*

<第3回応募作品>「恋の土鈴」 著者:平岡 なを

 「よかったら一緒に深大寺で土鈴を作りませんか。来週までに考えておいてください」
 授業の帰りがけに村岡篤史からそう言われた時、佐伯由香は、奴隷? いや、土鈴だよね・・・・・・それにしても、この人、なんて古臭いんだろう、と思った。
 最初のデートで土鈴作りなんてあり得ない。普通は渋谷とか六本木で映画からでしょ、と呆れもしたが、すぐに考え直した。
 私、何を期待してるんだろう。村岡くんはただの友達、好きに言わせておこう。どうせ自分には関係ないし。だいたい深大寺ってどこにあるの?
 横浜に住んでいる由香にとって、深大寺はあまり馴染みのないお寺だった。
 そういえば深大寺蕎麦が有名だっけ。まあ、いいや、とりあえずお断りしよう。
 次の週の授業で篤史と顔を合わせた由香は少し気まずかったが思い切って言った。
「私には土鈴はちょっと無理です・・・・・・」
 篤史は予想より遥かにあっさり「そうですか」と答えた。そして、由香のすまなさそうな表情をどう捉えたのかわからないが、
「それじゃ、深大寺植物園なら?」
と切り返してきた。由香は再度戸惑った。
植物園?それもパスだわ、と心の内で即行却下。なのに篤史は「返事は来週で」なんて言う。いったいどういう人なんだろう。
 由香はすかさず「それも無理です」と答えていた。そこで初めて篤史の顔が悲しそうな表情に変わったのがわかった。
 村岡くん、ごめんなさい。だけどあなたって、いつもどうしてそんなに垢抜けない服装なの? それじゃまるで秋葉原のオタクじゃない? 「シャツ・イン・リュック」は勘弁です。
 由香の弟が教えてくれた言葉だった。「シャツ・イン・リュック」とは、シャツのスソをしっかりズボンの中に入れ、リュックを背負って歩いている方々だそうだ。自分がそんな人と並んで歩くなんて・・・・・・
 篤史はよく見れば、顔立ちもそれなりに整っているし、どこか育ちの良さも感じられる。
 篤史の実家は萩にあり、なんでも旧家らしい。周囲にお寺が多い環境で育ったせいか、木立に囲まれたお寺が好きで、以前、東京では深大寺周辺のたたずまいが一番落ち着くのだと話してくれたことがあった。
 そこへ由香を案内しようとして、彼は思い切り失敗したのだ。
 由香が篤史と知り合ったのは、大学三年になって入った国文科のゼミでだったが、特に親しいという訳ではなかった。ただ篤史には人を安心させる雰囲気があった。
 それでも、やはり土鈴作りや植物園は、由香にとって、あまり嬉しくなかった。
 篤史はそれからゼミで顔を合わせても何も誘わなくなったし、由香には注意を払っていないように見えた。由香はこれで一件落着したと安心していた。
 ところがあるとき、由香が学食でサークル仲間と遅い昼を食べていると、篤史が大きな紙袋を持って近づいてきた。
「佐伯さん、ここにいたんですね」
 由香に白い歯を見せながら屈託なく話しかけてくる篤史。由香の中には、土鈴作りや植物園を断ったきまずさと、それにもめげない彼の強さに少し驚く気持ちがあった。
「なにか?」
「これ、萩の夏みかんなんです。食べてください。美味しいですよ」
 篤史は紙袋の中から大きくてごつごつした夏みかんの玉を一個取り出し、由香の目の前に置いた。由香はしばし呆然とそれをみつめてしまった。内心はかなりのパニック。
 こんな立派な夏みかん、見たことがない。だけどね、私がどうしてここで夏みかんをもらわなくちゃいけないの? 恥ずかしい。
 その時、由香の横で篤史と夏みかんを交互に眺めながら、友人の真奈美がキツネにつままれたような顔をしていた。彼女はこう思っていたに違いない。
「やだ、このダサい人、由香の知り合いなの?」
 少なくとも篤史は由香たちのテニスサークル仲間にはいないタイプの学生だった。
 学食に白昼堂々、夏みかんなどという柑橘系ではマイナーな果物を持ち込むのだから只者ではない。どうせならオレンジとかグレープフルーツにして欲しかった。それならまだ救いの余地があったというものを。
「あ、村岡くん、ありがと」
 由香はやっとの思いで一言発したが、そのあとが続かない。篤史はそんな由香の困惑を全く解さず
「この中にいっぱい入ってるんですよ。実家から送ってきたんです」
 と紙袋を由香に押し付けてきた。由香にはもうそれをはねつける気力がなかった。袋の重みに負けたのかもしれない。夏みかんが七、八個は入っていたと思う。
 ああ、これじゃ、まるで近所のオバチャンたちのお付き合いじゃない。
 そのときだった。テニスサークルの王子様的存在で学内でも人気者の前島裕太が爽やかに現れたのだ。空気が一瞬にして変わる。
「あ、前島くん!」
 真奈美が叫んだ。その言葉に周囲も前島を見る。都会的に洗練された前島がいつのまにか「シャツ・イン・リュック」の篤史の横に来ていた。あり得ないツーショット。
「ねえ、みんな、これからお茶でも行かない?」
 少し沈黙があったが、二、三人が立ち上がる。
「行きましょう、前島くん!」
 真奈美が努めて明るく言った。
 ところが、由香は立とうにも、ひざの上の夏みかんが重石となって、すぐには立てなかった。仮に立ったとしても、そんな荷物を持って王子様とお茶なんて、自分の美学に反する。紙袋の柄も素敵過ぎた。
 もう、村岡くんったら・・・・・・
 気づけば由香は独り学食に取り残されていた。篤史もいつの間にか消えて、テーブルの上の夏みかんが、そのごつごつした肌を西日にさらしていた。
 自宅にたどり着くと、由香は夏みかんをリビングのテーブルの上に置いた。
「ふう・・・・・・」
「どうしたの、これ?」
 由香の母がけげんそうに尋ねてきた。
「うん、ちょっとねー」
「いまどき、珍しいじゃない。これ、きっと美味しいわよ」
「ええ?」
 由香は耳を疑った。篤史も同じように言っていたからだ。
 形がまちまちな夏みかんを大きい順に並べたら、ロシアのマトリョーシカ人形みたいになった。なかなか愛嬌のある姿だ。
 母がその中から一つを手に取って、ナイフで器用に皮をむいていく。ずいぶんと厚い皮だ。由香は母の手元にみとれた。やがてみずみずしい果肉が現れ、思わずツバを飲み込んでいたら、携帯が鳴った。由香はあわててバッグから携帯を取り出す。真奈美からメールが届いていた。
(さっきの夏みかん騒動の話題で王子様もカフェラテを飲みながら大笑い。ウチの大学にもあんなダサい奴がいたんだなって。あの人、誰なの?由香も大変だね)
 どうしてか、由香はそこで猛烈に腹が立ってきた。
 ひどい。誰がどんな権利があって村岡くんのことをけなすの?
「由香、夏みかんがむけたわよ」
 いつのまにかテーブルの皿に綺麗な黄色い房がぎっしり並んでいた。
由香は恐る恐るその一つを口に含んだ。
「うう、すっぱい」
母の目が笑った。
「それが美味しいんじゃない」
母の口ぶりは妙に自信ありげだった。
「由香がお腹にいたとき、よく夏みかんを買ってきて食べたものよ。こんなに立派なのじゃなかったけど」
 そうか、私は生まれる前から夏みかんにお世話になっていたのか、と由香は不思議な縁を感じた。
 それから数ヶ月が過ぎたある日、由香の足は深大寺へと向いていた。
 雨がそぼ降るウィークデー。由香は調布駅から独り深大寺行きのバスに乗った。
 窓の外をぼーっと眺めていたら、深大寺入口のバス停を通り過ぎてしまい、あわててブザーを押して深大寺植物園で下車した。
 凛とした静寂に包まれた緑の森。由香はその気高さに引き込まれた。
 ここだったんだ、植物園って・・・・・・
 赤い傘をさしながら由香は入場券を買って中へ入っていった。
 フラワーボックスが整然と並んでいる。ずいぶんと手入れの行き届いた空間だ。雨に濡れた木立も美しい。
 由香はとうとう自発的にここまで来てしまったのだ。
 村岡くん・・・・・・
 由香は急に篤史が恋しく思えてきて、辺りをキョロキョロ見回した。
 居る訳ないよね・・・・・・
 その翌週、深大寺の門前にある焼き物屋さんで仲良く並んで土鈴に絵付けしている篤史と由香の姿があった。
「村岡くん、それ何の花?」
 篤史の手元をのぞきながら由香が聞く。
「夏みかんの花」
「へえー。そんなのあるんだ」
「やだなー、花があるから実もあるんだよ」

平岡 なを(神奈川県横浜市/51歳/女性/主婦)

   - 第3回応募作品