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【第10回】「縁のかど」著者:石川恭子

家を建てた。
結婚して五年。夫は今年で三十三歳。定年までにローンを返済することが今後の課題だ。
三歳になる息子は、先月完成したばかりの新居にまだ馴染めないようで、ずっと夫か私のそばについてまわっている。
幸せだ。心からそう思う。
新居にあわせて購入した棚が今日到着した。
白い壁によくあう木目の美しい棚に、私は写真をたてかけた。
写真の中では、白無垢姿の私と和装の夫が並んでいる。
これは五年前、深大寺で挙式をした時の写真だ。
「きよ香。今更だけど、君は本当にそれでよかったのか?」
夫が唐突に、背後からそう声をかけてきた。
振り向きつつ、一瞬なんのことかと首を傾げて、私は「ああ」と頷いた。
夫の視線は写真に注がれている。
私は、チャペルで挙式をするのが夢だった。
真っ白のウェディングドレスをきてバージンロードを歩くことに憧れていた。
当時、挙式会場の候補は三つまで絞っていて、最有力候補は海沿いのチャペルだったのだ。
結婚式に夢をはせ、胸をふくらませる様子を間近でみていた夫は、いまだに私が突然深大寺で挙式をあげたいと言い出したことを疑問に思っているのだ。
私は写真をまじまじとみつめ、微笑んだ。
「良かったの」
***
一八歳の時、私は第一志望の大学に落ちた。
結果、滑り止めに受けた大学に通うことになった。
通う大学から志望する企業への就職は困難で、周りに流されるように教員免許を取り、運良く地元の小学校に就職できた。
けれど教員という職業は私にあわず、四年目で退職した。
退職したのは、いわゆる就職氷河期と言われる時だった。
事務員を目指したが、未経験の自分を正社員で雇ってくれる会社は地元になく、派遣社員を選んだ。
そのとき同期で入ったのが、沙織という女性だった。
私は二年そこに勤めたが、沙織は一ヶ月で辞めた。
彼女とは気があって、退職後も何度か飲みにいった。
ある日、沙織がいい店を見つけたと連れて行ってくれたバー。私ひとりでは到底入れないようなお洒落なそのお店に敦がいた。
***
敦は東京の人だった。
長期休暇で一人旅に出ており、宿の近くでたまたま見つけた店に、ふらりと立ち寄ったのだという。
敦とはすぐに意気投合し、新幹線で二時間の距離に多少迷いつつも、恋人になった。そして一年後、プロポーズされた。応えることに迷いはなかった。
特別ロマンチックな出会いではないし、エピソードもない。
けれど、私の人生のどこが欠けても敦には出会えなかった。
だから私は、これを運命だと思った。
結婚したら、私が東京に行くことは決まっていた。
その覚悟というわけではないけれど、挙式も披露宴も東京でしようと決めた。
私が親しい友人を招くのに対し、彼は会社関係者が多かったのも理由の一つだ。
挙式会場の下見を兼ねてデートしていたある日、敦が急に深大寺によりたいと言い出した。
「今の時期紅葉がとても綺麗で、おいしいお蕎麦さんもあるんだ」
そういう彼に連れられてきた深大寺は、確かにとても綺麗な場所だった。
参道沿いに立ちならぶ蕎麦屋の暖簾が風になびく。鼻をくすぐる香ばしいかおりはおやきだろうか。時おり顔に落ちる影に上を向けば、見事に色づいた紅葉が青空を覆う。
お蕎麦の前にまずはお参りをしようという敦に従い、私たちは本堂を目指した。
「深大寺には、恋物語が残っていてね。縁結びの所以があるらしいよ」
参拝の道中、敦がそんな話を私を聞かせた。
空腹をこらえて参道を進んでいた私は、話半分に頷く。そして気を紛らわせようと、適当な質問を返した。
「ねえ、『縁』って何だと思う?」
「……いきなり難しい質問をするね」
「別に、そんな真剣に考えないでよ」
私の言葉を聞いてか聞かずか、敦は「うーん」と考えこんだ。
「そうだな……。今日はまだ知らない、誰かがいる明日をつくる力、かなあ」
「明日?」
「そう。名前も顔も知らなかった君が、ぼくの未来に立っている。そういう大切な……かけがえのない誰かがいる明日を作る力」
それを縁と呼ぶんじゃないかな?
そう続けた敦の言葉が、すとんと、私の胸に落ちた。
私が運命だと感じた力。それを『縁』と呼ぶのか。
深大寺に残る昔語りのようなドラマチックな話は私たちにはないけれど、私と敦も不思議な『縁結び』の力でここにいるのではないか。
「実は昔からここには家族でよくお参りにきててさ。深大寺の縁結びの力で君に出会えたんじゃないかって勝手に信じてて。それでお礼を言いたいのもあって、今日はここに誘ったんだよな」
照れたように敦がいう。
「私も……」
「うん?」
「私も感謝したい」
「うん。ちゃんとお参りしよう」
私の言葉に、優しく敦が笑う。
そのとき感じた不思議な感覚を、どう表現すればよいのだろう。
もう一度この人生をやりなおしても、ここにくればまた敦と出会えるんじゃないか。
縁を結ぶこの場所は、敦がいる明日をひらく門(かど)なのだ。
そう考えたとき、私は自然と、深大寺で挙式をしたいと思っていた。
***
「だって君は、ウェディングドレスを着てバージンロードを歩くのが夢だって言ってたし。ぼくが深大寺で縁を結んでもらったって話をしたから気を使ったんじゃないかって思って……」
ずっと気にしていたのだろうか。
ぽつぽつと語る敦に、私はそっとほほ笑んだ。
「深大寺でよかったの。今も、そう思ってる」
だって、と静かに言葉を続ける。
「私、本当に幸せなんだもの」
海の見えるチャペルも、ウエディングドレスで歩くバージンロードも素敵だけど。
私は大切な『誰か』へ続く参道を、あなたと歩きたかったのだから。

石川 恭子(愛知県)

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