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「善き人」著者:みなみひか

 太陽がカッと真っ黒に焼けて、ヘリコプターが墜落していった。赤い煙が遠くにあがってゆく。私はぜえぜえ息を切らしながら、干からびた道を歩いていた。枝のない巨大な樹が生えていて、中二のときのクラスメートたちが踊っている。ここは教室なんだ、と私は思う。私をいじめた女子たちもいて、体が硬くなる。隠れなきゃ。逃げなきゃ。誰かが追いかけてくる気配を感じながら、夢中で走った。息が苦しくて、涙がこぼれた。
 目が覚めると、頬に泣いた跡があった。まだ心臓がばくばくしている。目の奥がごりごりと痛くて、まぶたをうまく開けられない。パニック障害と鬱とを患って退職してから三ヶ月。このごろずっと眠りが浅くて、嫌な夢ばかり見る。
 キッチンに行くと、夫はもう起きていて、コーヒーを飲んでいた。「日曜なのに早いね」と声をかけると、「うん、ちょっと出掛けようかと思って」と夫が言った。「伊崎脚本賞の締め切りが来月だから。シナハンに行ってくるよ。深大寺。あきみさんも行く?」え、と思わず苦い声がでた。急な予定が入るのは苦手だった。「気が乗らなかったらいいよ。天気もいいから、あきみさんも動きやすいかと思って」確かに窓の外はよく晴れていた。梅雨のあいだは、一日中寝たり起きたりして過ごしていたから、少しは外に出てもいいように思えた。
 吉祥寺駅の喧騒は相変わらずめまいがしそうになる。駅のホームのアナウンスや、電車の走行音。複数の音が混ざり合って耳に刺さる。退職してから近所のスーパーに行くのもやっとやっとなのに、電車に乗るのはまだ早すぎたかもしれない。深大寺行きのバスの後部座席にぐったりもたれて、心療内科でもらった頓服薬を飲んだ。「大丈夫? あきみさん」と夫が聞くので、黙ってうなずいた。
 深大寺前は高い木々に覆われて、蝉の声が響いている。「やっぱり自然が多いなあ」と夫はさっそく携帯のカメラで風景を撮りはじめた。
 吉祥寺の脚本学校の同期だった私たちは、三年前に結婚した。私は二十八歳で、夫は三十二歳だった。私はもう脚本はやめてしまったけれど、夫は今も会社員の傍ら、学校に通い、脚本賞に応募し続けている。今度送ろうとしているのは、お寺を舞台にした話らしい。大賞を撮れば、短編映画として公開される。
 鬼太郎茶屋の外観などを撮り終え、いったん昼食をとることにした。夫が目星をつけていたという老舗の蕎麦店に入った。窓際の席に案内され、夫は天ぷら蕎麦を、私は梅おろしの蕎麦を頼んだ。「あ、魚」と夫が窓の外をうながす。窓の外の池に、小さな波紋と一緒に数匹の魚の影がうつった。水面をとんぼが飛んでいった。
「魚っていえばさ」と注文した蕎麦をすすりながら夫が言った。「結局、あの話は書いたんだっけ。ほら、目に魚がいる人の」「ああ……」と梅をほぐしながら私は首を振った。
「書かなかったよ。あらすじ、不評だったし」
「俺はいいと思ったけどなあ」
 まだ夫と付き合う前のことだ。脚本学校の授業では、あらすじや書いてきた作品を発表しては、お互いに感想を言いあう。「目の中に魚を飼っている女の話」は、私があるとき発表した題材だった。ストレスで、目の中を魚が泳ぐようになった女の話。「テレビドラマ向きじゃない」「どうやって映像にするの?」「意味がわからない」と評価は散々だったけど、唯一「書いたほうがいい」と言ったのが夫だった。「それが野本さんの世界だから。あと俺は好き」現金なものでその言葉が嬉しくて、それから夫とよく話すようになった。子どもの頃から人とコミュニケーションをとるのが苦手で、学校や職場でも浮いていた私だったが、なぜか夫とは話しやすかった。
「俺は、あきみさんに脚本、続けてほしかったけどね」
 もったいないというニュアンスが、夫の声ににじんでいた。
「向いてなかったんだよ、もともと。今はもうできる状態じゃないし」
 そう向いてなかったのだ。一年前、運よくラジオドラマの賞に引っかかってデビューしたものの、放送局のディレクターとの意思疎通がうまくできなかった。「あの脚本家はもう使うな」という言葉が日常的に使われ、若い頃の徹夜マージャンや浴びるほど酒を飲んだ話が武勇伝のように語られる男社会で、何を話せばいいのかもわからず疲弊した。とある年配の男性ディレクターが、私のことを酷く悪く言っていたと、あとから人づてに聞いた。そんなことで、私の気持ちは折れてしまったのだった。
 店を出て、山門をくぐり境内へ入った。夫はおもむくままに写真を撮ったり、メモ帳に何かを書きこんだりしている。鐘楼、本堂、だるまみくじ、なんじゃもんじゃの木。ケージの中で飼育されているオオムラサキを、夫は面白そうに眺めていた。突然、どっと疲労感が襲ってきた。強い日差しの下を、日傘もささずに歩いていたからかも知れない。「ごめん、ちょっと休む」高い木々がつくる日陰へ移動し、石の上にしゃがみこんだ。「ここにいるから、一人で写真撮ってきて」太陽が眩しい。もう歩けそうもなかった。ごめん、すぐ戻るよ、と言って、夫は石段をのぼっていった。
 蝉の声が、ぐわんぐわんと大きくなる。いつも私はこうなのだ。人並みのことさえ満足にできずに、途中で脱落してしまう。夫はまだ、脚本を諦めていない。コンクールではいいところまで行くのに、あと一歩で受賞に至らない。本当はもっと本腰をいれてやりたいだろうなと思う。もしも独り身だったら。もしももっと時間の融通がきく仕事をしていたら。私が病気で退職してから、夫はいよいよ仕事を辞められなくなった。
ほんとうは、夫もそれほど強い人間ではないことを知っている。人付き合いもあまり得意ではないし、威圧的な上司に萎縮して強くものもいえない。他人のためにとかく自分を犠牲にしがちで、私もまたそんな夫を搾取しているんじゃないかと思うことがある。
おまえはなんにもできないじゃないか、と誰かの声が聞こえる気がする。放送局のディレクターか、最後まで馴染めなかった職場の同僚か、かつて私をいじめた中学の同級生たちか。ときどき何かのスイッチが入ったみたいに、過去の記憶がフラッシュバックして、気持ちがぐちゃぐちゃになる。心療内科に通い、抗うつ薬を飲み続け、外出もままならない自分が情けなくて、死んでしまいたいと思うことさえある。
「……あきみさん。あきみさん」
 顔をあげると夫がいた。急いで戻ってきたのか、少し息が乱れている。「大丈夫?」と冷たいお茶のペットボトルを手渡された。
「ごめんね。俺、自分のことばっかりで。あきみさんが体調悪いのを忘れてた」
 ああ、この人は。この人は、どこまでお人好しなんだろう。私のことなんて放っておけばいいじゃん。自分の脚本のことだけ考えていればいいじゃん。だから賞にもあと一歩で届かないんだよ。「もう帰ろうか」と夫が言うから、うながされるように立ち上がった。
「シナハン、もういいの?」
「うん、おかげさまで写真もいっぱい撮れたよ。ネタも固まってきた」
 連れだって山門のほうへ歩いてゆく。ふと「お参りだけしたい」と、思いついて言った。
「そうだね、お参り、まだしてなかったね」
 本堂の賽銭箱に小銭をいれて、並んで手を合わせた。
 以前、自宅で強烈なフラッシュバックに襲われたとき、「もし明日死ぬなら、殺しにいきたいやつが何人もいる」と口走ったことがある。夫は諫めるでもなく否定するでもなく、「それより俺と一緒にいてよ」と言った。仕事も脚本も何もできなくなった私に、夫の言葉だけが残った。
 夫を横目で見ると、熱心に手を合わせていた。何を願っているんだろう。好きになりたいと思った。この人のことを。ちゃんと愛せるようになりたいと思った。誠実に。
 山門の階段を下りたところに、小さな水路があった。澄んだ水が流れている。と、目の奥が一瞬、膨らむように痛んで、思わずまばたきをした。同時に、足元で小さな水音がした。魚だった。黒い影がゆらめいて、あっという間に泳いで見えなくなった。まぶたにそっとふれてみたら、痛みがやわらいでいる気がした。
「今日はあきみさんと来られてよかったなあ」
 にこにこしながら夫が言う。どこまでもどこまでもお人好しで、とほうもなく優しい人。
「私と暮らすの、大変でしょ」
 思わず口に出して見上げたら、夫は何をいまさらという風に笑って、
「あのね、ここにしかはまらないピースというものもあるんですよ」
と言った。

みなみ ひか(東京都)