<第6回応募作品>「情けない俺のある日の微日常」 著者:夜人
大学に入って三度目の春、学生生活を惰性で過ごしていた自分に電流が走った。俺が所属しているサークルにマネージャーとして入ってきた一年生の志保(しほ)に、俺は一目惚れしてしまったのである。しかし女性に対してあまり積極的になれない性格が災いし、三か月経った今でも先輩後輩同士の事務的な会話しかできていなかった。そんな情けない俺に、サークルを通じて知り合った悪友の勝一が、得意のニヤニヤ顔で、
「縁結びに効果テキメンなとこが調布にあるんだけど、知っているか?」
と言ってきたのはつい数十分前のことだった。二限の授業を終えたばかりの俺は、なにかに背中を思い切り叩かれたような衝動に駆られ、学食のラーメンに手をつけないまま跳ねるように学校を飛び出していた。学校の最寄り駅の桜上水駅から電車、バスを乗り継いで、勝一に教えられた深大寺に辿り着いた。
今日(こんにち)この大都会と呼ばれる東京において、これだけの自然を有する場所も多くはないだろう。深大寺のバス停に降り立ったときの、俺の第一印象だった。真夏だというのに、生い茂る草木の生み出す日蔭はこの上なく快適で、俺は自然と目をつぶり、深呼吸していた。
ここに至るまでの電車やバスの中で、突発的に行動してしまった自分をどうかしていると嘲ったものだが、まあ、これだけ気持ちのいい場所が東京にあることを知れただけでもよしとしよう。バス停のある門から本尊らしき所まで続く道には、茶屋や蕎麦屋や土産物屋などの店が軒を連ね、なかなかに趣深い。石畳の道をゆっくり歩きながら、縁結びを抜きにしてもこんな場所に大切な人を連れてこられたら素敵だと、柄にもないことを考えていた。
本尊の賽銭箱の前で財布とにらめっこする俺の姿はどれだけ滑稽であっただろうか。「十分なご縁」にかけて十五円入れようとするも、財布の中には十円玉一枚と一円玉が五枚。一円玉五枚でも御利益はあるのだろうかと思考はしばらく往来していた。結局六枚の硬貨をばらばらと賽銭箱に入れたが、一円玉が一枚賽銭箱に弾かれてしまった。縁起の悪い事この上ない。すぐに拾って再び投げこんだが、十四円と一円で認識されていたらどうしようなんてどうでもいい事が脳裏をよぎった。どうやら自分の恋患いは重症であると感じた。自分の情けなさに深いため息をついてから手を合わせ、願いを込める。頭の中では俺にこの重病を患わせた張本人の顔が浮かんできた。
いまどき珍しい、というのは偏見であるかもしれないが、おとなしい感じの女の子で、マネージャーになったのも半ば強引な女友達の付き添いといった感じだった。しかしそんな日蔭的な彼女に俺は一瞬で心を奪われた。「キレイ」よりは「可愛い」という形容詞の似合うような容姿はもちろんだが、なにか本能的に心奪われるものがあった。しかしそんなおとなしい彼女とこんな俺だから進展も何もないわけで・・・
結局自己嫌悪の思考ループに帰結してしまったので、閉じた目を開いて祈りをやめた。
「あの、先輩・・・?」
あまりの不意打ちに言葉を返すどころか声のするほうに目を向けることすらままならなかった。やっと振り返った視線の先には、首を傾げた志保が立っていた。志保は俺が自分を認識したのを確認し、少しはにかんで口を開いた。
「やっぱり先輩だ。どうしたんですか、こんな時間にこんな場所で?」
当然の疑問だ。本来ならば俺はまだ学校にいて然るべき時間なのだから。
「いや、その、なんていうか・・・」
言葉が見つからない。本当の理由なんて言えるわけないが、ぱっとそれらしい誤魔化しのきく理由なんて出てこない。数秒まごまごしていた後、苦し紛れに答えた。
「こ、ここって蕎麦が有名らしいんだ。ほらその辺にたくさん蕎麦屋があるだろ。俺実は蕎麦に目がなくてさ、急に食べたくなったから・・・」
我ながらあまりに苦しかった。志保はきっと俺が手を合わせ祈っている姿を見ているはずだし、そもそも蕎麦が目当てなら本尊までくる必要はないのだ。俺が心中で猛省を繰り広げていると、志保はどうやら合点がいったようで、
「そうですよね、先輩が縁結びのお寺にお参りなんて、変だなって思ってたんです。」
と満面の笑みを浮かべて言った。この場をなんとか乗り切った安堵感と、恋愛と無関係と思われているという事実で、俺の心は複雑だった。そのおかげかオーバーヒート気味だった脳内は急速に落ち着きを取り戻し、『先輩と後輩』という間柄を強く意識させられた。
「わざわざ昼飯食わないで学校から飛んできたんだ。今から食べに行くけど、志保も一緒にどう?」
落胆を隠すようにすらすらとまくしたてた。社交辞令的に誘ってはみたものの、いまどきの女の子が蕎麦屋に誘われてついてくるなんてありえないだろう。断られて、この場で解散となるのが関の山だ。
「私もお蕎麦好きなんです。喜んでご一緒します。」
解散までの会話のシミュレーションをたてていた俺はまたしても志保に不意打ちを入れられまごまごしてしまった。恥ずかしい。
本尊から蕎麦屋まで歩く最中、志保の思いがけない承諾について考えていた。思えば先輩が後輩と飯を食べるなんて日常的にあることだ。逆にこの場で断ってしまうのも、後輩としては気が引けるところだろう。つまりは普通なのだ、なにか他意を、ほんの少しだけでも期待してしまった自分がまた恥ずかしくなり、隣を歩く志保に気づかれないように溜息をついた。
「お蕎麦屋さん、いっぱいありますね。どこにしましょうか。」
志保に聞かれてはっとなる。蕎麦を食べに来たなんてでまかせなのだから、当然何も考えていない。あたりをきょろきょろ見回して、最初に目に入った蕎麦屋を指差して、
「あっ、あそこにしよう。」
若干声を上ずらせながら志保を促した。
俺が苦し紛れに選んだお店は深大寺に並ぶ他の店の例に漏れず、純和風なたたずまいだった。周りを囲む緑と見事に調和し、清らかで優しい雰囲気を漂わせている。
「なんだかいいですね。ファミレスとかじゃ絶対味わえないような、すごく落ち着く感じ。」
とっさに決めたわりに志保も気に入ってくれたようである。中に入ると優しそうなおばちゃんが出迎え、空いている好きなところに座るように促してくれた。俺たちが木で作られた端っこの席に向かい合って座ると、さっきのおばさんが冷たいお茶を出しながら何にしますかとたずねた。正直蕎麦の善し悪しはわからないので、無難にざる蕎麦を二つ頼んでおく。おばちゃんはありがとうございますと一言告げ、奥に戻っていった。
蕎麦を待つ間がもたなかった。なにしろ
二人きりで飯を食べるなんて初めてだし、元々が女性とうまく話せない性格なのだから当たり前だ。しばらくの沈黙の後、そういえば、志保はどうしてここに来たの、と尋ねてみたが。志保は少しはっとしてから、後で教えますとだけ言って目線を外に逸らしてしまった。なにか気に障る事でも言ってしまっただろうかと不安になり、再度話しかけようとしたところで注文していた蕎麦が運ばれてきたので会話は終わってしまった。
「お蕎麦ごちそうになってしまってすいません。ありがとうございます。」
店を出たときに志保はぺこっと頭を下げると、律義に感謝を述べた。本当に、いまどき珍しいよくできた子である。まぁ、後輩に蕎麦くらい奢ってあげられる先輩でありたいものだし、美味い蕎麦を志保と食べることができたのだから、こちらこそお礼を言いたいくらいだった。
しばらくぶらぶらしてから、木陰の竹製のベンチに並んで腰かけて休憩していたが、どうしても志保とうまく話すことはできなかった。今さらだが、好きな女の子と二人きりなのだ。俺の脆弱な心臓は、さっきから早鐘をついている。なんとか話しかけようとしても言葉は俺の口から出ていくことは無く、
「先輩、さっきの話なんですけど。」
と志保から話しかけてくれなければ会話はできなかっただろう。
「ここに来た理由の話です。」
珍しく、なにか怯えたような、それでいて決意のこもったような眼差しがそこにあった。
「一週間前くらい前、勝一さんにここのこと教えていただいたんです。縁結びのお寺だって。それで今日ここに来ると良いことがあるって。」
なにか、不思議な感覚が心の中で渦を巻いていた。複雑な数式を、公式にあてはめて少しずつ解いていくような高揚感と、それの真偽がわからない不安と、はやく答えを知りたい焦燥感。すべてが混ざりあって、俺は息を呑んで次の言葉を待った。永遠とさえ思えるような瞬間。刹那であったかもしれないその瞬間に、浮かんだのは馴染みのあるニヤニヤ顔だった。あぁ、そうか。全部お前の差し金か。いや、これがこの深大寺の力なのか。目の前の志保は今にも泣き出しそうになりながら必死で言葉を紡いでいた。言葉はもういらないと思った。根拠のない自信が俺を奮い立たせた。
真夏にも関わらず爽やかな木陰の中
少しだけ震える二つの体躯(からだ)
背中には涼しい風を
胸には心地よい温もりを感じていた
夜人(千葉県市川市/20歳/男性/学生)