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「つかのまの恋」著者:かわせえみ

 封印が解かれてしまったように、あのときが鮮やかに蘇ってくるのだった。
 それは、父が癌と宣告され半年であっけなく亡くなり、同じ時期に母も体調を崩し結局は老人ホームに落ち着いたころだった。古い実家を処分することになり、後回しにしていた家の片づけを始めたのだった。
昔の自分の部屋を片付けていたとき、開けづらくなった机の引き出しを力任せに引いてみると、小さな猫の置物と何冊ものノートが押し込まれていた。
花柄やキャラクターが印刷されたノートには、日付が書かれている。大学生の頃の私の日記帳だ。私は過去の自分を覗き見するような好奇心で、ノートを開いた。
ページを繰ってみると懐かしい友人の名前やよく行った店の名前が並んでいる。そして、W、先輩、という文字。誰が読む訳ではないのに隠すような呼び名、それは若林さんだ。
私はこの小さな猫の置物をそっと掌に包んだ。

若林さんは、大学時代の旅サークルの先輩だ。人数の多いサークルで、私が入学したときには四年生だったため、ほとんど接点はなかった。夏の合宿で同じグループになり、少し話すようになった。若林さんは後輩の面倒見がよく、ひそかに女子の間では人気があった。人見知りの強い私にも気さくに声を掛けてくれる、随分と大人の男の人に思われた。
 九月末、大学の授業も再開されたある日曜日、若林さんから電話が掛かってきた。その頃はまだ携帯電話などもない頃で、自宅の電話機を運悪く父がとった。
 「若林って奴から電話だ。用件は何ですかって聞いたが、言わないんだ」
 「お父さん、やめてよ」私は、慌てて受話器を握る。
 「もしもし、…」
若林さんが待ち合わせ場所に選んだつつじヶ丘駅に着くと、すでに若林さんは待ってくれていた。
「この前は、父が電話ですみません」私が頭を下げると、
「面白いお父さんだね。本当に佐久間さんのことがかわいいんだね」と笑ってくれた。
つつじヶ丘駅からはバスに乗り二十分ほどの深大寺バス停で降りる。
向かったのは、神代水生植物園。深大寺からはすぐの静かな公園だ。
「急に誘ったのに来てくれて、よかった」若林さんは私の目をまっすぐに見て言った。
きれいな湧水が流れる湿地帯の上には木で作った道が続き、遊歩道になっている。静かな園内には水辺の草や花が茂り、時折風が通り抜けて木々の葉を揺らす。
「気持ちのよいところですね」と私がいうと、
「東京に出て来た頃この近くに住んでいて、ここは好きな場所なんだ」
しばらく行くと、白い花が一面に咲く広場に出た。
「あれは蕎麦の花だよ。これを見ると実家を思い出すなあ。家の近くが蕎麦畑でね・・・。
さて、旨い蕎麦でも食べに行こうか」
 若林さんは目尻に優しい皺を作って笑顔になった。私の気持ちも自然にほどけていくのがわかった。
若林さんとは、それから何度も深大寺で会うことになった。

 それは、実家の私の部屋の片づけをした晩のことだった。私は三十年ぶりに若林さんの夢をみた。
ふたりで参道を歩いていた。土産物屋で私が小さな置物を手にとっている。
「かわいいですね」私が言うと、若林さんは記念に買ってあげるよと、私の手からその小さな猫の置物をそっとつかんだ。そのときはじめて若林さんの指に触れたのだった。
 それは、すっかり忘れていたあの頃の記憶だ。夢であるのに、いま若林さんに触れたような鮮やかな感触があった。

そして、次の晩も若林さんの夢を見た。
 ふたりで深大寺の境内を歩いていた。三歳ぐらいの小さな女の子が、若林さんのもとに駆け寄ってきた。
「パパ!」
私たちはビックして顔を見合わせた。
「隠し子ですか?」私がおどけていうと、若林さんは「あんな子がほしいな」と真面目な顔で私を振り返った。私はどきまぎして下を向いてしまった。

私は次の日も、そのまた次の日も若林さんの夢を毎晩見ることになった。
私は夢で若林さんに会えることを、次第に心待ちにするようになっていった。それは、現実に誰かを待ち焦がれる気持ちに近かった。

 最後の夢は、実家の中のものをすべて処分する日の朝方にみた夢だった。
若林さんと会うようになって半年近く経った頃、深大寺のいつもの蕎麦屋でお蕎麦を食べ終わったときだった。
「おいしかった。ここのお蕎麦は最高ですね」
私が言うと、若林さんはいつもと違う厳しい表情になった。
「実は、名古屋に行くことが決まったんだ」
若林さんが何を言っているのか、私にはよくわからなかった。
「最初の赴任先が名古屋なんだ。少なくとも三年は帰れないと思う」
若林さんの就職先は転勤が多いことは知っていた。でも、いきなり名古屋とは。
「佐久間さん、一緒に名古屋に行かない?」
「えっ。」
 そのとき私は、「行きたいな」とつぶやいていた。
私は大学一年生から二年生になろうとしていた。
 
あの頃のことが蘇り。私は少し息苦しくなる。
夢で見た私は、名古屋に行ったのだろうか? 私は幸せになったのだろうか?
これが最後の夢になったので、私にもわからない。なぜこんな夢を見たのかが不思議だった。
 実際の私は、若林さんに何も答えられないまま、そのまま会わなくなってしまった。
名古屋に行けるはずのないことはわかっていたが、なぜ名古屋に行かなかったのかと、その後何度も反芻した言葉が私を責めたのだった。

 リサイクル業者が来て、実家の中のものを次々と運び出していった。使いなれた家具も食器も、大切にしまっておいた洋服も、あっという間にトラックに積み込まれ、結局すべて廃棄される。私の日記帳も猫の置物も、結局ごみとして焼かれることになる。
 そして、この若林さんとの夢の逢瀬も、これで終わりだとわかった。
あの頃よりだいぶたくましくなった私を見たら、若林さんはどう思うだろうか。
そんな夢想が一瞬よぎる。

そして、実家の荷物がすべて運びだされた。
私は、軽い足取りで空っぽの実家をそっと後にした。

かわせえみ(千葉県)