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「植物が恋をする日」著者:川勢七輝

「はたして、植物と恋は無縁だろうか」
連なる花が植木鉢を覆い隠すように爛漫と咲く胡蝶蘭を見つめ、悠人(ゆうと)は唐突に疑問をこぼす。そんな彼の横顔は、今日の暑天を凌駕する眩しさを放っている、と凛(りん)は思った。
 大学が休みの日は、深大寺を参拝した後、ここ神代植物公園を訪れるのが凛の定番となっていた。約束をせずとも、必ず悠人に会えるからだ。一方、植物好きな悠人は、凛に関係なく植物公園に通い詰めていた。だが、彼女が来ると熱心に植物の説明をするところから、彼も決して悪くは思っていないらしい。
「植物に感情は無いのは分かっているけど、人の恋があまりに彼らと似ていると思ってさ」
 昼時ということもあり、親子連れが出て行くと公園の大温室内には二人だけとなった。
「例えば、蘭の一種であるビーオーキッドは、蜜蜂に擬態し、雌のフェロモンに似た分泌物を出す。騙される雄蜂は、ネットの写真に一目惚れをし、会いに行った知人の悲劇を思い出すよ。それから、月下美人は夜に開花するが、それは花粉媒介者であるコウモリが夜行性だからと言われている。恋をすると相手に合わせて自分を変える人は、然程珍しく無い。こんな風に考えていくと、人間の恋とはそもそもなんだろうとなるんだ。感情がないはずの植物とどうしてこうも類似しているのか……」
(はぁ、どうして恋についてそこまで考えているのに、すぐ隣に居る私の気持ちには気付いてくれないの。いやいや、弱気になっては駄目。今日は告白するって決めたんだから)
「恋する気持ちなら、私は分かるよ。だって、ずっと、悠人くんのことがす──」
「そうだ!」
 悠人が突然声を上げたので、凛は言いかけた言葉を飲み込んでしまう。
「あのさ、初めて会った日。あの時、僕が言った言葉、覚えていないかな」
「えっ、初めて会った時?」
 凛は慌てて、脳内に溢れる悠人との記憶を妄想と選別しながら遡る。

 彼らの出会いは約一年前。いま二人がいる神代植物公園の隣にある、深大寺だった。
 大学に入学して二ヶ月が過ぎた頃、凛は深大寺へと向かっていた。近所のお寺ではなく、電車とバスを乗り継ぎ一時間、わざわざ足を運んだのには訳がある。
 ──どうしても、恋する相手が欲しかったからだ。
 彼女は高校三年間を受験勉強に捧げ、友人と遊ぶこともなく、よって恋愛も皆無だった。
 無事志望大学に入学出来た彼女は、今まで犠牲にしてきたものを取り戻すべく、飲み会などのイベントにかなり積極的に参加した。しかし、参加してみたものの、なんとも味気ない。それは、ドラゴンフルーツなみに見た目と中身の濃さにギャップがあった。
(何かが違う……傍(はた)で見ていた時は、とてつもなく濃い時間に思えたのに。なにが悪いの)
 考えあぐねた彼女は、二つ上の兄に相談してみることにした。
「そりゃ、一緒にいる相手が悪いんだろ。恋をしたら、ただの散歩も濃厚な時間になるぞ」
 恋愛経験が豊富な兄の言葉には、説得力があった。凛は目から鱗が落ちる心持ちだった。
(そうだ! まずは恋をする相手をつくるんだ!)
 そうして彼女が向かったのは、恋愛成就の場、つまり深大寺であった。
 バスを下車後、すぐに凛を迎えてくれたのは、風情のある蕎麦屋だった。深大寺周辺は美味しい蕎麦屋が密集していることでも有名だ。
「参拝前に軽く食べて行こうかな。へー、結構種類があるのね」
 店前に立てられたメニューを食い入るように眺めていると、ふと隣に気配を感じた。
「ちかっ」
 すぐ真横には男子の顔があり、思わず凛は声を出してしまった。しかし、穏やかそうな顔をした青年は、全く気に留める素振りもなく、メニューを凝視し続けていた。
「山かけ……いや、天ぷらか。うーん、どちらも捨て難い」
 どうやらメニューで迷っているらしく、割と大きめの声量で独り言を呟いていた。
(とろろ天ざるならどちらも食べられるけど……ざるは嫌なのかな。暑いけど)
 六月に入ったばかりだったが、その日は強い日差しと蒸した空気が充満していた。
「お二人様ですか」
 店の入り口から、愛想よく女性の店員が声を掛けてきた。
「あ、はい」
 二人の声が重なる。凛は思わず条件反射的に返事をしてしまったが、それは隣の彼も同じだったらしい。驚きのあまり二人は顔を見合わせる。
「私、咄嗟にはいって返事をしてしまって」言いながら恥ずかしさに凛は顔を俯く。
「僕もです」答える彼の耳は真っ赤だ。
「お席、ご案内しますね」
「あっ、はい!」
 また声が重なる。店員の笑顔を前に今さら「違う」とは言えず、結局二人は同じテーブルに座ることとなった。注文を終えた後、気まずい沈黙が続く。
(こういう場合ってなにか話すべきかな。でも、そういうのは苦手な人かもしれないし)
 頭を抱える凛を余所に、彼はリュックから萌葱色の大型本を取り出していた。
「でかっ、ぶあつっ」
 凛が思わず声を上げると、彼は暫く呆然としていたが、ふふっと笑ってみせた。
「ご、ごめんなさい。まさかそんな大きな本を持ち歩いているとは思わなくて」
「いや、こっちこそ、すみません。久しぶりに人と接したな、と思ったらなぜか笑えて」
 少し照れた様子で視線を落とし、本を撫でながら彼は言葉を続けた。
「大学に通うために今年からこっちに来たんだけど……東京でこんな風に人と会話をしたの初めてだ。まぁ、もともと友達が多いタイプでは無くて、読書ばかりだったけど」
「私も高校時代ずっとそんな感じでした。大学に入って、今までやってこなかったことをやろうと決めたんですけど、どうも空回りばかりで。あ、私、皆川(みなかわ) 凛って言います」
「浜西(はまにし) 悠人です」
 はにかむ二人の前に食事が運ばれる。彼の前にはとろろざるそば、凛は天ざるだ。
「あの、よかったら天ぷら食べません?」
「えっ」
「なんだか暑さにやられたみたいで。頼んでみたけど食べられそうになくて」
(思わず言ってしまったけど、初対面の人にメニューをシェアされたら……嫌かな)
「ああ、また独り言呟いていたんだ。最近独り言が多くなってしまって」
 ありがとうと言った後皿を受け取った彼は、緊張がほぐれたらしく表情が柔らかだった。
「植物、お好きなんですね」
 悠人が横に置いた本には『植物大図鑑』と金色の文字で書かれていた。
「すぐ近くの神代植物公園によく行くんですよ。でも、深大寺はまだ行ったことが無かったから、今日は行ってみようと思って」
「私も深大寺に行くのは今日が初めてなんです。まぁ、これから成就するまでは通うことになると思うんですが」
「じゃあ、また会うかもしれませんね。そうだ、せっかく深大寺に来るなら、公園もぜひ寄ってみて下さい。植物に興味が無くても、散歩するだけで気持ちがいいと思うんですよ」
 無邪気に笑ってみせる彼の笑顔に、凛の胸が高鳴った。
 食事を終えると二人は揃って店を出たが、これからどうするものかと顔を見合わせた。
「えっと、これもなにかのご縁だから一緒に深大寺へ行きます?」凛が言った。
「ありがとう」
 凛が照れてしまったせいか、返事をする悠人の頬もほんのり染まっていた。
「所で、僕、深大寺についてなにも知らなくて。なんの御利益で有名なんですか」
「深大寺を開いた満功上人のお父様が深沙大王に祈願して、恋愛を成就させたという話から、縁結びで有名なんですよ」
「そうなんですね。僕、植物のことばかりで、今まで恋とは無縁で」
「私も同じです。受験勉強に追われて恋愛なんてしている暇が無かったから」
 悠人と自分との間に共通点を見つけ、「嬉しい」と感じていることに凛は気が付いた。
「恋かぁ、考えたことが無かったな。でも、いつか恋について考える日が来たら、それってもう恋をしているんだろうな、きっと。その時、僕と一緒にいてくれる人に」

川勢七輝(埼玉県/会社員)