【第10回公募】「蕎麦は嫌い」著者:川原浩司
小さい頃から、蕎麦という食べ物は嫌いだ。
別にそれほど嫌悪感を抱いているわけではない。ただ、両親が元々九州の出身で我が家の食卓には蕎麦よりうどんの方がよく並んでいたことと、学校の給食でも麺と言えば蕎麦ではなくうどんが出ていたことで、蕎麦そのものをさほど口にする機会が少なかったため、僕の味の記憶にそれを好きになるほどの馴染みがなかっただけかもしれない。
蕎麦を好きだと思えるようになったのは大学生の頃。その頃は毎週のように深大寺へ赴いては周辺の蕎麦屋を食べ歩きしていた。
別に好きで行っていたわけではない。深大寺散策と蕎麦の食べ歩きは彼女の一方的な趣味だった。僕はというと、彼女に少しでもいい印象を持ってもらうために、蕎麦が苦手なことを隠してそれに付き合っていた。
付き合った当初から、僕らの週末のデートコースはそう決まっていた。約束事だったわけではない。平日は授業やバイトで忙しく、遠出ができる週末はというと、蕎麦が好きで食べ歩きしたい、という彼女の希望に、僕が異を唱えなかったから、それが自然な成り行きとなっただけだ。
夏に初めて二人で深大寺に行った時、バスを降りて右も左もわからない僕らは、とりあえず人の流れを追うようにして勘で歩いた。
案内所のような小屋を見つけると、すぐさま周辺マップを手に入れ、その場で開いてみると、すぐに彼女が目を輝かせて歓声を上げた。
「見て見て。すごい、蕎麦屋さんがこんなにある」
言いながら彼女はマップ上の蕎麦屋を指で数え始めた。
「ほんとだ。確かにここに来るまでも何軒かあったみたいだけど、こんなにあるんだね」
僕は素直に驚いていた。事前に彼女から、深大寺というところの周辺には蕎麦屋がたくさんあるらしい、とは聞いていたが、まさかこの限られた区域にこれほどの数の蕎麦屋があろうとは、想像以上だった。
「ほら、言ったでしょう? だから来てみたかったんだよね」
少し得意げに、彼女は言った。
マップを頼りに蕎麦屋を見て回り、散々迷いながらも、決めたのは結局一番の行列ができている店だった。店の敷地を飛び出して、歩道の方にまで十数メートルほどの列が伸びている。それほど大きな店ではなかったが、古民家風の造りで、側を流れる用水路には大きな水車があり、よりいっそうの風情を感じさせた。夏の太陽光がちらちらと肌に触れてきて暑さも感じたが、歩道に沿って植えられた木々が行列客の頭上を覆い囲ってくれていたおかげで、並んでいた大抵の間は太陽からのちょっかいを受けずにすんだ。
三〇分ほど並んだところで、席に案内された。メニューを見ながら周囲の様子を窺っていると、暑さのせいもあってか、ざる蕎麦が人気のようだった。彼女はもうメニューを見る前からざる蕎麦と決めていたようだが、僕は天ぷら付きのざる蕎麦を注文した。苦手意識の強い蕎麦だけを食べるのは勇気がいる。少々値は張ったが、味の逃げ道を用意しておきたかったのだ。
蕎麦が目の前に運ばれてくると、彼女は手を叩いて喜んだ。そして早速割り箸を手に取ると、数本の蕎麦を持ち上げ、つゆにはつけず、そのまま静かにすすった。僕はその様子を驚いて見つめていた。
「つゆつけずに蕎麦食べるの?」
僕が尋ねると、彼女は勝ち誇ったような顔で、
「これが通の食べ方ってやつよ。最初はつゆも何もつけずに、蕎麦本来の味と香りを確かめるの」
通。これが蕎麦好きを公言する人の食べ方なのか、と僕が感心していると、彼女は途端に照れくさそうに笑った。
「なんてね。こないだテレビで見た受け売り。何もつけずに食べるの、実は初めて」
肩すかしをくらったような気分だった。少しほっとしてもいたが。
「じゃあ、初めてそのまま食べた感想は?」
僕の問いに、彼女はしばし考え込むような仕草で答えた。
「やっぱり、つゆにつけた方が好きだなぁ。私にはまだ通の食べ方は早いみたい」
そう言って笑った。
僕も自分の蕎麦を、しっかりとつゆにつけてすすった。悪くない、と思った。
食べ歩きを続けるうちに、蕎麦が好きになっていった。
彼女は蕎麦についてもいろいろ教えてくれた。
「蕎麦ってね、ほんとに健康にいいんだよ。ビタミンとか食物繊維も豊富だし、ルチンっていう成分が最も特徴的なんだけど、生活習慣病の予防にいいんだって」
こんな栄養うんちくや、蕎麦の作り方だって教えてくれた。
「うどんと蕎麦ってね、作り方が少し違うんだって。うどんは生地をこねてしばらく寝かせるんだけど、蕎麦はすぐに伸ばすの。そうしないと蕎麦の香りが飛んでしまうから」
よく知っている口ぶりだったので、自分でも作ることがあるのか聞いてみたが、答えはノーだった。やっぱりこれもテレビやネットの受け売りらしい。彼女はまた照れくさそうに笑ったが、それだけ蕎麦が好きなことに間違いはないらしい。そう思った。
付き合って約一年が経った頃、彼女から別れを切り出された。その頃にはさすがに毎週のようには蕎麦を食べ歩くことはしていなかったが、それでもいつものように、僕らは蕎麦屋にいた。
彼女は相変わらずざる蕎麦を注文し、僕もいつしか天ぷらを頼むのを止め、彼女と同じざる蕎麦を注文するようになっていた。
彼女は初めて一緒に蕎麦を食べた時と同じように、最初の一口をつゆにつけず、そのまますすった。その後はきっちりつゆにつけた蕎麦を、静かに、だけど手を止めることなく食べきった。
僕はその様子をじっと、たまにうつむくように視線を落としながら見ていた。何か話したかもしれないが、正直覚えていない。
彼女が最後にありがとう、と言って立ち去ったのは覚えている。それからのことも、よく覚えている。
彼女がいなくなってから、ようやく目の前の蕎麦に手を付けた。少し乾いて張り付き始めた蕎麦を、思い切りつゆに浸して食べた。
久しぶりに、嫌いな蕎麦の味がした。
あの時の蕎麦は最後まで食べきったけど、結局最後まで嫌いだった。
それからしばらく蕎麦は食べていなかったが、今日久しぶりに深大寺を訪れたので蕎麦屋に入ってみた。水車のない店だった。
ざる蕎麦だけを注文する。ほどなくして目の前に蕎麦が置かれた。
最初の一口を箸で持ち上げた時、通の食べ方が、一瞬頭をよぎった。
しかし僕はその蕎麦を、思い切りつゆの中に浸した。僕は通ではない。
久しぶりに食べた蕎麦の味は、やはり僕の記憶に長い間居座っていた、嫌いな蕎麦の味だった。
どうしてまた嫌いになったのだろうか。あの時、あの一年の間に食べていた蕎麦を、僕は確かに好きだった。
僕は二口目の蕎麦に手を伸ばした。
いや、そんなのは自分自身、とっくにわかっていたことだ。僕は蕎麦の味を好きになっていたのではない、蕎麦の香りを好きになっていたのではない、ましてや蕎麦屋の雰囲気であるはずもない。
僕は彼女と食べる蕎麦が好きだった。僕は蕎麦の香りに包まれていたのではなく、彼女の香りに包まれていた。蕎麦を味わっていたのではなく、彼女の存在を、彼女といるその空間を、味わい、噛みしめていた。それはこれ以上ない、幸福感だった。
彼女を知れば知るほど、おいしい蕎麦だった。彼女を失って、その味も失った。
今さら確かめるように蕎麦を食べなくても、わかりきっていたことだ。
目の前の蕎麦を全て食べきって、店を出た。
あの時食べた水車の蕎麦屋は、目の前にあった。
久しぶりに食べた蕎麦の、さわやかな余韻が僕の中に佇んでいた。
蕎麦が好きなのか嫌いなのか、正直僕はまだ迷っている。
川原 浩司(東京都小金井市/30歳/男性/会社員)