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<第6回応募作品>「不純な参拝」 著者: 黒咲 典

 気晴らしがてらに植物園を散歩したあと、深大寺の前まで足を運ぶ私は、いつもそこで立ち止まり躊躇う。なぜ躊躇うか? 答えは簡単、私が不純な女だからだ。神仏を目の前にして、こんな不純な心を曝け出していいものだろうかという思いが、どうしても私の足を留まらせるのだ。
 私は現在、大学四回生。そして、まだ学生であるにも関わらず、結婚願望が非常に強い。本来の私の人生設計では、三回生になるまでに素敵な人を見つけて、卒業までの期間愛を育み、卒業後夢の結婚を果たすはずだったのだが、人生そんなに甘くはないと痛感した。
 三回生になるまでは勉強で手一杯で、残念ながら、私には恋人ができなかったのだ。ただ、四回生になった今も恋人がいないかと訊かれると、答えはノーである。そう、めでたいことに現在私には恋人がいる。しかも、更にめでたいことだと言えるのだろうか、その数は「一」ではなく「三」なのだ。つまり私は、両手にも余る三股をかけてしまっているということになる。
 これは言い訳になるのかもしれないが、そんなことになってしまっているのには、きちんと理由がある。
 まず一人目の彼は、趣味が同じで楽しい彼なのだが、プライドが高いせいか毎日喧嘩になり精神的に疲れてしまう男。別の一人は穏やかで優しい彼なのだが、浪費家な上にひどく頼りなく先行きが心配だ。残る一人は尊敬できるしっかり者の彼なのだが、自分の時間ばかりを大切にするので疎遠気味になり、私は寂しく感じてしまう。
 何が言いたいのかというと、要はみんな同じ程度に一長一短なのだ。だから私の気持も中途半端で煮え切らない。その結果、気づけば恋人が増えてしまっている事態に……。
 勿論、私自身がしっかりしていれば、三股なんて結果になっていないことは承知しているし、人のことを評価できるほど、自分ができた女ではないこともわかっている。そんな足が宙に浮いたようなことをしている場合ではないことも理解している。私はさっさと一人に絞って将来に向けてきちんと交際を続けていかねばならないはずなのだ。それなのに私は一体誰を選べば良いのかわからず、途方に暮れている次第なのだ。
 そこで、縁結びで有名な深大寺にお参りしようと思ったのだが、よくよく考えると、こんな不純なことをしている女の、「一番良い人と結ばれますように」という願いなんて聞き入れてもらえるはずがない。だからこそ、私の足は止まる。深大寺の入り口で動けぬまま、私はじっと立ち尽くしてしまうのだ。
 そうこう考えていた時。少し離れたところから、見たことのある男がこちらに向かって歩いて来るのに気づいた。私はすぐにそれが誰かわかった。同じ大学に通う石田という男で、私が苦手とする物静かで堅物なイメージの男だ。私は鉢合わせになるのが嫌で、慌てて寺の中に入り、木の陰に身を隠した。
 石田は私に気づかず寺の中に入り、まっすぐに本堂へと向かった。私は見つからなかったことに、ほっと胸を撫で下ろしたが、いつの間にか深大寺に入ってしまっている自分に気づき苦笑した。だが、せっかく入ったのだから、もう割り切ってお参りをして帰ろうと決めた。聞き入れられないならそれでもいい、なるようになるだろうと。それに、なぜ石田がここに来たのか気になるのもあったのだ。私は、興味津々に後をつけてみることにした。
 本堂で手を合わせた石田をじっと観察していた私は、次の石田の行動に驚かされてしまった。なんと石田は、思いつめたような真剣な表情で、縁結びのお守りを購入し始めたのだ。
それを見て私は内心笑った。あの堅物で薬品の研究ばかりしている石田も、恋愛に強い憧れや想いを抱いているのだとわかると、何だか可愛らしく感じられたのだ。
確か石田には恋人はいなかったはずだ。大学内で女性と会話を交わしているところを見ることも殆どないくらいだ。きっと「恋人ができますように」とでも願を掛けに来たのだろう。石田はそのまま、澄ました顔で深大寺から出ていってしまった。
 今度大学で会えば、このことを思い出して私は笑ってしまうのではないかと心配になるくらい、石田の一連の行動が意外で面白かった。あの購入したお守りを、澄ました顔で、一体どこに隠し持つのだろうと想像すると、余計に愉快になってくる。
私も石田の真似をして、同じお守りを購入することに決めた。今度大学で会った時に、さり気なく石田の前でお守りを見せたら、どんな反応をするのだろうかと考えると何だかワクワクしてしまった。
「一番私にふさわしい人と結ばれますように」ときちんとお祈りを済ませて、私は深大寺を後にした。
 小腹がすいてきたので、帰りに蕎麦でも食べようと、適当な蕎麦屋を見つけて入った。この辺りの蕎麦は美味しいので、来るとついつい食べたくなってしまうのだ。
だが、店に入り注文を終えた瞬間、私は「しまった!」と後悔した。前方の席に石田が座っていることに気づいたのだ。よりによって同じ店を選んでいたとは……。
 しかも運の悪いことに、石田が私に気づいてしまった。気まずそうに私は愛想笑いを浮かべる。それに対して石田はくすりとも笑わず、自分の座っていた席から私の席の方に移動してきた。私は慌てる。
「奇遇ですね」
硬い口調で石田が話かけてくる。
「いやぁ……ほんと偶然だね」
私は動揺を隠せないまま答える。すると、石田はじっと私の瞳を見つめてから、躊躇いがちに尋ねてきた。
「そう言えば、さっき深大寺で何をしていたんですか? 僕より先に入っていきましたよね?」
私は自分の耳を疑った。聞き間違いであって欲しいと思うほど動揺した。石田は知っていたのだ。もしかすると、私が石田の後をつけていたことまで知っているのかもしれない……。私は赤面しながら口をもごもごとさせた。
「いやあ……あの……その……お参りに……」
だが、石田は私の様子なんて気にせずに、続け様、衝撃の言葉を漏らしたのだった。
「縁結びの願掛けですか? だけど一体、何を願うのです? 三人も恋人がいるはずなのに」
途端に私は激しくむせて、慌てて茶を啜った。なぜ石田がそんなことを知っているのか。私の恋人ですら、自分が三股をかけられていることに気づいていないのに、垢の他人の石田が知る術がない。私は恐る恐る尋ねる。
「何でそのことを……?」
すると石田は初めて微笑を浮かべた。
「きちんと見ていればすぐにわかりますよ。貴方は意外と素直でわかりやすい人なんですから」
「もう……勘が良すぎだよ。どうせ、違う男といるところでも目撃したんでしょ?」
「いやまあ、それだけではないですけどね」
石田ははぐらかすように茶を啜り、
「それより、三人も恋人がいて何も不足はないでしょう。それとも、他にも恋人が欲しいのですか?」
私は首を左右に振った。
「不足だから迷ってるんだよ。誰がいいのかわからないんだ」
すると、石田は教師のように厳しい表情をした。
「わからないなら誰も選ばなければいいだけの話ですよ。迷っているようでは所詮それまでの恋愛です。貴方の課題は、誰を選ぶかではなく、きちんと三人にケジメをつけてから、自分に本当に適した人を探し出すことですよ。同時交際なんてしているのは良くありません。三人の男性にも失礼です」
私は痛いところを突かれて胃がきゅっと締め付けられた。石田の言っていることは当たっている。確かに、迷うような三人の中から一人を選び出す必要はどこにもない。私に与えられている選択肢はもっと他にもあるのだ。
「そうだね、考え直してみるよ……」
私は素直にそう答えた。私は誰かにはっきりと、そう指摘されたかったのかもしれない。私は石田に「ありがとう」とお礼を言った。
 殆ど話をしたことがなかった石田を単なる偏屈だと思っていたが、話してみれば案外まともな人間なのだと知り、少し安心した。私は叱られた子供にように、しゅんとしながら蕎麦が運ばれてくるのを待った。
「おまたせしました」
店員が持ってきた蕎麦を、私と石田は音を立てて啜った。
「美味しいですね」
「うん、美味しい」
食べながら私は、石田に質問してみる。
「ねえ、石田君は深大寺で何を願ったの?」 
間髪入れず石田は「それは内緒です」と答えた。
「えー、私には答えさせたくせに、それはズルイ! 石田君ってズルイ人だったんだね」
私は悪戯っぽく頬を膨らませて見せた。
石田は少し考えた後、
「まあ、思った以上にご利益があったということだけは確かですよ」とだけ言った。
「え?」
私はその意味を考えるのに、少々時間がかかった。いや、私の考えが合っていたのかは定かではない。だが、何となく石田が素敵に見え始めた気がしたのは確かなのだった。

黒咲 典(大阪府岸和田市/30歳/女性/無職)

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