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「家族の日 」 著者: 垂季 時尾

 家族旅行にしたらもっと楽しそうな場所あったでしょ。娘は朝から不機嫌だった。三年ぶりの家族旅行。家族旅行と言っても、娘と私と、二人きりの旅行だった。娘は今年、中学二年になった。いわゆる思春期の、一番難しい年頃だ。それも承知で、娘を無理矢理旅行に誘った。私はもっと娘の反抗を予想していた。もちろん反抗されては困るのだが、案外簡単に、といっても、ごく素っ気ない態度で「べつにいいんじゃない」と、娘は私との旅行を承諾した。
 娘も、娘なりに気を使ってくれたのだ。私の妻であり、娘の母親である町子が死んで、ちょうど一年が過ぎた。長い闘病生活の末、町子はあっけなくこの世を去った。モルヒネのおかげで、ほとんど苦しまずに最期を迎えたが、闘病していたころは、さぞ痛みもあっただろう。最期の最期は、もう意識も混濁して、私や娘の言葉を聞かずに天国に行ってしまった。想像していたよりも、ずっと静かな旅立ちだった。闘病はすでに始まっていたが、まだ少しは薬で進行を抑えられていたころ、三人で旅行に出かけたことがあった。それがちょうど三年前のことだ。あまり遠出は体に悪いので、車で、二時間ほどの茅ヶ崎の海に行った。日帰りで充分だったけど、妻がどうしても旅行気分を味わいたいというので、少し奮発して、高いホテルで一泊した。あれが、家族三人での最後の旅行になった。
 妻が死んで、一年がたった。正直、この一年が早かったのか遅かったのか、自分でもよくわからない。時間が止まってしまったような気もするし、日々が濁流のように自分の体を押し流していった気もする。時々、自分たちの日常が、どんなものだったのかわからなくなる事がある。娘も、一見、これまでの日常を取り戻したように見えるが、その心の中は私にもわからない。狼狽しきった私よりも、よほどしっかりしているように見えるのだが。
 何か区切りをつけようとしたわけではない。ただ、ふらっと出かけてみたくなったのだ。昔は、家族三人でよく出かけた。ただのドライブだったり、有給をふんだんにとって、何泊もする大旅行だったり。彼女、妻は旅行が大好きだった。娘が産まれる前も、まだ二人が恋人同士だったころも、いろいろな場所に行った。
 娘を連れて、妻との思い出の場所に旅行に出かけることも考えた。だけど、私はあえてそれをしなかった。まだ思い出にかえたくなかったから。まだ、自分も行ったことが無い場所。娘の機嫌を損ねたらどうしていいかわからなくなるので、なるべく近場で、良い場所。のんびりできそうな場所。
 そんな場所がどこかにないかなと、インターネットで調べていて、偶然、深大寺周辺を発見した。ここなら家から車で二時間ちょっとだ。蕎麦も美味そうだ。ぼくは蕎麦が大好きで、かならず行き先に、蕎麦屋のある場所を選ぶことにしていた。深大寺周辺には、植物園もある。そろそろ花菖蒲が咲き始める季節だった。妻は花菖蒲が好きだった。おっ、この深大寺は縁結びで有名なのか。娘に、良い彼氏が出来たらいいな。いや、まだ娘には早いか。でも、いつかは娘も結婚するんだな。そんなことを考えていたら、私はどうしても、この深大寺に行ってみたくなったのだ。
 娘には行き先は内緒にしていた。娘は、娘なりに気を使って、一緒に出かけることを承諾してくれたが、父も父なりに気を使ってくれて、きっと遊園地か、どこか買い物でもできる場所に連れて行ってくれるものだと、娘は思っていたらしい。それで、着いてからずっと不機嫌なのであった。
「お父さんがお蕎麦食べたいだけじゃん」
 そう言って、娘も蕎麦をすすった。蕎麦の味は気にいったらしく、いつもはなにかと好き嫌いの多い娘であったが、残さず、蕎麦をたいらげた。やっぱり子どもにはちょっと退屈すぎたかな?そう私が言うと、娘はキッとこちらを睨んで「もう子どもじゃないんだから。私だってお寺とか好きなんだよ。知らなかったの?」と声を荒げた。私は怒鳴られたにも関わらず、少し嬉しくなった。妻も、こういう静かな場所が好きだったのだ。人の多い都会でのショッピングや、列にずっと並ばなくてはならない遊園地とかよりも、自然の、緑の匂いのする場所が大好きだった。闘病に入る以前から体のあまり丈夫でなかった妻は、旅先でもよく体調を崩したが、花の香りを嗅ぐと不思議と回復したものだった。
 いろいろな場面を思い出しながら、私と娘は、深大寺周辺を散策して回った。
 木々を風が撫でるたびに、緑の良い香りが鼻からすっと登ってきた。私と娘は、さして会話するでもなく、少しだけ娘が斜め前を歩き、私があとを追うように歩いた。ふと、娘の後ろ姿が、生前の町子の姿と重なった。
 もっといろんなところに行きたかった。町子が逝ってから、決して考えないようにしていた想いが頭をよぎった。ああダメだと思った。思った瞬間に、もう堪えることができなかった。場違いだと自分でも分かっていたが、涙がこぼれて、止まらなくなった。
 前を歩いている娘に気づかれないようにしないといけない。私はわざと歩む速度を緩めて、お土産などを見るふりをした。
 娘はずんずん先に行ってしまう。声が詰まりそうになるのを誤魔化して、私は「おーい」と、娘を呼びとめた。私の声に気づかないのか、娘はさらにずんずん先に行ってしまう。初めての場所なのに、道など知らないはずなのに、娘は知った道のように、ずんずんずんずんと、深大寺のある方へと進んで行く。
 まるで私の前から消えてしまうかのように。
いけない。それはいけない。私にはもうおまえしかいないのだ。私は冷静な気持ちでいられなくなった。涙はもう止まったが、また新しい涙が溢れそうになった。それをなんとか堪えて、私は走りだしていた。
 娘を一瞬見失いそうになったが、もうその先は深大寺だった。きっとここを上ったに違いない。私はそう確信して、境内に入った。
 娘はなんじゃもんじゃの木の下にいた。私も初めて見る木だったが、事前にネットで調べていたので、名前だけは知っていた。
「急に先に行くからお父さん心配したぞ」
 そう言おうと思って、娘に近づいたら、ふいに振り向いて、娘が先に「お父さん泣いてたでしょ?」と言った。
「え…。いや、そんなことは…」
 私は言葉に詰まった。
「いいんだよ別に。お母さんが死んじゃってから、お父さん一度もわたしの前で泣いてないじゃない」
「そうだったっけ?」
「うん。わたしはいっぱい泣いたけど、お父さんはずっと我慢してた」
 まさか娘にそんなことを言われるとは思ってなかった。私はどう答えていいのか分からなくなって「大きな木だね」なんて、間のぬけた返事をしてしまった。娘も「変わった花の形してるね」と答えたきり、もうそれ以上はなにも言わなくて、しばらくふたりでなんじゃもんじゃの木を見上げていた。
「お父さん、ここ、縁結びのお寺なんでしょ?お父さんに良い人が見つかるように拝んであげようか」
 娘が言った。
「ばか!オレはまだ母さんを忘れてないんだぞ。それよりおまえの方も彼氏できるように神様に頼んだらいいじゃないか」
 私は冗談まじりで答えたつもりだったが、娘は哀しそうな表情になって「ごめん。まだ早いよね。お母さんももう少し一緒にいたいよね…」と、うつむいた。
「いや…。そんなつもりで言ったんじゃないよ。それにほら、父さんももう大丈夫だよ。さっきはちょっとだけ昔を思い出して、思わず込み上げただけだから。いやぁー歳をとると、すぐ感傷的になっちゃうから。老化現象かなぁ?」私は、哀しそうにうつむいた娘を取り繕うように、明るい声で言った。
「きっと、お母さんも、こういうところ来たかったと思うよ」うつむいていた娘が顔を上げ言った。
「そうだね。母さんはこういう静かで自然がいっぱいある場所好きだったからな」
「でも、きっとお母さんもどこかで見てると思うよ」そう娘が言った時、境内を風が吹き抜けて、なんじゃもんじゃの木の花が、プロペラのように何枚も空中を舞った。
「ほらね。家族の縁は切れてないんだよ」
「なんだかおまえのほうがオレよりもずっと大人だなぁ。町子そっくりになってきた」
「嬉しい。わたしお母さん似って言われる方が好き。お母さん美人だったから」
「なんだよ。口は父さん似だぞ」
「まじで?お父さんに似てるなんてありえない」
「父親にむかって(ありえない)はないだろ」
 私は、町子が亡くなってからこの一年、喪失感とともに、大事な事を忘れていたような気がする。私にはまだかけがえのない家族がいて、町子との時間もまだ続いていたのだ。きっと、打ちひしがれていた私の姿をみかねて、天国の町子がここに連れてきてくれたのだ。今日のこの日を縁結びの神様が引き合わせてくれたのかもしれない。
 私は深大寺に来てそう確信した。新しい縁もあれば、続いていく縁もあると思った。
「あのね。お父さん」
「ん?どうした」
「さっき、先に歩いて行った時ね。ホントはわたしもお母さんのこと思い出して、ちょっとだけ泣いちゃってたんだ」
 娘はそう言うと、子どものころに戻ったように、照れ笑いを浮かべて、境内をくるくると回りながら走りだした。私は、その姿を町子に重ねて、優しく微笑み返した。

垂季 時尾 (京都府京丹後市/34歳/男性/自営業)

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