「たしかにそれは」著者:野本ゆりえ
「で、結局次はバドミントンでいいの?」
全員が目の前の蕎麦に集中し、一瞬会話が途切れたところで目の前の席の山内君が投げかけた。
今日はけして蕎麦を食べる会ではない。運動でもしようと、最近流行りの卓球をするために集まったのだ。調布市に引っ越したばかりの山内君のために調布市観光も兼ねて、午前中は調布市の総合体育館で卓球、午後はその近くにある深大寺周辺を散策することになっており、今はその間のお昼休憩だ。
こうして月に1度くらい、職場の同期で仲が良い数人が休日に集まることを「きまぐれの会」と呼んでいる。職場の集まりというよりは、学校の同級生のような付き合いである。
この「きまぐれの会」でリーダー的存在は、山内君の隣に座る派手な赤いパーカーを羽織っている長身の男性、白田だった。今日のプランを組んだのも彼だ。
「次も卓球でいいんじゃない?結構おもしろかったし。リーもそう思うだろ?」
あかりのことをそう呼ぶのは白田だけだ。出会って間もない頃から勝手にそう呼び始めていた。
「えーやっぱりテニスかな!そっちの方がもう少し集まりそうじゃない?」
テニスなら参加するのにと言っていた他のメンバーの顔を思い浮かべながらあかりも応じる。「きまぐれの会」というだけあって来たり来なかったりする者も多く、現に今日の“会”の出席者は半分にも満たない3人だ。
「完全にバラバラじゃん。じゃあ、今日の特別ゲストに意見を聞こうか?佐々木さんはどう思うの?」
「え、私ですか?」
おもしろがるような白田の声に突然ふられ、あかりの隣の席でしばらく黙っていた彼女(・・)がきょとんとして口を開く。
そう、今日はメンバーの3人のみの集まりではなく“ゲスト”がいる。白田の所属する部署で最近入れ替わった派遣社員の佐々木さん、年齢はあかり達と同じだという。高校で卓球部だったと聞いて白田が声をかけたそうだ。今までもたまに“ゲスト”としてメンバー以外が参加することはあったが、今回は白田以外がほぼ初対面というレアなケースだ。
「私は、どれでも大歓迎ですよ。今日も久しぶりに体動かせて楽しかったですし。ぜひ次も声かけてください!」
卓球の後につけたのだろうか。先ほどまで見えなかった大ぶりのピアスが耳元で揺れている。その後、佐々木さんは、御朱印を集めるのがマイブームでよく寺社に赴くこと、深大寺はそう遠くないのに来たことがなかったので今日来られてうれしいこと、鬼太郎のアニメを子供の頃よくみていたことなど語り、終始マカロンみたいな笑顔を浮かべていた。
「で、結局、白田とはどうなの?」
店を出て深大寺に向かう道中、前の2人との少し距離が開き始めたタイミングをはかったように、山内君が突然切り出した。
「どうって…何が?」
言おうとしていることはわかったが、あえてはぐらかす。白田とのことについて聞かれることはこれが初めてではない。他の同期や先輩からも何度も聞かれてきたことだ。
「いや、みんなそう思ってるからね。2人の様子見てれば誰だってそう思うでしょ。何もない方がおかしいでしょ?ほら、この間のボーリングの時だってさ…」
表情はいつものように穏やかだが、いつになく口調がはっきりしている。
思い当たることがないと言えばうそになる。あかりが呼び捨てにするのは白田だけで、白田がニックネームで呼ぶのもあかりだけなので、周りからも特に親しく見えるのかもしれない。また、やや人見知りのあかりが気の置けないつきあいができる相手は限られているため、くだけた態度で接する様子は目につくのかもしれない。実際、白田とは、一緒にいることは多いし、彼が何かをするときに最初に誘うのはいつもあかりだ。
でも、2人の間に恋人のような名前を付けられるはっきりとした関係はない。いつだって手の届く距離にはいるが、お互いに手を伸ばそうとはしてこなかった。自分が彼にそれを望むのかもわからない。彼のことはトクベツだけどそれが何であるのか、それが“恋”と呼べるようなものなのかがわからない。皆どうやって自分の気持ちを“恋”だって知るのだろう。それが“恋”だと何か明確な啓示のようなものがあるのだろうか。
「だいたいあかりが彼氏ずっといないなんて誰が信じるんだよ。白田だって黙っていればけっこうイケメンだしさ…そういうのはっきりしてもらわないと困るっていうか…」
急に早口でまくし立てたと思ったら、最後はもごもごと急に口ごもった。
ちょうどその時、前方から2人を呼ぶ白田の声がして慌てて追いかけた。
「そういえばさ、次のきまぐれの会だけど、スポーツはいったんやめて違うことしてみない?あそこにこの間できたビルにあるプラネタリウム結構評判いいらしいんだよ」
突然思いついたように白田が言い、スマートフォンの画面を見せてきた。
ひと通り歩き回り、今は、佐々木さんが予約した御朱印を取りに行っているので待っているのだ。御朱印の整理券に受け取り時間は書いてあるものの受け取るのにも並ぶ必要があるようで少し時間がかかっている。
「僕はそういうの好きだからいいけど…何か白田っぽくないチョイスだね。」
あかりも同じことを思った。体を動かすことや華やかなイベント好きな彼からの発案としてはめずらしい、というか普段の彼なら絶対に自分からは言い出さないはずだ。
「たまにはいいじゃないの!リーもそういうの好きだろ?」
「ん、好き」
反射的に言葉が口をついて出る。でも、間違いではない。いつもこうして白田からの誘いには二つ返事で乗ってきたのだ。彼もあかりの同意を微塵も疑っていなかった。
「じゃあ決まりでいいかな?」
白田が満足げに笑ったその時、佐々木さんが小走りで近づいてくるのが見えた。
「ごめんなさーい!お待たせしました」
彼女が、ポニーテールでまとめた巻き髪を大きく揺らしながらぴょこんとお辞儀をすると、あかりは彼女の手元の御朱印帳に目が吸い寄せられた。
「これですか?去年一目惚れして買ったんです!かわいくないですか?私、星座とか好きで大学の時は天体観測のサークルに入ってたんですよ」
あかりの視線に気が付くと、御朱印帳をうれしそうに見せてくれる。ブルーの夜空に満天の星、真ん中には大きな北斗七星が輝いているとても美しい表紙だった。
「それ、夏に星見る合宿以外は飲みサーだったんじゃなかったっけ?」
そこへ白田が入ってきてからかうような口調でウインクした。
「それ言わないでくださいよぉ。それは一部の人たちで、私はまじめに活動してたって言ったじゃないですか!普段からプラネタリウムとか通ってましたし…」
2人のやり取りを見つめながら、あかりは胸の奥をギュッとつかまれ、全身が冷たくなっていくような気がした。手が小刻みに震えだすのを抑えるために強く握り締めた。
そうか、白田は知ってたんだ。彼女が星を好きなこと。卓球をすること。御朱印集めに凝っていて深大寺にはまだ来たことないことも、おそらく。
いつでも手が届くと思いこんでいただけで、本当はもう手が届かないところに行ってしまっていたんだ。
「大丈夫?」
山内君には微かに頷いて応えるのが精一杯だった。今、自分はうまく笑えているのだろうか。失って初めて気付くとか映画やラブソングの歌詞で使い古された言葉だけど、今さら動揺している自分がおかしい。
初めて帰り道が一緒になったこと、研修会の課題で終電ギリギリにダッシュしたこと、ラーメン巡りをしたこと、去年の花火大会の場所取りに失敗して必死に別の場所を探しまわったこと、クリスマスにケーキバイキングに行ったこと、甥っ子の誕生日プレゼントを一緒に選んだこと…なぜだが白田と過ごした日々が、次から次へと浮かんでくる。あふれ出る記憶と共にこみ上げてくる甘みと苦み。あぁそうか。
たしかにそれは―
野本ゆりえ(東京都小金井市/35歳/女性/公務員)