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<第6回応募作品>「そらに・・・・」 著者:黒米 譲二

 どこからわき出てきたのだろう。
 深く青い空に浮かぶ、はちきれそうな乳白色の入道雲は僕を圧倒した。
 そうだ、小学六年生の夏休み前のある日。
 親の転勤が決まった明くる日の午後、教室の窓から眺めた風景。もうすぐ夏休みだということをまるで祝うかのようにみごとに空は青々していた。
 「残念ですが、これからコウジ君に挨拶してもらいます」という先生の一言に僕は驚いて立ち上がり、みんなの前でおどけた。
 「おとうさんの転勤で九州にいくことになりました。どうも、スミマセン!」
 ふざけた言い回しの後にぺこりと頭をさげると、みんなが笑った。みんなの笑い声が僕の胸をしんしんとさせた。涙をこらえるのに必死だった。突然鳴き出した蝉の声が僕の耳を塞いだ。
当分、コヨリの顔を見ることはできないのだなと生意気にも思っていた。
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 あれから二十年の時を経て、僕は東京に戻ってきた。調布駅は相も変わらず、人の往来は若干増えたような気はするが、大型店に遠慮するように商いをする小さな店も健在だった。賑やかな駅前を背に穏やかな商店街を抜け大きな国道を渡った。何もかもあの頃のまんまだ。
 小学四年生の春の席がえでコヨリが隣にきた。やせっぽちのコヨリは首を少し傾斜させ大きな瞳で見つめ返すのが常だった。いつもお喋りなのに先生に当てられると、恥ずかしそうに俯いて蚊の鳴くような声で答える。どうしてもダメなときは、僕の小声の暗唱をそのまま先生にむかって答えていた。当時流行のアイドルを真似、卓球台の上で仲良しとデュエット歌いでポーズを決めながら踊っていた。
 しんと静まりかえった授業中、僕がたまにいう冗談に笑い転げ、二人揃って廊下に立たされたこともあった。
 ―コウジくんって目の色が茶色いよね。
 長くて暇な夏休みが明けたその日、少し小麦色になったコヨリからそういわれた。
 ―そうさぁ、僕はおじいちゃんがフランス人だからさぁ。
 当然笑うと思っていたコヨリはもう一回り大きくした瞳で驚いていた。
 僕は学校でコヨリと会うことが楽しくて仕方なかった。あのキラキラ輝く表情がたまらなく僕に勇気を与えてくれた。
 体育の時間、ドッジボールで最後の一人になるまでコート内に残っていられたのも。美術の時間、天才芸術家といわれた坂本くんに対抗して水彩画を居残りしてまで描いて珍しく先生からほめられたのも。臨海学校で溺れそうになりながらなんとか遠泳を泳ぎきったのも。
 僕の勇気も元気も実はすべてコヨリの存在があったからなのだ。
 目の色が茶色いよね・・・・・・・なんて親にもいわれたことはなかった。
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 五年生の秋の運動会が終わったその日の帰り道、僕は調子にのって深大寺に行った。徒競走で一等になった僕は少し有頂天になっていたのかもしれない。両手をついて石灰で引いた地べたの白線を間近に見ながら百メートル先のコヨリを思った。僕の走りをきっと見ていてくれるに違いないと。
 ―ドン!
 スタートの号砲のあと、僕は夢中で走っていた。
 無心で。
 そしてある願をかけて。
 口が裂けても誰にもいえない大胆な願をかけて。
 生意気にも・・・・・・・・。
 一等賞になったらコヨリを嫁さんにできるって。
 僕は勝負した。
 はちきれそうな願いを胸に。
 僕は目の前に迫るゴールだけを見つめ、ただ走りぬいた。
 ゴールした後、コヨリを探した。彼女はいつもの大きな瞳で嬉しそうに僕を見ていてくれた。

 寄り道はいけません。
 いつも担任からそう釘を刺されていた。

 深大寺には不思議な魔力がある。町では味わえない静寂と、深い緑と、気持ちのいい空気が漂う。
 それに平凡じゃない何かがある。  
 僕は前々から一人で深大寺に来てみたかった。今日の徒競走の結果を深大寺にいる神様に報告すれば、僕の願いが本当に叶うと子ども心に信じていたから。
 夕方の境内には人影はない。秋風が木々の葉をゆらす音がざわざわと鼓膜を振動させる。そして時折、鳥のさえずりが聞こえる。
 境内に近づき、用意しておいた五円玉を慎重に賽銭箱に投げた。かしわ手を何回打ったらよいのかも知らず、おずおずと数回手をあわせ、神様に願いを唱えてみた。

 ―俺は、いや、僕は約束どおりに一等になりました。コヨリを嫁さんにしたいです。

 どうしたら大人になれるのだろう。大人にならないと彼女には告げてはいけないんだ。小学生の僕にも男の意地があった。でも少しだけ早く大人になりたかった。
 手をあわせたまま暫く祈っていた。遠くに低い振動がした。
 ようやく顔をあげると空は暮れかけていた。どのくらいのあいだ境内にいたのだろう。
 神様からの返事だ。
 紫色の西の彼方にぴかりと輝く一筋の黄色い閃光が目に入った。
 腹の底に振動を感じた。
 数秒後、思ってもいなかった大粒の雨が降ってきた。前が見えぬほどのドシャ降りで立ち往生した。
 その晩、帰りの遅くなった僕は母親からひどく叱られた。
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 《二十年ぶりの再会、楽しみにしています》

 そんな思いがけない同窓会の案内がポストに入っていた。日頃の仕事に追われ、上司との関係にも殺伐としていた自分には朗報だった。
 気晴らしに同級生に会ってこよう。少し気後れしたが、早速東京へ行く手配をした。

 同窓会の会場へ行く前に深大寺へ赴こうと決めていた。想い出にひたりながらの深大寺までの歩みは快いものだった。住宅街を抜け細い坂道を登りそして降ると土の匂いが鼻腔をくすぐる。都会にはない深い緑と日々の喧騒からほど遠い静寂。訪れるものを凛とさせる空気が深大寺にはある。
 お盆の深大寺は人影こそちらほらしているが、やはりしゃんとした清涼感で包まれている。
 ―深大寺の神様にお礼参りしなければ
 変わらぬ姿でいてくれた深大寺が嬉しかった。境内の前で手をあわせ、自分の変わらぬ気持ちと素直に向き合えたことが新鮮で心の中になにか大切なものが芽生えた気がした。
 しかしあの徒競走の日の誓いは気恥ずかしさと切なさがブレンドされた当時の宝物だなと一人笑んだ。
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 同窓会の二次会で、ようやくコヨリと話ができた。やせっぽちな彼女はちょっとだけ綺麗になっていた。相変わらず首を傾げ大きな瞳で俺を見つめ返してきた。
 眩しさに顔を背けたくなった。
 どうやら彼女はばつ一らしかった。
 三十路も過ぎれば男も女も何もないほうが不思議だ。去年別れた彼女のことが頭を過ぎった。
 あれやこれやと酔いにまかせ話が弾んだ。時は瞬く間に遡り小学生のコヨリと僕がそこには座っていた。

 三次会へ向かう途中で気が変わり友人たちの誘いもやんわりと断り駅へと走った。
 路地を抜け大通りへ出ると駅まで直線になった。
 ―よーい、スタート! 
 誰かがそういって背中を押してくれた。
 酔っ払いの俺は夢中で走った。頼むから間に合ってくれよ。シャツがべったりと纏わりつくほど汗ばんでいた。
 駅前にある横断歩道でコヨリに追いついた。
 コヨリ! 
 振り向いた彼女は驚いて、それから気をとりなおしたようにこういった。
「さっき言い忘れた。コウジくんの目ってやっぱり茶色いよね」 
 ―はっ?
 とぼけた反応に笑い出したくなった。
 きゃ、雷、と小さく叫んだコヨリは俺の腕にすがってきた。
 腹の底に振動を感じた。
 琥珀色の夜空に、細長い閃光がびりびりと煌いた。
 深大寺の神様の粋な計らいに感謝した。
 涙腺がゆるみ思わず上を向いた。
 間もなく空からは大粒の雨がシャワーのように降ってきた。

黒米 譲二 (東京都東大和市/47歳/男性/歯科医師)

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