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「朱色の瞳」 著者: 坂井 むさし

 深大寺界隈は、まだ枯れ木立の3月であったが、山門周辺はまるで東南アジアの市場のように、朱色の果実が通りを埋め尽くしている。
 朱色の果実の正体は、大小様々なだるまであった。今日は、年に1度のだるま市。門前を歩く参拝客に対して、威勢の良い声が投げかけられる。
 天音は高校のテニス部の女友達、弥生と一緒にだるまを求める人の流れに身を任せていた。毎年、天音は両親とともにだるま市に来ていたが、高校に入学して1年生最後の春、初めて友人と深大寺を訪れていた。
 いつもだるまを買うのは天音の母、歌絵であったため、いざ自分でだるまを買おうとすると、どこで買ったら良いのか迷ってしまう。
「すごい人だよね。私、ちっちゃいから人混みに溺れてしまいそうで、いやなんだよね…智則君達は、この後、来るんでしょ?」
 身長150センチ台の弥生は、人の多さにうんざりしている。
「うん、大河君と行くってメールが来てた。早くだるま買わないとなぁ。うちの親、毎年だるま市に来てるからさ。ばったり会っちゃうのいやだし…ここのお店でいいかな」
「天音が決めたところでいいよ。でも、気合い入れて選びなよ」
 天音は歩みを止める。弥生とは対照的に身長は175センチあり、ヒールの少し高い靴を履くと人混みの中でもかなり目立った。
目の前の露店で、朱色のこぶし大のだるまを見つめる。同じサイズのだるまでも、よく見ると表情が皆異なる。初めてのデートに着る服を選ぶかのようにじっくり見定め、考え抜いて一体のだるまを手にした。
「これください」

 天音の通う高校のテニス部では、代々先輩達から口伝される一つのジンクスがあった。
付き合い始めて間もない恋人達は、深大寺のだるま市でだるまを買い、恋愛祈願をすれば、その愛は永遠に続くというものであった。ただ、だるまを買えば済むというわけではない。願いを叶えるには、いくつかのルールが存在するという。
 それは、恋人達は一緒にだるま市に訪れてはいけない。別々の時刻に同性の友人と訪れ、それぞれこぶし大のだるまを買うこと。朱色の絵の具を用い、自ら右眼を描き入れること。そして、結婚に辿り着いた恋人達は、朱色の絵の具で左眼を描き入れるというものであった。
 いつから始まったジンクスなのかは、天音達は知らなかった。きっと、深大寺が縁結びの寺であることにかけた、高校生の淡い恋愛祈願に過ぎないのだろうと感じていた。それでもテニス部の先輩からこのジンクスを聞いた時、いつかは自分達も大切な人とだるまを買いに行きたいと盛り上がったのである。
 高校卒業とともに別れてしまう恋人達は多いものの、これまでに左眼を描き入れるに至った恋人達も確かにいるらしい。
 冬休みに入って間もないクリスマスに、天音はテニス部の智則から告白された。テニス部に入部した当初から、智則のことはなんとなく気になっていた。言葉を交わす、交わさないにかかわらず、一緒にいると何故か気持ちが穏やかになるのだった。智則の告白を受けて、天音は素直に喜び、この恋がいつまでも続けばよいのにと本心で願ったのである。

天音は角刈りにした威勢のよい露店の店主からだるまを受け取り、自分のリュックにしまった。近くにいるはずの弥生を探そうと振り返ると、山門の方から歩いてくる母親の歌絵と父親の駿司の姿に気付き、ぎょっとした。
「やだ、信じられない…」
 天音のつぶやきに気付いた弥生が声をかける。
「どうしたの?」
「うちの親がいるよ…まったく」
 恋愛祈願のだるまを購入したところに、親が偶然通りかかるという、天音にとっては微妙なタイミングであったが、平静を取り繕うことに決めた。
「あら、天音、だるま買ったの?」
 歌絵が声をかける。
「こんにちはー。天音のお母さんは、だるま買ったのですか?」
 天音の気まずさを察して、弥生がフォローに入る。
「ええ」
 右手に持った白いポリエチレンの袋を少し持ち上げる。だるまが朱色の西瓜に見える。
「お母さん達、帰るの?私は弥生と調布で買い物してから帰るつもり」
「すごい混んでるからね、お母さん達は家でお昼食べるわ」
「気をつけろよ」
 最後に駿司が言い残し、歌絵と並んで通りに向かって歩いていった。
 二人は天音の両親を見送り、十分な距離が出たところで弥生が口を開いた。
「ねぇねぇ、天音のお父さん、初めて見た。すごいイケメンじゃん!」
 駿司の姿は参道から通りに出るところにあった。黒のダウンジャケットとダークブラウンに染めた髪がなんとか確認できるぐらいだった。
 駿司は、現在40代半ばであるが、無駄のない体つきと小麦色の肌、ダークブラウンの髪から30代と言われてもおかしくない風貌であった。
「普通だよ」
「そんなことないよ、うちのオヤジとは全然違う!あたしのオヤジも天音のお父さんみたいに格好良かったらなぁ。でもさ、雰囲気が智則君と似てる気がするんだけど。もしかして天音ってファザコンなの?」
 弥生から父を誉められ、天音は悪い気はしなかった。智則と父が似ていると指摘されたことは驚きであったが、意外に納得もできた。智則と一緒にいて感じる安心感は、父とどこか似ているところを感じ取っていたからかもしれないと、天音はひとりごちた。

 駿司と歌絵は自宅マンションのダイニングテーブルに向かい合って座っていた。深大寺で買った蕎麦を湯がき、天ぷら蕎麦にして食べるところであった。
「天音もとうとう友達とだるま市に行くようになったわね」
「まぁ、もう高校生だからな」
 駿司はテレビに写ったゴルフ番組を見ながら、蕎麦をすする。
「お父さんも見てたでしょ。こぶし大のだるま買うところ」
「まぁな…」
 駿司は歌絵の問いかけにあまり気乗りのしない相槌で返した。衣に汁が染み込んだエビの天ぷらを頬張る。
歌絵は箸を置くと立ち上がり、寝室に向かった。ほどなくして、少しほこりの被った化粧箱を手にしていた。
「まさか、あのジンクスが今でも続いているとはね。深大寺の縁結びにかけて、ノリで始めたのに」
「俺達の頃は、単に彼女と一緒にいるところをばったり親に見られるのが気恥ずかしいから、男女分かれて買っただけなのにな」
「今では、それもルールになっているみたい。男女分かれて、友達同士とだるまを買うって。あのまま、深大寺に残っていたら彼氏の顔を拝見できたかもよ」
「俺は見たくないよ。第一、天音に彼氏ができたとは言えないだろ。だるまを買いたかっただけかもしれない」
 ふふ、と歌絵は笑う。
「往生際が悪いわね。明日になったら、天音の部屋を覗いてみればいいじゃない。朱色の瞳のだるまがいるわよ、きっと」
 少し古びた化粧箱の蓋を歌絵は開ける。そこには、二体のこぶし大のだるまが収まっている。いずれのだるまも両眼が朱色である。
「天音の恋愛が叶うといいわね。成就したあかつきには、このだるまを見せてあげようかしら」
「まだ、早いよ」
「何言ってるの。私達がテニス部で付き合い始めたのは、今の天音と同じ歳じゃない」
 そうだったかな、と30年前を思い起こす。いつか、自分の前に現れるかもしれないボーイフレンドの姿を想像する。会いたくないような、自分達夫婦のように永遠に結ばれて欲しいような、相反する気持ちが入り交じる。
駿司が少しのびた蕎麦をすすっていると、玄関のドアが開く音がした。
「ただいま」
 天音が帰ってきた。天音はどんな恋愛をするのだろうか。駿司は幸せな未来を祈りつつ、愛娘に「おかえり」と応えた。

坂井 むさし(東京都西東京市/38歳/男性/会社員)

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