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<第2回応募作品>『Sweet Pain』著者:藤沢 夏生

小金井街道を真っ直ぐに三鷹方面に向けて車を走らせていると、道が急に右手に大きくカーブする。その手前、緑のこんもりと覆い茂った参道を抜けると深大寺だ。
ここは私の子供時分の遊び場で、春は花見で賑わう時期を避け、少し葉っぱの混じった桜を家族でのんびりと眺め、夏はひんやりとした空気の中、子供の足には広大過ぎる敷地内でクラスメイトと缶ケリをした場所。
ある時を境にピッタリと、私は此処に来るのをやめてしまった。それは小学校6年の秋。今でもハッキリと覚えている。
小学校の高学年にもなれば、男子と女子は以前のように一緒に鬼ごっこをしたりはしない。当時の私達女子の遊びと云えば、誰かの家に集まり、アイドルやTVについてのお喋りをするというもの。そして、その最も盛り上がる話題と言えば、誰それは誰が好きだといった噂話だった。
仲良しグループは十人程の大所帯で、子供ながら其処は社会であり、互いの性質に合った役柄を演じるという図式は存在していた。
絵里ちゃんは、その中で一番体格も大きく、勉強も出来た少女だった。高校生の姉のいる彼女が口にする言葉は少し大人びていて、私達は彼女に一目置き、彼女もリーダー格の自認しているようだった。
ある日絵里ちゃんは、池野君が好きだと皆の前で言い放った。彼はクラスで一番足の速い男の子で、女子にも人気のある男の子だった。他人の噂話なら際限なく盛り上がるくせに、自分にも好きな男子がいるという事は気恥ずかしく、そういう気持ちを何となく誤魔化していた私達は、絵里ちゃんの言葉に潔さと大人っぽさを感じた。絵里ちゃんは、卒業式までに池野君に告白をすると言う。私達にはそれは大事件であり、我が事の様に絵里ちゃんの恋を応援しようと盛り上がった。
私は誰にも言えずにモヤモヤとした。
本当は私も池野君が好きだったのだ。だけど、自分は絵里ちゃんの様な大人に近い感情で池野君を好きなのではなく、仲の良い友達として例えば私が絵里ちゃんや智子ちゃんを好きな様に、彼の事も好きなのではないかと、自分の感情には大人になるにはきっとまだ、何かが足りないのだろうと感じていた。
そして何より、自分の見かけにコンプレックスを感じていた。身体も貧弱で、分厚い眼鏡をかけていた私はお世辞にも可愛い子供ではなく、姉の服を黙って拝借してくる様なマセた絵里ちゃんに比べて、いや、他の少女達の中でも一番見劣りしていた。そして、それを子供ながらに自覚していた。
結局私は、自分の中に芽生えた小さな感情をそのまましまいこみ、他の友達と同じように絵里ちゃんの恋を応援する事にした。小さな頭で考えた、それが精一杯の結論だった。
 池野君の家は深大寺名物である蕎麦屋を営んでいた。
どちらかといえば観光客向けでなく、地元住民向けの街の蕎麦屋の雰囲気で、近所だったこともあり、我が家では私が彼と同じクラスになるずっと前から彼のうちの蕎麦を食べていた。その蕎麦屋の息子が池野君だと知ったのは、3年生で初めてクラスが一緒になった時で、実は私はその時点から彼を少し意識しており、なんとなく彼の店に行くのは恥ずかしかったりした。
蕎麦を食べに行ったところで、彼が店先にいる事など有り得ないのもわかっていたのだが、学区境の蕎麦屋には他の同級生達の家族は訪れなかった様で、それが唯一私と彼を繋ぐ接点のようにも思っていた。
 絵里ちゃんの恋を応援する事にした私は、それ以降、家族で池野君の店を訪れる事を拒否するようになった。母はそれを、私の反抗期と受け取っていたようだったが、自分の気持ちを親に知られる事を、なにより恥ずかしいと感じていた私には都合のよい事だった。
 冬の始まりの頃だった。
 
池野君が風邪を引き、数日学校を休んだ。
私立の中学を受験するという絵里ちゃんは、
その頃はそんなに池野君の話をしなくなっていたが、気を利かせた周りの子たちは彼のお見舞いに行こうと言い出した。
 彼女は勿論大喜びし、私達は十人近くの大人数で彼の家にお見舞いに行く事になった。と言ってもそれは、彼の店に蕎麦を食べに行くという内容で、私達はお小遣いを出し合って花を持って行った。
子供だけの十人もの来店に彼の両親はかなり面食らった様子だったが、息子の人気に気をよくした母親は、ジュースやお菓子を私達に振る舞い、初めてのお見舞いという行為に興奮していた私達は食事を済ませてもなかなか店を出ず、何人かのお客さんが引き戸を開け、中を見てはそのまま帰って行くのを見てもおかまいなしだった。
当たり前だが、熱を出して寝込んでいる池野君本人には会えずじまいで、そろそろ帰りたいなあと感じていた私は何だか居心地が悪くなり、店内をぼーっと見回していた。
すると、店から住居部分に続いていると思われる廊下の暗がりの中に一枚の絵が飾ってあるのが見えた。
絵は額に入ってはおらず、子供が描いた様な人物画で、よくみると見覚えのあるセーターを着ていた。私は、そのセーターをどこで見たのかとぼんやりと考えていた。
濃い目の紫に黒いVネックの縁取り―。
あっと思った瞬間、私は居たたまれなくなった。そのセーターは、私が3年生の頃によく着ていたものだったのだ。
それが、3年生の授業で描かされた「友達の顔」なのだという事に気付いた私は、何故だか恥ずかしさで一杯になり、どうしてそんなものを貼っているのだと腹が立ってきた。
きっと、二重丸を貰ったので両親が喜んで貼ったに違いないと納得した後に、あの絵が私である事に、誰かが気付いたらどうしようと思った。
―どうか絵里ちゃんが気付きませんように―
私は祈り、早くここから出たいと願った。そして池野君を恨みがましく思った。
池野君は翌日から登校してきた。
私は何にも気付かなかった様にした。本当は私があの絵に気付いた事を、池野君自身に気付かれるのが怖かったのである。だが、そんな心配は必要なかった。それより以前に私が彼と親しく話す事など昔からなかったのだ。
絵里ちゃんも誰も、絵には気付いていないようだった。私は安堵し、そのまま小学校を卒業する日を迎えた。絵里ちゃんが池野君に告白する前に、クラス中が、絵里ちゃんが彼を好きだという事を知っていた。それは男子生徒も一緒で、今更告白をする必要もなく、彼らがどうしたのかは知らない。
私は彼らと二度と会うことはなかった。私の卒業と同時に我が家が引っ越す事は、ずっと以前から決まっていたのである。
 月日が流れ、私は東京に戻ってきていた。
多摩地区にあった女子大に進学した私は、
調布からもそう遠くない距離にアパートを借りていたが、一度も深大寺を訪れる事はしなかった。なぜなら私は子供時代の仲間に会いたくなかったのである。
私はコンタクトをし、化粧をしていた。大学にもめいっぱいお洒落をして通った。学生生活はそれなりに充実していたし、男友達も沢山出来た。今更過去の苦い思い出に触れる必要はない。私は充分幸せだった。
―そして、ある日、大失恋をした。
幾日泣いても悩んでも、彼は戻ってこない。
なぜ振られたのかも、さっぱりわからない。
ただ一言、飽きたと告げられたのである。
 私は急に深大寺に行く事にした。
池野君に会いたかったからじゃない。
私は確かめたかった。今の私は、昔の私なんかじゃない。誰が見ても私と気付かないはずだ。そう、私は綺麗になったはずなのだ。眼鏡もない。痩せたすっきりした身体。垢抜けて、見違えるほどになった自分。私はそんな自分を誇りに思っている。満足している。
店の扉は、記憶していたものよりずっと小さく、店内は狭かった。
 私は少しだけ皺の増えた彼の母親に、出来るだけそっけなく注文をし、そのまま窓の外を見た。彼の母親は私に気付かなかった。私は安堵する。遠くに紫陽花が見えていた。
彼も私と同じなら、今頃はきっと何処かで一人暮らしの大学生になっているのだろう。
この店に、彼はいないのだ。
以前と同じ大きな盛の蕎麦が運ばれてくる。
運んできたのは若い男の店員だった。私は出来るだけさりげなく店員の顔を盗み見る。
 
その人は小さく笑って、久しぶりと応えた。
店の奥に人物画が貼られているのが見えた。
額には入っておらず、紫色のセーターは、すっかり色あせて見えた。
私は、急に泣きたくなった。

藤沢 夏生(神奈川県)

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