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「深沙大王 」 著者: シマザキ シオリ

「この度の緊急集会にお集まり頂き、有難う御座います」ちっとも有難いと思っていない怒りの表情を見せながら大国主大神《おおくにぬしのおおかみ》が礼を言った。八百万の神々が雁首を揃えて項垂《うなだれ》れている様は壮観だが、呼ばれた理由を考えると感心ばかりしていられない。「内閣府の調査によると、男性の二割、女性の一割は生涯結婚をしないらしい。内閣はこの調査結果を少子化と重ね合わせ、国力の低下への警鐘を鳴らしているが、我々にとってはどうでもいいことだ。人間のことは人間に任せておけばいい。しかし」大国主大神が床をドンと拳で叩いた。「なぜ、我々の縁結びの効果が人間に効かないのか! それが問題なのだ。毎年十月には皆で集まって誰と誰を結ぶか決めている。人間の数が増え、事務方の仕事が増え、縁を結ぶものたちも苦労を重ねているのだろう。しかし、それで怠慢をみせる者がいるのなら、私は断固として糾弾しなければならない! 君達は何をやっているのか。永久《とこしえ》の昔から縁を結び続けてきたはずだ! なぜ、これほどまで婚姻を結ばせる量が少なくなっているのだ! 怠慢だ! 怠慢だ! 仕事ができないならやめちまえ! こっ、この給料泥棒、阿呆、無能の集まりめ! 俺への批判なのか、批判なんだろう! 俺を無能にしたてあげたいんだろう! この地位を狙っているんだろう! これは陰謀だ、陰謀に決まっている!」ここまで言葉を続けて血管が切れたらしく大国主大神は口から泡を吐いて倒れた。ヒステリックなのはいつものことなのだが、この態度では誰も助けようとはせず、その場はお流れとなった。大国主大神の妻である沼河比売《ぬなかわひめ》が気絶した彼の襟首を掴んでずるずると引きずっていく様を見ながら、深沙大王《じんじゃだいおう》はその恐ろしい姿からは想像できないほど弱弱しい表情を浮かべながら溜息をついた。象革の袴を払い、思い思いに話し合っている神々の脇をすり抜けて帰る様子はリストラされかけているサラリーマンのような哀愁を漂わせていた。人一倍真面目に職務を行っている深沙大王にとって、叱責は心外だったが、その真面目さゆえに引け目も感じているのである。縁結びの成果が上がらないのである。昔ならば何もしなくても男女は結びつき、子を生した。それらを少しづつ修正するだけで済んでいた頃が懐かしい。人の心がもっと大らかだったのだ。
 深沙大王は家に戻り、近場の界隈を覗いてみた。若い男女が溢れんばかりに集まってきている。そのなかの幾人かは深沙大王の担当である。早速いつものように仕事を始めた。
 蕎麦屋で盛り蕎麦を啜っている男がいた。上手そうに食事をとっている姿をみるのは気持ちのいいものだ。昔からこの界隈の新鮮な水を利用した蕎麦は人々に好まれていた。深沙大王は蕎麦屋での男女の出会いを得意としていた。狭い店内では男女を結びつけるきっかけを作りやすいのである。
「おおっと御免よ。ぶつかっちまって。大丈夫かい、お嬢さん」「はい、大丈夫です」「いや、謝るだけじゃ気が引ける、親父、この娘さんに蕎麦を一枚頼むよ」「そんな、悪いです」「なあに、気にするなって、オイラはこの近くに住んでる大工の仁吉ってもんだ、お宅はどちらから」「向島です。たまには上手いものを喰って来いとおっかさんに言われて……これも手習いのうちだって」「そいつは偉いねえ。ここいらを案内してやろうか、地理に疎いとなにかと難儀するだろう」「本当ですか? それじゃあ、厚かましいけど御願いします」「なあに、いいってことよ」このように少しのきっかけだけで男女の出会いを演出したものであった。それが今ではすっかりと様変わりしてしまった。
「ちっ、ぶつかってんじゃねえよ。デブ」「すいませんでした」「謝ってすむんなら警察いらないっしょ、どうしてくれるワケ」ケバケバしいなりをした女性を選んだのがまずかったのかと深沙大王は慌てた。古の民でもしないようなカラフルな化粧の肌が黒い女に責めたてられ、男は平謝りをして財布から千円札を取り出して女に押し付けて逃げるように出て行った。女はその金で蕎麦を頼み、携帯電話で誰かと話し始めた。「ああ、アケミ。今さあ、汗臭いデブがぶつかってきたから、金、巻き上げてやったんだわ。そう、馬鹿みたいに謝ってさあ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、とか言っちゃって、まあ、貧乏そうだったから千円で許してやったけどね、ハハハ」
 逃げ出した男のことを諦め、深沙大王は境内を歩く女性に目をつけた。先程のむさ苦しい女と違って品がある。この女性ならば引く手数多の筈だと、彼女が履いているヒールのかかと部分を折らせた。女性はよろけ、石畳に尻餅をついてしまった。これならば、誰か助けるだろう。深沙大王は固唾を呑んで女性を見守った。
 道行く人は彼女の事など目に入らないかのように避けて歩いていく。昔ならば、鼻緒を切ったのと同じようなものである。そのような時には男がさっとやって来て布ですぐに補強してやったものである。それが出来なくとも肩を貸すくらいのことは可能なはずだ。しかし、誰も助けようとしない。見てみぬ振りだ。男達の替わりに近くにいた老女が助けをだした。情けないことであった。
 深沙大王は深沙大王堂の天井に引きこもった。そろそろ日が暮れそうな時間帯なのだが外に出る気がしなかった。何をしても駄目なのではないか。そんな思いが頭を過ぎる。この辺りは昔と違って様変わりしてしまった。森は縮小され、田園も消えていった。近くの大きな道路はひっきりなしに騒音を上げる車が流れ、高い建物で埋めつくされそうになっている。そんな中、深沙大王堂の周りだけはかろうじて昔の様相を維持していた。それだけが唯一の慰めであった。人も変わり、土地も変わる。変化を押し止めることは神ですら不可能なのである。しかし、変わらないものもある。深沙大王は目蓋を閉じて、流れていく風の音を感じながら微睡んだ。
 夜、月が天頂にかかるころ、深沙大王は物音で目を覚ました。ぎしりぎしりと階段を登る足音が二つ、深沙大王は外を窺った。男女のカップルがゆっくりと堂の階段を登っていた。
ようやく自分の価値が認められたのだ。深沙大王は喜び、外に出てその威光を晒そうとまで考えた。彼らの会話を聞くまでのことだったが。
「ねえ、ホントにやるの」不安そうな女が男に話しかけた。きょろきょろと辺りを窺っている。
「しょうがないだろ。金が無いんだよ。お前だって携帯代も払えないからついてきたんだろ」男が女を睨みつけた。振り向くときに、金色のネックレスがじゃらりと音を立てた。「今更、びびってんじゃねえよ」
 ゆっくりと堂に近づき、カップルは扉を開けようとペンチを取り出した。がちゃりがちゃりと扉の鍵をいじくっている。
「なかにあるものを買い取ってくれる人はいるんだよね」
「ああ、百万は出すって言ってるんだ。それだけあれば少しの間は凌げるさ」
「祟りとか、ないかなあ」
「あるわけないだろ。馬鹿馬鹿しい」男が鼻で笑う。「そんな非科学的なことがあるもんか」
 面倒になったのか、男は道具を投げ出して力ずくで抉じ開けようとした。
 見回りをしていた坊主が音を聞きつけて走ってやってきた。カップルは懐中電灯の光に気付き、死に物狂いで逃げ出していった。
「まったく、修理に幾らかかるとおもってるんだ」坊主がぶつぶつと独り言を呟きながら、扉を撫でた。深沙大王は溜息をついてまた奥に戻っていった。
  翌日、朝早くに老夫婦がやってきた。腰の悪い老人の横で寄り添うように支える老婆が優しげな目で夫を見ている。
「あなた。着きましたよ」老婆が声をかけても、夫は反応しなかった。ぼんやりとした眼を虚空に彷徨わせている。
「この人と結びつけて下さって有難う御座いました。おかげ様で、今まで仲良く暮らしてこれました。それもこれもこちらで祈ったからだと思っております」老婆が深々と頭を下げた。「昔は元気だった夫も、今では老いに負けてしまいましたが、それでもこの人と一秒でも長く一緒にいられればいいのです。私達を結びつけてくださいました神様。どうかこの人と一緒に逝けますように、御願いいたします」老婆はそう言って手を合わせた。
「あなた、終わりましたよ」老婆は老人の手を取って去っていった。
 今まで行ってきたことが報われる瞬間は、自分の価値が認められたときだ。それは神であろうと人間であろうと変わるものではない。晴れやかな気持ちで朝日を眺める。たとえ変わってしまったとしても、人はまだ人なのだ。変わったように見えるだけで、きっと心の奥底には昔の大らかさが残っているはずである。そう結論付けられるような強さを老夫婦から貰えた気がした深沙大王は、大きく伸びをして青空に昇っていった。

シマザキ シオリ (東京都荒川区/23歳/男性/フリーター)

   - 第7回応募作品