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「恥ずかしいんだもん」 著者: 田中 範

 私はお祖父ちゃんなんてだいっきらい。
 すぐ怒るし、タバコもすうからだいきらい。
 注文していた天ざるソバがきた。
「そうやっていつまでもムクレてちゃだめだめ。遅くなっちゃったけど昼ごはんにしましょう」
 お祖母ちゃんがそう言ってくれたけど、私はおソバも好きじゃない。お箸でおソバをつついてるばっかり。
「おソバって細長いでしょ?。ずっとずっとながーく好きな人の側にいるっていうことで、昔の人は結婚の約束におソバを食べたんだってよ。知ってた?」
 もちろん知らない。私はかぶりを振った。結局私のおソバは残ったままで、お祖母ちゃんは半分だけ私のおソバを食べてお店の人にごめんなさいを言った。深大寺さんへの方へブラブラ歩きながら、お祖母ちゃんは今日の私がいちばん言われたくないことを言った。
 「ねえねえ、あなた、ちょっと翔太くんが気になるんじゃないの?それであんな意地悪なことを言ったんでしょ」
 そんなことないもん。私はそっぽを向く。
 「そんなことあるわよ!ちょっと恥ずかしくなっちゃったんでしょ?女の子は好きな人の前じゃ恥ずかしくなるのよ、ふつうのコトよ」
 お賽銭を入れてお祖母ちゃんは何事か、深大寺さんにお祈りをした。私はしないもん、神様なんていないんだよ、ってパパが言ってた。
 「お祖母ちゃんね、高校生の頃に初めて人を好きになったの。初恋。調布の駅前で、ほんとに偶然会っただけだったんだけど、好きになっちゃったのよ」
 どんな人?どうやって会ったの?私も思わずお祖母ちゃんの顔をのぞき込む。
 「バスから降りるはずみでね、持っていたミカンの紙袋を落としちゃった。黄色いミカンがバス停にゴロゴロ転がっちゃったの」
 それでそれで?
 「親切な男の人が拾ってくれたんだけど、お祖母ちゃんたら恥ずかしくって、顔も上げられなくて、ろくろくお礼も言えなくてね。それでそれから深大寺さんにお願いするようになったの。もう一度あの人に会わせてくださいって」
 その人が親切だから好きになったのかな、お祖母ちゃんは。
 「違うのよ。どうしてかしら。その人がミカンを渡してくれた手がね、とっても大きくて温かかったの。それで好きになっちゃった」
 それならその人と結婚すれば良かったんだよ。あんな怒りん坊のお祖父ちゃんじゃなくってさ。
 「え?あらあら、そうじゃないのよ。それに、お祖父ちゃんのことをそんなふうに言うのはやめなさい。おうちに帰ったら、ごめんなさいってあやまろうね。お祖母ちゃんも弥生ちゃんが悪かったと思うよ。ね?あとで翔太くんにもちゃんと謝ろうね」
 私は返事をしなかった。だって、だって。私は恥ずかしかっただけなんだもん。
 夏休みも終わりの二十日頃になると、私はいつもお祖父ちゃんとお祖母ちゃんのおうちに一人でお泊りに行く。一年生のときからだから、もう三回目だ。行くと、いっつもお祖母ちゃんは優しいし、いっしょに映画を見に行ったり、マンションのお部屋でみんなでスイカを食べたりして、とっても楽しい。みんなで、っていうのは、私とお祖父ちゃんとお祖母ちゃんと、もう一人、お祖母ちゃんの隣の部屋に住んでる翔太って男の子が一緒のことが多いからだ。翔太は私のいっこ上なんだって、パパとママが教えてくれた。翔太はお祖父ちゃんと一緒で、あんまり話さない。お祖父ちゃんはベランダでタバコをすうけど、翔太はテレビで高校野球を見てばっかりで、はっきり言って邪魔っけだ。翔太にはパパがいなくって、翔太のママは私のパパと同じくらいバリバリ働いてるんだって、これは私のパパが教えてくれた。翔太はうちのお祖父ちゃんと仲良しで、しょっちゅう遊びに来る。来るといっつも何か言いたそうにするんだけど、翔太と私と二人になっても、結局黙って二人でテレビを観るくらいしかしない。お祖母ちゃんがいなかったりしたら、翔太と同じくらい無口なお祖父ちゃんと三人で黙ってテレビを観る。野球の応援をしている翔太の顔はいっつも本気で、目がキラキラしてる。
 今年の夏休みもそんなふうに始まるはずだったんだけど、あんまりうまく行かなくて、私はさっきお祖父ちゃんにとっても叱られた。私が、翔太にへんなことを言っちゃったから。
思い出すと、昨日の晩は楽しかった。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんと三人ですき焼きを食べた。ステキな夏休みのはじまりはじまり。 
 それなのにそれなのに。今日のお昼ごはんの前に、翔太が遊びにやってきた。一年ぶりね、って挨拶したのに、翔太に軽くシカトされて、私だって結構むかついた。いつものようにまたテレビを見ながら、背が伸びた?って聞いてみたら、翔太はそれには答えなくって、急に、
「今日の着てるその服は、とってもキレイだね」
 と的はずれなことを言ってきた。私は顔がなぜだか真っ赤になって、それでへんなことを言っちゃった。
 翔太はいっつも同じような服だね。母子家庭だから?
 そのとたん、なんだか変な空気になって、翔太もお祖父ちゃんも何も言わなかったんだけど、洗濯物干しが終わったお祖母ちゃんが、
「お昼ごはんはお素麺かねぇ?」
 と居間をのぞいたら、翔太はちょっとへんんな感じのまんま部屋を出て、自分のおうちに帰ってしまった。お祖父ちゃんはベランダでタバコをすってたけれど、戻ってくるなり
「弥生はいつからあんなことを言う子になった?お祖父ちゃんは怒ってるぞ!」
 なんて大きな声を出して、畳をたたいたかから私はびっくりして、口もきけなくなっちゃった。私だって分かってるよ。なんであんなへんなこと言っちゃったんだろう。
「ね?弥生ちゃん、帰ったらお祖父ちゃんと、それと翔太くんにも謝ろうね」
 入場料を払ってお祖母ちゃんの好きな植物園に入ってから、お祖母ちゃんはもう一度くりかえした。やだなぁ。どうしてお祖母ちゃんはあんなタバコをすう、しかも怖い人と結婚なんてしたんだろう。初恋のミカンの人とすれば良かったのに。大温室の前で、お祖母ちゃんの知り合いの人に出会った。白いヒゲの制服を来た人だ。植物園の人みたいな格好だ。さきに温室に入るよ、と言って私は一人で先に進んだ。もう帰りたくなくなったんだもん。大きな水仙を見てからそっと入り口の方をのぞくとお祖母ちゃんもこっちへやって来る。私はお祖母ちゃんに気付かれないようにそっと逆に回って、そのままバラ園のところへ出てきた。ダブルなんとかって、キレイな花が咲いている。
 お祖父ちゃんも、それに、初恋の人とじゃなくてそんなお祖父ちゃんと結婚したお祖母ちゃんも大嫌い。翔太もだいっきらい。
 竹・笹園って書いてある方にスキップして向かう。夏だし、もう夕方だけど、涼しいに違いない。でも一人で来てる子は少なくって、私のスキップの足もだんだん重くなる。意外に広いし、一人じゃつまんない。ひっかえして、芝生の公園のところまでやって来た。もうお祖母ちゃんだけは許してあげよう。だいたいおソバも食べなかったから、お腹がすいてきた。アイスも食べたいけど、カレーの匂いがどこからか漂ってきた。お祖母ちゃんがいた温室に戻って一周したけど、お祖母ちゃんはやっぱりいない。
 だんだん心細くなってきて、雑木林の方に、今度は走って行ってみた。やっぱりお祖母ちゃんはいない。蝉がカナカナと鳴いて、なんだかたまらない気持になってきた。
 私が泣いちゃったのは、閉園のお知らせが聞こえてきて、それでもお祖母ちゃんに会えなかったからじゃないんだもん。お腹が減って少し悲しくなって来ただけなんだもん。めそめそしていたら、キレイなお姉さんの二人連れが声をかけてくれた。お祖母ちゃんと会えないのって言ったら、二人はあらあらと顔を見合わせて、私を公園の事務所まで連れていってくれた。
 事務所ではとっても心配そうな顔をしたお祖母ちゃんが
 「弥生ちゃん、ごめんね」
と言ってくれたので、私はかえって悲しくなって、涙が止まらなくなった。
 ちがうもん、私だって、私だって、お祖父ちゃんと翔太に謝ろうと思ってんだもの。
 でもどうしてもそうは言えずに私は涙が止まらなくなった。
「お祖父ちゃんが車で迎えに来てくれてるよ。お祖父ちゃんと帰ろうね」
 みんなにお礼を言ってから正門の方へ歩いていったら、ニコニコしたお祖父ちゃんが立っていた。お祖父ちゃんを見たら、私の涙は、ひっこみかけだったのに、また止まらなくなった。
「お腹へったか?今日はカレーライスをお祖父ちゃんが作ったから、翔太くんと、みんなで食べような」
 お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが、手をつなごうと言い出した。お祖母ちゃんの手はとってもすべすべしていて、お祖父ちゃんの手はとっても大きくて温かかった。
 私はポロポロ泣きながら、帰ったら翔太とぜったい仲直りしようと、そう思って、心の中で深大寺さんにも約束した。

田中 範(東京都新宿区/42歳/男性/会社員)

   - 第7回応募作品