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「二度目のプロポーズ」著者: 門脇賢治

抹茶のソフトクリームを夢中で舐めていた父が、突然、母のほうを振り返った。父の鼻先には抹茶色のクリームがついていた。
「ねえ、僕と結婚してくれないかな」――

私の両親はともに同じ都立高校の同級生で、二年生の時はクラスも同じだった。当時、二人は放課後になると、別々に門を出て、いつもある場所で待ち合わせをしていた。
帰る方向も一緒だったので、いつも深大寺界隈で待ち合わせをし、二人だけの時間を夕方まで過ごすのが日課になっていた。
二人にとって、観光客も多い深大寺界隈は、同級生たちからも身を隠せる、絶好の待ち合わせ、デートスポットになっていた。父が母に初めて告白したのも、深大寺前にある茶店で、ちょうど二人がソフトクリームを食べていたときだった。

高校を卒業すると、それぞれ都内の別の大学に進学。それでも、二人の仲は静かに続いた。大学卒業と同時に二人は就職。五年後には結婚し、しばらくしてこの私が生まれた。二人の間に子どもは私一人だけ。その後、普通の家庭生活が普通に続いていった。
そんな我が家にちょっとした異変が起きたのは、私が高校に入学してからすぐの頃だった。その時、父はちょうど五十五歳になったばかり。定年退職までまだ間があるというのに、父は長年勤めてきた地元中学校の教員を辞めたのだ。
その理由は父自身にあった。生徒の成績を何度もつけ間違い、挙句には、高校受験を控えたある生徒と、別の生徒の成績を入れ間違ったのだ。
二学期の成績表を見た生徒本人からの指摘を受けて、ようやく気づいたという。生徒本人よりも保護者との間で大問題になった。しだいにクラスの生徒の名前すら思い出せなくなっていく。父は教師としての自信を失い、これ以上、学校や生徒に迷惑かけられないと、自ら教壇を去る決意をした。

その後、父は家に引きこもるようになり、心身ともに落ち込んでいる様子は端から見ていても痛々しいものだった。食欲もなくなっていく父の様子を見かねて、母は精密検査を受けるよう勧めた。
医者の診断によると、脳に小さな腫瘍があり、それが記憶の障害を起こしているという。今ならまだ手術で何とかなると言われたので、父は家族のためだと自分に言い聞かせるように手術を選んだ。
手術後は、なるべく本人に昔の記憶を思い出させたり、新しい刺激をどんどん与えるよう、辛抱強くコミュニケーションを図ることが大切だと医者から言われた。

母は二人の思い出の場所を選んで、父をよく連れ出した。最初のうちは、二人とも懐かしさで大いに盛り上がった。普段口数の少ない父にしては珍しく多弁になった。機嫌がいいのは何より。昔を懐かしむ父の様子を見て、母は安堵した。
しかし、時が進むとともに、父の反応は鈍くなり、表情の変化も乏しくなっていく。高校時代よく待ち合わせをした深大寺界隈に連れ出しても、父はあまり興味を示さなくなった。それどころか、人込みをこわがったりした。茶店に入っても、席に座って、ぼんやりと通行人や観光客の様子をながめているだけ。向かいの席に座る母に、一言も話しかけないこともあった。

しばらくしてから、私が、父のために何かをしてあげると、そのたびに「えらい、ご親切にどうも」と頭を下げてくるようになった。
夜遅くまで、リビングで本を読んでいると、トイレから戻ってきた父が、「もう夜も遅いから。ご両親も心配しているはず。もうお帰りなさい」と、話しかけてきた。
普段あまり会話をすることがない、この私が父にとって最初の「他人」となった。この時のショックは計り知れないものがあった。もっと父といろいろと話したり、思い出をつくっておくべきだったと後悔した。でも、もう遅かった。
私と違い、母にだけは、まだこれまでと同じ調子で接していた。そんな父と母との関係も、しだいに崩れていった。
私が父の「他人」となってからおよそ半年後、母も「えらい、ご親切にどうも」と父から頭を下げられるようになった。母は、「あの人からお礼言われたり、頭下げられるなんて変な感じ。気持ち悪いわ」と、笑いながら私には屈託のない笑顔を見せていた。
その日、台所の片隅で母が泣いているのを、偶然見てしまう。もう時間は止められないのだと、その時悟った。父の症状はそのまま改善することなく、時だけが過ぎていく。

車の免許を取り、小さな軽自動車を買った。父と母を乗せて、あちこちドライブに連れ出すためである。父には少しでも外の刺激を、母には心身を少しでもリフレッシュしてもらいとの思いからだった。
そんなある日のこと。遠出しての買い物の帰り、車で家路についていたとき。家に近づくと、隣の助手席に座る父が、なにやらこの先の方向を事細かに指示し出した。
「ここを曲がると、うちの前の道につながるから。さあ、右に曲がって」と。
それはまるで、私が見ず知らずの運転手で、まるで自分がタクシーに乗っているかのようだった。
家の前に車を止めると、父がジャンパーの内ポケットから財布を取り出そうとするのを見て、後ろに座っていた母が、「さあさあ、お父さん、急いで降りて、降りて。早く食事の用意をしましょ」と、せき立てるように父を降ろした。父は唖然としながらも、母を追うようにそのまま車から降りた。私はハンドルをにぎったままその場から動けなかった。

以来、父の病状は急速に悪化していった。父は外に出るのも億劫になったようで、家の中で、リビングのソファとベッドの間を行ったり来たりの毎日。それでも、父の体調がましなときは、母は近所の散歩に父を連れ出すようにした。父は外に出ると、少し機嫌がよくなるときもあった。それでも人の多い場所はひどく怖がって嫌がった。
最近は、世の中を騒がせている感染症で、街のあちこちや観光名所から人の姿は消え失せた。父はマスクをつけるのを嫌がったが、母がたしなめると大人しく言うことを聞いた。
ある日、母が久しぶりに深大寺方面へお出かけしてみるという。
私が「車、出そうか」と尋ねると、母は「いい、いい。電車使ったり、二人でゆっくり歩きながら行くから」と断った。玄関を出る二人を門の前で見送る。二人が最初の角を曲がる瞬間、母は父の腕にゆっくりと手を回した。

夕方、二人が帰ってくる。父にしてはかなり長い時間のお出かけである。私が「どうだった?」と、母に声をかけると、彼女は笑いながら言った。
「いつもお世話になっているから、私と結婚してくれないか、だって」
笑顔を見せながら屈託なく話す母の顔を私は唖然として見つめる。父のほうを見ると、そんなこと言ったかなという表情で、不思議そうにこちらの顔を見ている。
「この人から、二回もプロポーズしてもらったわ。しかも、高校時代、初めてこの人から告白された場所でよ。ソフトクリーム食べながら。なんだかラッキー」と、母は嬉しそうに、でも少し悲しそうに笑いながら言った。
「俺たちそろそろ別れよう、じゃなくてよかったわぁ」
母はそう言うと、台所のほうへと姿を消した。もう父は母との記憶さえも完全になくしてしまっていたのだ。
でも、この二回目のプロポーズの話を聞いて、ちょっぴり素敵だなと思った。記憶をなくしても、母という同じ人間にプロポーズした父は、昔から変わらず今でも母を深く愛しているのだと、私なりに確信した。この二人の子どもで本当によかったと、改めて思った。
そうだ……明日、深大寺のほうへ私も行ってみようかな。母が、父から初めて告白され、二度目のポロポーズを受けた場所。たぶんそこは、二人にとってのパワースポット。神様、仏様も粋なことをしてくれる。
翌日、私は二人に内緒で、その場所に向かっていた。

門脇賢治(京都府/男性)