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<第6回応募作品>「なつかしい笑顔」 著者:桜井 あや

「え?また行ってきたの?」
「だって恋愛運アップにいいってテレビでやっていたもん」
と2杯目のジョッキを空けた。手当たり次第にパワースポットと呼ばれるところに行く友人のアヤは、今のところまだ効果は出てないようだった。
「そう言えば、深大寺って聞いたことある?縁結びのお寺だって、行ってみない?この間もあんたの彼氏、浮気していたよね!あんな男やめやめ!ホント見てられないよ!」
アヤが乱暴にジョッキを置いた。私のことを「あんた」呼ばわりする時は酔っぱらっている証拠だけれど、言っていることは正論だった。
付き合っていた私の彼は、半ば当たり前のように浮気をしていて、それを許している私の感覚も麻痺をしていた。アヤの言うとおり気分転換も必要だなと深大寺へ行くことにした。

深大寺に降りると東京とは思えないほど緑の青々した匂いと涼やかな風が吹いていた。参道を歩いていくと茅葺き造りの山門が見えてきた。山門をくぐり、まず本堂へと足を運び、さっそく縁結びの神様にお参りをすませた。境内には今でも撞いている鐘楼や、さすがそば処と思えるそば守観音があり、とても落ち着く空間だった。デジカメを鞄から取り出し、シャッターを切っていたら、
「私も写真撮って」
とアヤがちゃっかりポーズを決め、こちらを見ていた。レンズを向けると
「撮りましょうか?」
背後から突然声がした。振り返ると一眼レフのカメラを持った若い男性が手を差し出していた。その笑顔に懐かしさを覚えながらも
「じゃあすいません、お願いします」
デジカメを渡し、アヤの方へと駆け寄った。
「じゃ撮りますよ、はい、オッケー」
「ありがとうございます」
「可愛く撮れましたよ」
カメラマンの彼はデジカメを返すと、
「僕のカメラでも一枚撮らせてくれないかな」
突然のカメラマンの彼からの申し出に、戸惑いながらも私とアヤはそのままカメラ前に立った。
「ありがとう、じゃまた」
右手で持ったカメラを軽く上げ、会釈をして去って行った。じゃまたの言葉に一瞬ドキリとしたが、それをかき消すようにアヤが、
「ちょっぴり照れちゃうよね、私達モデルみたいだったね。でも見た?笑うと目がなくなっちゃって、かわいいー。もしかして縁結びの効果が出たって感じ?」
冗談交じりに私の肩を強く叩き、隣の元三大師堂の方へと歩いて行った。
「おみくじやろうよ、ここの元三大師って、おみくじを最初に作ったって、ほら書いてある」
アヤが手招きをして、説明の書いてある看板を指差した。私たちは元三大師堂の階段を上がり、手を合わせ、まず、私からおみくじを振った。渡されたくじをみると「凶」だった。せっかく新しい出会いがあったかと思ったが一気に目が覚め、おみくじを結びに階段を下りた。おみくじを結んでいるとアヤが満面の笑みで駆け寄ってきた。小声で大吉だったよと報告してきた。よほど嬉しかったのかそれからずっとおみくじやパワースポットの話をしていた。
 お腹の空いた私達は参道沿いにある蕎麦屋の暖簾をくぐった。そこは、赤い布の敷かれた縁側の席や、ちょっとした竹やぶがあったりして雰囲気がとてもよく居心地のいいお店だった。お蕎麦の啜る音とアヤの話をBGMに、さっきの懐かしさを感じた笑顔と「じゃまた」の言葉の意味をずっと探していた。

彼の携帯が鳴り着信を見ると、また女の名前だった。タバコを買いに出た彼は五分もすると帰ってきた。タバコに火を点け、着信を知らせる光に気づいた彼は携帯を持ってベランダへ出た。ガラス越しに見る彼は、付き合い始めの頃の活き活きとした笑顔をしていた。私は黙って灰皿を渡し、そっと家を出た。
ちょうど深大寺行きのバスが目の前に来たので思わず乗った。バスを降りると、前と変わらず緑の匂いが私を迎えてくれた。きっと青々した新鮮な緑と澄んだ空気が、汚れて見えた彼の姿を浄化してくれるような気がした。  
深大寺で手を合わせると心の重みがスッと取れ、軽くなったような気がした。急にのどが渇いた私は蕎麦屋に入り、ビールを一気に流し込んだ。
「いい飲みっぷりだね、おねえさん。やっぱり、君だったね」
不意に肩をポンっと叩かれた。振り向くとあの時のカメラマンの彼がいた。
「また会ったね、今日はひとりなの?ここいい?」
私の目の前の席を指差し、同じテーブルに座った。本当にまた会ったという偶然にドキドキした。
「あの、この間はありがとうございました。とってもよく撮れていました。今日も深大寺へ?」
「深大寺の雰囲気が田舎育ちの僕には落ち着くし、近くの植物園も色々な花や草花があって、たまに来ては写真撮っているのさ。」
初めてふたりで乾杯をした。
「今日は何か撮りました?」
「まだ、今日はちょっとしか撮ってないけど」
少し照れながら一眼レフの大きなカメラを手渡した。液晶モニターに映し出されている画を1枚一枚見ていくと、花や木々の中に交じって1枚だけ私とアヤの写真があった。
「あの時の写真、きれいに撮れているでしょ?普段、人物って撮らないけど、楽しそうな君たちを見ていたら、つい、ね」
照れながら両肩を小さく上げ笑った。
「そういえば、あのあとどこか行ったの?」
「お蕎麦屋さんへ行ったくらいで。植物園は時間がなくて行けませんでした」
それから友人のアヤのことをネタに、いつも聞き役の私が、飲み進んだアルコールと再会したカメラマンの彼の存在とで、完全にテンションが上がり饒舌に話をしていた。
「じゃあ、植物園にこれから行くところだったから一緒にどう?」
残ったビールを一気に飲み干して店を出た。それから歩いて五分ほどで神代植物公園に着いた。入園券を手にすると、初めて見るパンパスグラスの写真に、生まれ育った田舎の秋の風景を思い出していた。
「あっそれ、パンパスグラスって言ってね。ススキの大きいバージョンみたいなもので、秋は夕焼けに映えてきれいだよ。まだ今は六月だからヤマアラシみたいだけどね」
カメラを持った彼は、先へと歩いて行った。木漏れ日が射す園内とシャッター音が心地よく、酔い冷ましには気持ちがよかった。背の高い木々に囲まれた先に、広い芝生広場が見えてきた。芝生広場の真ん中にヤマアラシのような塊があった。もしかしてあれがパンパスグラスなのかなと思わず駆けだしたら、酔いのせいで足がもつれ、おもいっきり転んだ。一瞬の出来事に茫然としていたら、
「大丈夫?」
カメラマンの彼は駆け寄って、私の顔を覗き込んでいた。
「あっ、だ、大丈夫です、久住先輩…」
転んだ衝撃で思わず口から出た名前は、一瞬にして過去の思い出の扉が開いた。憧れの久住先輩の背中を友達と追っていたこと、放課後、毎日教室からグランドにいる久住先輩を見つめていたこと、学校の廊下で、突然目の前に現れた久住先輩におもいっきりぶつかって教科書をぶちまけたこと。
「やっぱり君だったね、何となく見たことがあるような気がしていて。改めまして久住です」
急にかしこまって握手をするように手を出し、私の手を引っ張り上げた。
「今の転び方で僕も思い出したよ、こちらこそあの時はごめんね」
「先輩、覚えていたのですか?」
「あの時、しばらく青タンが消えなかったからね」
と笑いながら、ひっくり返った私の鞄の中身を拾ってくれていた。目の前にいる憧れの先輩と酔っ払いの自分が急に恥ずかしくなり、顔を真っ赤にして謝った。それからは距離が一気に縮まり、お互い話がつきなかった。彼の懐かしい笑顔とともに。

 旦那は、相変わらず一眼レフのカメラで花や草木を撮っている。パンパスグラスの前に来ると、あわてて私の手を取る。
「ここで転んだらお腹の子がびっくりしちゃうだろ」
繋いだ手を強く握り笑った。
「今度、アヤの結婚式、何を着て行こうかな」

次はアヤと深大寺にまた来よう、縁結びの神様にお礼を言いに。

桜井 あや(神奈川県川崎市/37歳/女性)

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