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<第6回応募作品>「優しい眼差し」 著者:邑 和樹

 ダイエットにはバナナが良いと聞けば空腹をバナナで満たし続け、どこそこの料理が美味いと耳にすれば直ぐ様その店へ駆け付ける。とにかく彼女はメディアに多大な影響を受けている。
「ねぇねぇ。今度のゴールデンウィークさ、深大寺に行かない?」
そんな彼女だから、唐突なこの言葉にも俺が驚くことはなかった。それどころか、またか、と、呆れさえしてしまう。
「今度はなに?占い?飯?」
 溜め息混じりに尋ねながら、ソファに横たえていた身を起こし彼女を見る。そうすると子供のように爛々と輝く丸い瞳に、それとは対照的なうんざり顔の俺が映った。
「そんなのじゃないよ。良いところみたいだから!それに縁結びのお寺なんだって」
 今更誰との縁を結びたいと言うのか。半眼で彼女を見ながら「ああ、そうなの」と一言。億劫さを隠すことなく答えた俺を、彼女は気に留める様子もなく、ドラマで見たんだとか、そばが美味しいらしいとか。聞いてもいないことを楽しげに喋り続けている。
そうする彼女を見ていれば、面倒を感じていた俺の心も次第に揺らぎ、まあ良いか、なんて思い始めてしまうのはいつものこと。結局どんな無茶な頼みも「しょうがないなあ」と、聞き入れてしまうのは、付き合い始めた五年前から今も変わらない。
 彼女とは六年前、大学二回生のときに共通の友人を介して知り合った。今時にしては珍しく、髪を染めたことは一度もなく、服装もどこか野暮ったくぱっとしない子だったけれど、瞳は思わず息を詰めるほど、美しく、清らかだった。その瞳が真っ直ぐに俺を捉えた瞬間、心臓が早鐘を打ち始めたことは今も忘れてはいない。一目惚れだった。それから頻繁に映画だ、買い物だ、と、彼女を誘い出し、ようやく、付き合うことになったのは一年後の大学三回生のころ。新緑が目に鮮やかな五月晴れの日のことだった。
俺たちの付き合いは順調に続き、互いに社会人となったのを機に始めた同棲生活も三年が経つ。最近では新鮮味などありもせず、どこかに連立つことも稀になっていた。
そんな生活の中だから、きっと、彼女が言い出さなければ、ゴールデンウィークも普段の休日に毛が生えた程度だと、家で過ごし、どこかへ出掛けることもなかっただろう。そう考えながら、深大寺の本堂へ続く階段を、彼女と肩を並べ登る。
「意外と混んでるな」
 深大寺が調布市にあると知り、勝手に閑散としているか、老人ばかりだろうと思っていたが、大間違い。大型連休も合間って、吉祥寺駅で乗車したバスから既に込み合っていたし、参拝客は老夫婦はもちろん、小さな子供を連れた若い夫婦や俺たちと同年代と思われる二十代半ばのカップルという具合に老若男女問わない。
「ドラマに出たからね!」
俺の言葉を受け、彼女は得意気に参道からあちらこちらに立っているドラマタイトルの刻まれたノボリを指し、言う。決して、混み合うのも深大寺がドラマに出たのも彼女の功労ではない。それでも得意気に言うのは、大好きなドラマだからだろう。
 ドラマというのは日本放送が何十年も前から朝のその時間に放送している番組のことだ。今までだって、その時間のドラマを見ていた彼女だったけれど、ここまで真剣になったものを俺は知らない。漫画家・水木しげる夫妻を主人公にしたドラマが余程に面白いのだろうかと、俺も興味があるものの、放送は出勤前の忙しい時間。出勤時間が俺よりも一時間遅い彼女と違って俺には悠々と番組を視聴する暇などなく、今日まで一度も見られないままでいる。彼女曰く、夜に衛星放送で再放送をしているそうだが、その時間に帰宅していることも稀ならば、したとしても毎回忘れてしまっている。
「なんでそんなにそのドラマ好きなの?」
だからこそ、尚更。その執着が気になって尋ねてみる。けれど、彼女はいつも「見たら分かるよ」と、クスクス笑うばかりで、教えてくれるつもりはないらしい。
 一体なんだと言うのか。
今日も釈然としないまま、階段を登り終え、砂利の敷き詰められた境内を散策する。春と夏の狭間を迷う日差しが眩しい。思わず目を細めた俺の手を、それよりも一回り小さな手が突然掴んだ。
「あれ!あれ見て!」
次いで響く彼女の弾む声。同時に俺の手を捕らえたのとは逆の手が、本堂脇にある休憩処を差した。そうかと思えば、繋がれた手がグイと俺をその店へと引く。
「ちょっと、布美江!急になに?」
「これ!ドラマで出てたの」
 その店に着くなり、彼女が声高に叫び、軒先に並ぶ藁で作られた馬の人形を指差した。
「あ。これ知ってる」
それを見、思わず呟いた俺を、彼女が仰ぎ見る。
「そうなの?なんで?」
「昔、ばあちゃんの家にあったんだよ」
 確か赤駒と言うのだ。家族や愛する人の幸せや無事を願う土産物で、祖父が出兵する折に祖母が購入したらしい。戦地から祖父が大きな怪我もなく帰って来られたのも、この赤駒のおかげだと言って、ずっと大切にしていたから、祖母が他界したときに花と一緒に棺桶に入れてやった。無事に先立った祖父に会えるように。そう願いを込めて。
「すげぇ、懐かしい!まだ売ってるんだ」
 意図せず彼女のように声を弾ませて言えば、奥から現れた店員が、丁寧に商品の説明をしてくれた。その話によると、赤駒は古くから深大寺にある土産物で、今も全て手作業で作られているとのことだった。
「じゃあ、ばあちゃんも昔ここで買ったんだ」
「茂君のおばあちゃんも?」
 おうむ返しに尋ねる彼女に、祖父の無事を願った祖母と赤駒のことを話せば、彼女は瞳を輝かせて「買う」と、言い始めた。牛乳パックひとつにしてもあっちの店の方が安いと、購入を躊躇する彼女にしては妙に財布の紐が緩い。それを不思議に思っていれば「茂君が事故もなく毎日帰って来られるようにお祈りしないといけないから」なんて、大真面目に続けるから、俺の頬も自然と緩んだ。
「そうしたら俺もひとつ買わないとな」
「なんで?一個あったら良いよ」
「要るだろ、もうひとつ」
 そして彼女は一番大きな赤駒を、俺は中くらいの赤駒を。それぞれ購入した。
もちろん、俺が買ったそれは彼女の無事を願っての物だけれども、そうと考え着かないらしい彼女は、その後もどうして俺まで買ったのかとしきりに訝しんだ。
「もう良いだろ、その話。それより、そば食おう。腹減った」
 有名だと言っていた深大寺そばの暖簾が揺れる店を指す。すると、彼女はすっかり赤駒のことなど忘れたように華やいだ表情を浮かべ、どの店にしようか、と早速選別を始めた。あっさりしているというか、移り気というか。どちらにせよ、彼女はこういう性格だからこそ、メディアに左右されやすいのだろうと、納得してしまう。
「よし!あの店にしよう!」
 彼女が選んだのは一番行列の長い店。列の最後尾に並び、三十分後にようやくそばをすすったなら、別の店で同じそば粉から作られたクレープを食べ、今度はそばパンを、と思ったけれども、彼女が「これ以上はお腹に入らない」と言うから、それは持ち帰り用に包んでもらった。
 そうしていれば来た頃には頭上にあった太陽もいつの間にか大きく西に傾き、木々の隙間より差し込む夕日が深大寺を鮮やかに照らし出していた。
「良いところだね」
 しみじみと呟いた彼女に頷いて、「また二人で来よう」と言えば、彼女も小さく頷いた。そして手を繋ぎ、帰路に着く。そうする俺たちの影はどこまでも長く、この先も変わらず二人肩を並べ、歩んで行く未来を暗示しているように思われた。
ところで、彼女がどうしてあのドラマを気に入っているのか。それは翌日の昼。意外なほど早くに判明した。
「へー。こんな偶然ってあるんだな」
 深大寺で買ったそばパンをかじりながら、正午代のドラマの再放送を見て呟く。
「村井茂に布美江か……まんま一緒だな」
 ドラマの主人公夫婦の名前。それが俺たち二人と同姓同名だったのだ。
「なあ、布美江ー?このヒロインの旧姓もお前と同じ飯田だったりするの?」
 キッチンで珈琲を淹れている彼女に問えば、少し苛立っている声が「それより」と返事をした。
「早くパジャマ脱いで」
 声と共に湯気の立つマグカップが、テーブルにドンと置かれる。唇を尖らせ「洗濯ができないじゃない」と嘆く彼女を「はいはい」といなす。
「本当に分かってる?」
そんな俺を彼女がねめつけるから、俺は浮かべていた笑みに苦味を混ぜた。
「分かってるよ。直ぐ脱ぐって」
「そう言って、何で二個目のパンを取るの?」
「だってこれ美味いから、つい……」
「全然分かってないじゃない!」
いつまでも騒がしい俺たちを、寄り添う二体の赤駒が静かに見守っていた。

邑 和樹(大阪府松原市/24歳/女性/会社員)

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