男の子みたいに変わった名前でしょう?おばあちゃんが付けたの。お母さんが清(せい)、二人で『清廉(せい・れん』なんだって。難しいね。」
 嗚呼、自分の一生はなんて幸せな輝に満ち足りたものだったのだろうか。それこそ清廉な水の中にゆっくりと体を横たえられた様に、胸の痛みがスッと去った。「ありがとう廉ちゃん、ありがとう清さん。そしてありがとう、暁子。少しだけ、このまま眠らせてもらうよ。」「あなたは!?」驚いた母親の問いには、もう答えられる自分はいなかった。ただ、ただ静かに流れる清廉の水音だけを聴きながら、比翼の鳥の翼がもう一度、三十余年ぶりにつながり、天へとゆるやかに羽ばたいていった瞬間であった。

石黒 隆士(東京都調布市/38歳/男性/会社員)

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