「もりそばと冷麺の結婚」 著者:頼富 雅博
人の人生には八方塞がりの時が幾度かあるという。秀雄はふとそんな言葉を思い出していた。「自分は一体この閉塞のトンネルからいつ抜け出せるのだろう。」
振り返ってみれば、中学卒業と共に富山から上京し、本郷の老舗の蕎麦屋で修業を積み、西荻窪に小さな店を出したのは三十になった年だった。一時は繁盛したが、ギャンブル好きの常連客に誘われるままに、競輪、競馬にのめり込み、気がつけば店を手放す羽目になった。その後も心機一転と借金をして吉祥寺の駅前に店を出したが、周囲を安価なチェーンの蕎麦屋に包囲され、勝負にはならなかった。そして、逃げるように店をたたみ、流れ着いたのがこの深大寺だった。
貼り紙を見て門前の蕎麦屋にバイトとして入り、働いているうちに五十の峠を越えていた。昔は浮いた話の一つ、二つもあり、世間並みに恋に夢中になったこともあった。しかし、今はただ与えられたこの蕎麦屋の仕事をただ平坦に務めることがすべてだった。平凡だけれど、安穏。そんな日々を過ごすことが今の秀雄の愉しみだった。
そんな日常を打ち破ったのは、思いがけない来訪者だった。ある日、店の主人が若い女の子を連れてきた。「韓国から日本の蕎麦を勉強に来た朴恵蘭(パクヘラン)さんだ。今日からお前の弟子にするから、面倒見てやってくれ。」主人はそれだけ言い残すと、女の子を残して去っていった。
「先生、よろしくお願いします。」頭を下げるヘランのカタコトの日本語に秀雄は内心戸惑った。しかし、真剣に自分を見つめるヘランの瞳は秀雄に蕎麦を教える意欲をもたらしていた。
次の日から秀雄とヘランの蕎麦打ち修業は始まった。日本で勉強するためにヘランは韓国で日本語教室に通っていたとのことで、日常の会話は何とか理解できる。しかし、いざ蕎麦のいろはから教えるとなると話は別だ。秀雄にしても、自身は本郷での厳しい修業は経験しているが、人に教えることは全くの初めてだった。まして、相手は外国人で、自分とは親子ほども年の離れた女の子だ。
「水回しはね・・・」
「お水・・・を・・・回すのですか?」
「そこの蕎麦ちょこ一つ、渡してくれ。」
「?チョコ・・・ですか?あ、ありませんが。」
万事がこの調子で、秀雄は内心これは大変な仕事を引き受けたなと思った。しかし、一方で毎日交わす珍妙なヘランとのやりとりがこれまでの平凡な繰り返しの日常に風穴を開けてくれるのを感じ取ってもいた。
ヘランは素直で何に対してもひたむきな性格だった。秀雄の教えることも手帳にしっかりとメモをし、どんな作業も手を抜かず、できるまで粘り強く繰り返した。そんな姿は秀雄と彼女との距離を急速に縮めていった。
ヘランとの出会いによって、秀雄の生活には一つの変化が生じた。それは誰にも内緒で休日に三鷹駅前にある韓国語教室に通い始めたことだった。まさに五十の手習いで記号のようなハングルの列に頭を抱えながらも、どこか自分の中に少年のようなときめきが湧き上がってくる。そして、教室で覚えたハングルをヘランに試して、自分の成長を確かめるのが毎日の日課ともなった。
こうして、秀雄とヘランの日本語と韓国語の入り混じった師弟の歩みは少しずつしっかりとしたものになっていった。やがて、半年も経つ頃には言葉と共にヘランの蕎麦打ちも形になって、時に打たせる蕎麦も不揃いながらお客に出してもよいぐらいにまで上達を見せた。秀雄の教えた「蕎麦はたべるもんじゃなく、「手繰る」もんだ。」ということもヘランは理解するようになった。
ヘランは深大寺の神代植物公園の近くに店の主人が借りてくれた小さな1Kのアパートに住んでいた。秀雄は日曜となると、よくそこへ顔を出した。買い物一つも不便だろうという気持ちで通い始めたのだったが、いつしかヘランをいろいろな所に連れていくのが秀雄の愉しみになっていった。井の頭公園、動物園。天文台や野草園。時間にゆとりがある時には故郷の香りを味合わせようと遠く新大久保まで足を伸ばした。
そんな中でヘランが一番喜んだのは、植物公園だった。四季折々の草花に目を輝かせる彼女の横顔を見るのが秀雄には大きな喜びだった。今時の日本の女の子と違い、髪もいじらず、化粧っ気もないヘランの白い顔はその名の通り、品のある蘭の花に似ていた。
気がつけば二人は互いの身の上を衒いなく打ち明ける関係になっていった。ヘランの実家は釜山で、幼いころに父親を事故で亡くし、母がチャガルチの水産市場で行商をしながら、女手一つで育ててくれたこと。彼女もアルバイトで学費を稼ぎながら、大学を卒業したことがわかった。
一方の秀雄も若い時から蕎麦一筋に生きてきたこと。そして、失敗の繰り返しの中で今の店にたどり着いたことを正直に話した。
そんなある日、いつも元気なヘランが店に顔を出さないので、電話を入れると、長い呼び出し音の後、「すみません。熱が出てしまって・・・。」と消え入るようなか細いヘランの声が聞こえた。秀雄はその日の蕎麦打ちを終えると、昼の中休みにヘランのアパートに飛んでいった。
部屋の中のヘランは枕元に洗面器を置いたまま、布団の中で赤い顔をしたまま動かない。慌てて秀雄は途中のスーパーで買ってきた氷枕をヘランにあてがい、冷やしたタオルを額に乗せてやった。
「何かほしいものはねえか。」
そう尋ねると、ヘランは体を拭いてくれと言う。一瞬秀雄は逡巡したが、ヘランに替えの下着とパジャマの場所を聞き、「ごめんよ。」とヘランの下着を脱がせ、新しいものに着替えさせた。見えてはいけないと目をつぶりながらの着替えだったが、それが終わるとヘランは幼子のように安心しきった顔で深い眠りに落ちた。その寝顔を眺めながら、あらためて部屋を見渡すと、一間だけの部屋は家具らしいものもなく、狭いはずの部屋が広々と見えた。そんな中で唯一違っていたのは部屋の隅の小さな台所に蕎麦打ちの道具一式が整然と置かれていることだった。几帳面なヘランらしく、フキンがかけられていた。
それを手に取って眺めていると、ヘランが一層愛おしく思えた。蕎麦包丁を手にすると、柄のところは少しへこんでいる。恐らく、ヘランは店から帰った後も、その日秀雄に教わったことをこの部屋で一心に試していたに違いない。決して安くはない蕎麦打ちの道具をこうして揃えるために、ヘランは慣れぬ異国での生活も切り詰めていたのだろう。
秀雄はヘランが目を覚ますまでの間、彼女の道具を使って蕎麦を打つことにした。自分にとっては一年三百六十五日繰り返してきた蕎麦打ちにもかかわらず、今日のそれはいつもと違う心が入る。静かに眠るヘラン一人のために最高の蕎麦を食べさせよう。その思いが秀雄の全身を包み込んだ。
やがて、目を覚ましたヘランは熱も下がり、秀雄の運んだもり蕎麦をゆっくりと、おいしいそうに口に運んだ。秀雄にはその横顔がたまらなく愛おしかった。
そんなことがあった翌週、ヘランは秀雄をアパートに誘った。「先週のお礼に私が秀雄さんのために料理を作ります。」と言ってくれる。
素直に好意に甘えることにした。部屋ですることもなく、待つこと一時間。ヘランが運んできたのは手作りの韓国冷麺だった。透き通ったスープの中にはこしのある麺。上には紅も鮮やかなキムチに白い梨の薄切りが添えられている。
一口ずつ口に運びながら、秀雄はヘランの健気さ、そして愛をしっかりと感じていた。
秀雄とヘランはその夜結ばれた。そこには秀雄が必死で覚えたハングルも必要なかった。そしてヘランの方も日本語はいらない。ただ、そこには優しく抱擁しながら、相手の自分を思う心を体温と共に確かめ合えばよかった。
あれから三年。ヘランは釜山にいる。別れたわけではない。秀雄との子を宿したヘランがお産のために戻ったのだ。
「赤ん坊が成人の時に俺は七十五か。若くいなくっちゃな。」
そう自分に言い聞かせながら、秀雄はまた昨日と同じ蕎麦打ちに戻った。
頼富 雅博(群馬県前橋市/49歳/男性/教員)