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【第10回】「長いつきあい‐So long Good-bi」著者:木村光治子

吉井佳樹は相棒からヨシと呼ばれていたが、それは名字にちなんでなのか名前にちなんでなのか、はたまた、おあずけを解除する時の合図なのかは判然としない。
ヨシは来年の一月に成人式を迎えるが、生まれてこのかた女性と付き合ったことがなかった。ただし、相棒を勘定に入れなければの話だ。相棒の針谷まりやは、ヨシと同い年で家も隣だった。おまけに小中高はおろか大学も一緒で、地元の電通大に通っていた。
美人の幼馴染がいるってどんな気持ちかとサークル仲間に訊かれたことがあるが、ヨシに特別な感慨はない。幼馴染がどんなに美人だろうが、恋人として交際しているわけじゃない。現状では手すら握る機会がないのだ。
とは言え、高校生になったばかりの頃、ヨシは思い余って一度だけ、直球勝負で彼女に尋ねたことがある。
「ハリヤにとって俺って、なんなの?」
「商売道具ね」と針谷は即答した。
二人は昔からものを作るのが好きで将来一緒の設計事務所を持とうと約束していた。この約束は小学校時代からのものだったが未だにぶれず、だからこそ工学科に進学したという背景もあった。
「それだけ?ほかには?」ヨシは何か別の言葉を引き出したくて質問を重ねたが
「それで充分でしょ」と針谷はきっぱり言った。「例えばそうね、恋人を大事にするのは初めのうちだけかもしれないけど、商売道具はその商売をしてる限り大事にするでしょう。それってすごく良いと思わない?」
俺なら、ハリヤが彼女になってくれたら、ずっとずっと大事にするのに!ヨシは声を大にしてそう言いたかったが、実際には、せめて相棒くらいにしてくれないかと頼むのが精一杯だった。以来、ふたりの間柄は幼馴染から公式に『相棒』となった。特に何が変わったわけでもなかったが。
針谷はすらりとした長身で、端整な顔立ちをしていた。それにもまして美しいのは彼女の立ち姿だった。立ち居振る舞いもきびきびしていて、周囲の人々はその姿を見るだけで小気味良かった。一方ヨシは、身長は平均だが全体に丸っこくて、どんくさいように見える。顔も特徴がなく十人並みである。将来はげそうもないことだけが慰めだ。二人が並んで歩いていると、相棒というよりは「姫様とその従者」みたいに見えるんじゃないかと、ヨシは少なからず自虐的に考えている。まちがっても恋人同士とは思われないだろう。
ヨシのつまらない未来予想では、ある日針谷がナイスガイを自分の前に連れて来て言う。
『彼と付き合うことにしたけど、ヨシが仕事仲間だってことに変わりはないから、これからもよろしくね』と、にっこり笑いながら。
ヨシは相棒との間に決定的な隙間ができるであろうそのXディが、一日でも遅く来るよう祈りながら過ごしていた。
しかし、その日は意外な形でやって来た。十一月の最後の金曜日、午後の授業のない二人が、学食で遅いランチをとっていた時のことだった。珍しく早く食べ終わった針谷が、スマホの画面をみながら言った。
「ヨシ、わたし、一級建築士の資格とることにした」
「え?だって、うちの大学は施工管理技士の資格は取れるけど、建築士になれるコースは無いよ」
「本女の三年次編入試験に受かったの」  針谷は僕にスマホを向けながら
「今日の正午から合格発表だったんだけど。これ、わたしの受験番号」と合否確認サイトらしき画面の一点を指した。
「い、いつ編入試験なんて受けたんだ。なんで黙ってたの」
「試験は先週。黙ってたのはなんとなく。でもずっと考えてたことなの。わたし達の事務所には建築士も施工管理技士も必要だよ」
「建築士資格が必要な仕事は外注にしようって決めてたじゃないか」
「それはやっぱり現実的じゃないもの。建築士のいない設計事務所なんて。ヨシだって、ほんとはそう思ってたでしょう?」
「だけど……」
「わたし、編入手続きの準備があるから先に行くね」
針谷はさっさと二人分のランチトレーを一つにまとめて立ち上がった。ヨシがショックで動く事も出来ず、そのきびきびした背中をただ見送っていると、トレーを返却した針谷が戻ってきて、鬼太郎茶屋のシールのついたミニボトルを彼の前にコトリと置いた。
「二人で祝杯を上げようと思ってたんだけど、あげるわ。二十歳の誕生日、おめでとう」
「鬼太郎茶屋に酒なんか置いてあったか?」
ヨシはもう、いろいろ手一杯で、本当はもっと言わなくちゃならない大事なことがあるのにと焦りながら、どうでもいいようなことを口走っていた。
「鬼太郎茶屋で買ったのはシールだけよ」
そっちか!そっちなのか……ヨシが唖然としている間に今度こそ本当に針谷は立ち去ってしまい、ヨシはひとり、ミニボトルと共に残された。これまで針谷からの誕生日プレゼントと言えば、彼女が使い倒した玩具をくれるのが幼い頃からの通例になっていた。さすがに二十歳ともなれば酒なのか?
ヨシは去年もらった「ぼよよん銃」を思い出した。引き金を引くと紐のついたスポンジ玉が前方へ飛ぶ代物だ。紐を手繰って玉を再接続すればまた撃てる。銃にはもうひと工夫あって、発射した瞬間ボヨヨ~ンという間の抜けた音が鳴る仕組みになっていた。しかし、もらった時点ですでに、「ガリガリ」というノイズがかすかに聞こえるのみになっていた。針谷は銃を相当ぶっ放してきたらしく、センサーが壊れて反応しなくなっていたのだ。
今年は二十歳という節目だけあってどんな玩具をもらえるのか密かに楽しみにしていたのに。来年の春からは別々の大学、今年からもらえない玩具。針谷は何と言ったか。『先に行くね』そう言った。『二十歳の誕生日、おめでとう』とも。でも、いろいろと違うぞ、ハリヤ。第一、俺の誕生日は明日だ!
ヨシはミニボトルを勢いよく開けてぐいと飲み干し、空瓶をポケットにねじ込んで駆け出した。針谷を追いかけてのことではない。このまま座っていたら泣き出してしまいそうだったからだ。学食を出て大学の東門を出て三鷹通りを北上して走りに走った。もうメロスにでもなった気持で走った。ただしヨシメロスにはシラクスの町で待つセリヌンティウスはいない。先に行ってしまう相棒がいるばかりだ。一キロ半も走ると、さすがに息が上がってきた。二人が一緒に通った深大寺小学校の信号も見えてきた。あの信号を左に曲がれば蕎麦屋の連なる深大寺通りだ。深大寺の蕎麦屋にハズレはないが、ヨシは祖父の代から懇意にしている紅葉屋の前で走るのをやめた。紅葉屋の軒先には少し遅めだが、その名のとおり紅葉が今を盛りと色づいていた。その鮮やかさに一瞬はっとしながら、引き戸を開けて中に入った……までは覚えている。

「連絡ありがとうございます。商売道具を引取にきました」
遠くで針谷の声がするなと思ったら、その本人にゆり起こされた。
「ほら、起きて起きて。もう夜の七時よ!」
衝立に囲われた小上がりの隅でヨシは目覚めた。目の前にほっとしたような針谷の顔があった。ヨシと目が合うと彼女は微笑んだ。なんてきれいなんだろう、とヨシは改めて思った。おまけにとても優しい。
「未成年が酒なんか飲んじゃ駄目じゃない」
「酒をくれた本人がよく言うよ」
「まさか、あの七十ミリのミニボトルだけで酔いつぶれたんじゃないわよね?」
「一気に飲んですぐ全力疾走したんだ。『少しずつ沈んでゆく太陽の十倍も速く走った』」
『走れメロス』の一節を引用したのがピンときた相棒は、バッグから全長二十糎ほどの小さなプラスティックハンマーを取り出し、「太宰か?」とツッコミながらヨシの頭を軽く打った。ピコっと軽快な音がした。
「誕生日イヴおめでとう。はい、これ、ほんとの誕生日プレゼント」
針谷はもう一度ヨシの頭にピコっとやってから、リボンのついたハンマーを彼に渡した。
 二人は紅葉屋の親父さんに丁寧に礼を言って店を出た。しばらく歩くとヨシが言った。
「親父さん、良い人だよね。でもなんでハリヤに連絡してくれたのかな」
「うち、あそこから出前とるから電話番号知ってたんだと思うけど」
「いや、俺んちの番号だって知ってるのに、なんで君の家に電話したかってことだよ」
「ハリヤハリヤって泣きながら連呼してたから、みかねたんですって」
 ヨシは真っ赤になってその後すぐ蒼ざめた。
「う、嘘だろ?ね、嘘だよね?」
「本当よ。本当に本気でわたしは、二人の事務所のことを考えているの。わたしは一生仕事をするつもりよ。何度も言ったけど、商売道具はその商売をしてる限り大事にし続けるものなの!わたしにとっては一生!一生商売道具を大切にするって言ってるのに!」
「質問の答えになってないけど、なんか今、すごく嬉しいこと言ってくれたんだよね」
ヨシは彼女の名を呼んで、そっと手を握った。彼女はすぐにその手を振り払った。
「まりやって呼ぶなって言ったでしょ!」
「なんで?君の名前じゃないか?」
「なれなれしいわ、商売道具のくせに」
「そりゃないだろ」
ヨシがしょんぼりしていると、くすりと笑って、針谷のほうから手を差し出した。
「手をつないでヨシ」
「わん」              

木村 光治子(千葉県佐倉市/46歳/女性/会社員)

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