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「厄結び」著者:柑橘類

『深大寺』は、恋と厄除けに効果のある寺だと言われている。だが私はこう思う。
その二つを同時に叶えることは出来ない。
何故なら、恋と厄除けは同時には成立しないからだ。
恋とは災厄を引き込むものだといえるからだ。
実際に深大寺に縁結びを祈願した者の実感として、そう思う。
「あ、水瀬さん。あちらに温室があるみたいですね」
「え、ええ。そうですね……」
「行ってみましょうか。面白いものが見れそうだ」
考え事をしている私に先輩が声をかける。晴れ渡る空の下、先輩は看板を見ながら目を細め、肩を弾ませて大温室の方へと向かっていった。
水瀬というのは私の名前だ。今日私は大学の男の先輩と共に神代植物公園に来ている。
この植物園は春夏秋冬様々な植物が見られる場所で、特に薔薇園が人気だ。夏のはじめの今、私達と同じように男女で来ている人もいっぱいいて、咲き誇る赤や黄色の薔薇を楽しんでいる。だが先輩は薔薇園のそばの温室に強く惹かれているらしい。彼の背中を追いかけながら、私はよく見知った植物園を歩いていく。
深大寺は私の実家の近くにある寺で、観光地でもある。子供の頃は毎日のように遊びに行ったものだけど、長じるにつれて足を運ぶことも少なくなった。
私が再び深大寺を訪れるようになった切欠は、幼馴染みの親友に恋人が出来たことだ。
愛しい者と幸せな日々を送る親友が眩しくて、同時に寂しくて、私は深大寺に駆け込んで祈りを捧げた。
――どうか私にも良い縁を授けてくれますように。
通い詰めて祈りに祈った結果、出会ったのが今一緒に歩いている先輩だ。
「見てください、水瀬さん」
「…………」
「立派な食虫植物だ。餌となる虫がいないのは残念ですが、これだけでも目を引きます」
先輩の言葉を聞きながら私は心の中で溜息をついた。
大学だと授業にまともに出ない事をステータスとするような人も沢山いる。でも先輩はいつも最前列で授業を聞いていて、他の人への教え方もうまくて、私も何かとお世話になった。彼の何事にも興味を示して真面目に取り組むところを私は好きになった。学業の場だけじゃなくて、もっと個人的にもお付き合いしたいと思ってしまった。
だから意を決して自分から誘うようにした。世間話の中で先輩は自然が好きだと聞いていたから、そんなスポットを中心に誘った。
大学以外の場で楽しんでくれるのか不安もあったが、彼はどこへ行っても嬉しそうにしてくれた。それだけならば嬉しかった。誤算だったのは、彼の自然好きの中には『虫』も含まれるということだ。自然で過ごす虫を観察するのを好んで、彼は今日もカメラをカチャカチャと鳴らしている。
困ったことに、私は虫全般が非常に苦手だ。家の中に出る蜘蛛は益虫だから見かけても生かしておいた方がいい――そんな記事を見たことがあるけれど、そんな理屈なんかどうでもいい、無理なものは無理だと思って生きてきた。
そして、更に困ったことに、私は先輩が虫好きだと知った上でなお一緒にいたいと思ってしまっている。毎日図鑑で虫たちの生態を調べて、なんとか慣れようと努めて、今に至る。
つまり、私は理屈を超えたところで先輩に惹かれてしまったのだ。深大寺の縁結びの力は私の手には負えないような強い引力を与えたらしい。
先輩はいつものように楽しそうにしているけれど、それは嬉しいことなのだけど――私はそれだけでは不満である。
数ある都内の植物園の中からわざわざ深大寺近くのところを選んだのは、深大寺が縁結びの寺だからだ。遠回しなアピールというやつである。だが、こうして植物園を回っていても彼にはそれは伝わらないらしい。
私は意を決して、植物園を出て深大寺の本堂を回ることを提案した。
先輩は頷いて、私達は深大寺の境内へと移動した。
が、思う通りにはいかなかった。
「これは珍しいですね。水瀬さん、ありがとうございます。もっと近くに寄ってみるといいですよ。上のほうに成虫が張り付いていて、羽がよく見える。ああ……きれいだ」
深大寺の境内には寺の施設だけではなく、珍しい木や池といった自然の見どころも多くある。境内には国蝶・オオムラサキの展示があって、先輩の興味はそちらに吸い寄せられてしまったようだ。黒みを帯びた紫の羽を見つめる先輩は、花の蕾を見つけたような慈しむ目をしている。
私はそっと距離を取って提案した。
「……先輩。私、ちょっとだけ探したいものがあるので、行ってきます」
「ああ、わかりました。ここで待っています」
私は石段を降りて店が建ち並ぶ通りへ出た。風に木の葉が揺れる音や、水が流れる音を聞きながら、私はあるものを探して歩く。少々時間をかけて目当てのものを見つけた。私は山門を通ってもとの場所へ戻り、先輩に話しかける。
「先輩。これ、今日付き合ってもらったお礼です。良かったら貰ってください」
私は先輩に袋を渡した。まあまあの重みがあるそれの中身を検めて、先輩が目を細める。
「だるまですか」
「ええ。特殊な仕掛けとかはない、ほんとうに普通のだるまですけど……」
「そんな事無いですよ。この色のだるまは初めて見ました」
私が先輩に渡したのは、ピンク色のだるまだった。
……渡したはいいものの、渡しても問題ないプレゼントかどうかは一応聞いてみた方がいいかもしれない。私は首を竦めて呟いた。
「……でもだるまって、インテリアにするにはちょっと人を選びますかね。いらないなら私が持って帰ります」
「いやいや。そんな事はないですよ。このいかめしい表情は部屋の雰囲気をぐっと引き締めてくれる感じがします。大切にしますよ」
「……!そうですか。ありがとうございます……!」
「でも、一つ気になることが」
「なんですか?」
先輩はだるまを長い指で持ち直して、私に聞いた。
「水瀬さんはどうしてこの色を選んだんですか?もっと一般的な色なら、すぐに見つけられたのではないですか」
それは先輩の言う通りだ。
深大寺の秘仏である元三大師にあやかって、ここではだるまが名物だ。山門近くにもだるまを売っている店は沢山ある。だが、その殆どが赤色のものだ。
だるまはその色によって込める願いが変わってくるのだという。赤色は厄除けや大願成就の色で、誰に渡しても喜んでもらえる類のものだといえるだろう。
だけど私はあえてそれを避けた。
「先輩。私がこの色を選んだ理由は……秘密、です」
「秘密?それは……個人的に調べればわかる類のものなのですか?」
「おっと、今ネットで調べちゃだめですよ。調べるのは今日別れてから、家に帰ってからにしてくださいね」
「ふむ……?」
私は先輩の様子を見ながらにこりとする。今日先輩はずっと楽しんでいる様子だった。そんな彼が首を傾げて、はじめて困惑しているようだ。
先輩は私のような後輩の面倒を見てくれる面もあるが、基本的には一人で研究に励む性格だ。わからない事があれば突き詰めて考えようとするだろう。このだるまはどういう意味を持つか、私が何を思って渡したものか、先輩にはそのことで沢山悩んで欲しいのだ。そしていつかは私と同じような状態になってほしい。まぶしい緑と光が溢れる中、私は愛しい人への災厄の訪れを祈っている。

柑橘類(東京都)