*

<第2回応募作品>『秋風』 著者:仲馬 達司

 何から先に話をしたらいいのか?俄かに思いつかないけれど、あなたが今ここにいる事だけは確かだし、こういう形で会えたのも、やはり運命なのだろうね。だからこそ、人生って面白いし、奥が深いのかもしれない。
 あなたからのメールだ、と気づいたとき、我が目を疑い、胸が高鳴った。最初は、また悪戯かな、と思っていたから。
 こういう類の『迷惑メール』。結構多いでしょう。メールアドレスには年齢が記載してないから、年寄りとも知らず、寄越しているのだろうけど、誰が書くのか?女名前の誘いのメール。ウッカリ開こうものなら、後で身に覚えのない、高額な請求書が、債権回収機関とやらから届くという、あれ。
 てっきり最初はその類だと思った。だから、放っておいた。そして削除し、削除アイテムのフォルダに、項目が沢山溜まっていたので、クリアしようとして、「アッ」と声を上げた。その項目だけ間違って消去しようとしていたのに気づいた。明らかに、「サヤカだよーん」、「マミ、おぼえてる?」というような迷惑メールとはトーンが違う。表題が「ヒロです。お久しぶり」となっていた。この「ヒロです」という言い方に覚えがあり、ドキッとして、ジーンと来た。何十年経っても、こういう記憶だけは残っているものなのだなと。
 この書き出しで手紙をくれた女性が、過去に二人いた。最初は別のヒロからのものだと思った。しかし、開いたらあなたからだった。
 えっ、もう一人のヒロのこと?それは勘弁して・・。ただ、言える事は、最初のヒロがいたから、あなたの名前に惹かれ、付き合いが始まった、と言えないこともないので・・。
 いや、ホントは話したくなかったんだけど、ここに到るまでの心境を説明するために、やむを得ず話したまでで、他意はない。本当にどうするのがいいのか、悩みに悩んだ末、会うことを決断したのだから・・。
 石田波郷の墓?お参りしてきた。この蕎麦屋の主人に尋ねたら、「私は墓守じゃないんですから」って嫌味言われたけどね。「後で寄るから教えてよ」って。よく聞かれるらしいんだな。波郷の墓所、どこですか?って。
〈吹き起こる秋風鶴を歩ましむ〉
 寺領の開山堂横の句碑に刻まれた、波郷の代表句だけど、僕には、あなたとの苦い思い出しかない。大学の「俳句研究会」での「波郷秀句鑑賞」で、『秋風』の読み方を巡って、あなたと激しい論争になった。会も「しゅうふう」か?「あきかぜ」か?で揉めた。
 僕も、いろいろ調べた。そうしたら、俳人の間でも、意見が分かれていたんだね。ある人は、波郷のモダニズムの観点からみて「しゅうふう」でなければならないと言うし、別の大家は、当時、俳誌「鶴」を創刊するなど、波郷の晴れ晴れとした気概が漲っていた頃だから、開かれた明解な韻を持つ、「あきかぜ」が相応しいのだと。ところが、この読みについて、肝心の波郷は何も言っていない。どちらでもお好きにどうぞ、と。
 俳句は十七文字の文芸。句の感慨や解釈を読み手に委ねるところがあるからね。
 委ねられた結果、一組の男女が別れる破目になってしまった。その意味では波郷さんの罪は重い。僕が「あきかぜ」、あなたが「しゅうふう」で真っ二つに割れたわけだから。
 何故、意見が分かれたか?今にして思えば、あのとき、二人の気持ちは完全にすれ違っていたような気がする。いや、気がするのではなく、はっきり違っていた。僕にはあなたとの間に吹く、何とはなしの『秋風』(あきかぜ)を感じ取っていたのは事実だから。
 あなたが僕の親友だった梶川と、僕に内緒で会っていた。その事実だけで赦せなかった。後に、あなたは、僕の本当の気持ちを知りたくて、梶川に確かめるために会った、と言い訳をした。あなたは不安だったのかもしれない。本当に自分を愛してくれているのか。一方、僕は未だ学生の身分だったし、君の愛を受け入れる自信がなかった。しかし、それを、僕に確かめずに、梶川に聞いた。あなたのその行為に何か不自然なものを感じた。
 別れとなった日、新宿の音楽喫茶でエセル中田のハワイアンを聴いたよね。「小さな竹の橋の下で」が歌われ、あなたは「この曲を聞いたら、きっと私を思い出して」と言った。その後、何故か、梶川の住む調布駅に降り立った。二人は何を確かめようとしたのだろう?ふと気がつくと、波郷がよく吟行に訪れたという、深大寺に来ていた。当時、波郷も存命で、墓所は勿論、あの句碑もなかった。
 あれから長い月日が経過した。僕たちも変わったけど、この周辺も随分変わった。
 お互い違う人生を歩いて、こうして、一本のメールがまた二人を引き合わせることになった。しかし、これも『時と背景』がうまく噛み合わなければ、実現しなかったに違いない。僕は、長年連れ添った妻を喪い、あなたは、夫と別れるという。僕は、妻への追憶と共に、不思議にも、何十年も前に別れたあなたとの日々を思い起こす心境になっていた。
 あなたは、重篤な病に罹り、余命を見据え、僕に会うために離婚を決意した、と言った。その言葉に嘘はないだろう。多分、その裏には、あなたのことだ。夫の精神的、肉体的負担の軽減という意味もあったかもしれない。ともかくも、人生の恐らく最終章に掛かる時期に、僕に会おうと決めた。それを聞いたとき、素直に嬉しかった。その連絡の手段が、何故メールだったか?という理由を聞いて、いかにも、あなたらしい、と思った。
 メールというのは、あなたが言うように、感情の起伏を表現できない欠点があるが、それ故に羞恥心を払拭できる利点がある。現実には躊躇するような行動も、メールでなら案外素直に、大胆に表現出来る。含羞の似合うあなたには強い味方だ。本当にそう思う。もし、この手段がなかったら、こうして再び会うことはなかったかもしれないから。
 病のことを聞くのは憚られるけれど、重篤と言う割には、元気そうに見える。僕に会えるという希望があったから?お世辞でもそう言って貰えると嬉しい。
 もう、昔のように、活きのいい論争は出来ないかもしれないが、若干の優しさと・・、何より僕の本当の想いを、伝える機会を得たことを喜んでいる。お互い残り少ない人生。心残りは出来るだけ少ない方がいい。
 あのとき、僕は「秋風」を、あなたが僕に抱いた「飽き」、つまり、倦怠感を比喩的に表現しようとしたのだと思っていた。だから、鶴は別の方に向かわざるを得ないのだ、と。
 僕の頭には、梶川のことがあった。案の定、あなたと梶川は、卒業後結ばれたわけだから。
 ところが、あなたは、僕との未来を後押しする風と解釈していた。鶴を、僕の胸に喜んで飛込む、自分の姿に擬えていた。だから、天高き秋に吹く、爽やかな風、「しゅうふう」でなければならなかった。
 でも、何故あのとき、二人は素直に、互いの本心をぶつけ合えなかったのだろう?若さとは、自分を繕う麻薬みたいなものだね。
 とすると、あの新宿の音楽喫茶での別れは、あなたにとって予想外の出来事だったことになる。あなたの滂沱の涙の意味が今漸く理解できた。「小さな竹の橋の下で」という曲は、波郷の句と共に、あの日から僕の胸の奥で、ズキズキと疼き続ける『宿痾』となった。
 あなたもそうだったとは・・!
 親友と恋人を同時に失った僕は、失意の中に、卒業、就職、結婚し、子供も出来、人並みに会社人生を全うし、引退した。小さな山谷は沢山あったけど、妻の死以外、深刻な事態は起こっていない。ただ、その間片時も、梶川とあなたの存在を忘れたことはない。
 最初のヒロの話?やっぱり話すべきかな?
 僕の義理の従姉でね。憧れの人、初恋の人。あなたにも紹介したことがあるよね。
 初めて知った?そう、あの人は、僕にとってそういう存在の女性だったんだ。
 さっぱりした、明るい性格で、賢い。勿論僕じゃなく、別に好きな人がいたらしいけど、家業の料亭の暖簾を守るために、その人との結婚を諦め、家格に相応しい婿を迎えた。家の為に自分を捨てる。それが出来る強い人。
 筆圧強く、手紙の書き出しが、いつも躍るような字で、「ヒロです」となっていた。そう、S・hiroko。桜井に、博士の博子が本名。あなたは、芹澤に「アラ寛」の寛子。同じヒロコ同士、思い通りにならない運命なんじゃないか、と。その通りだったね。
 それにしても、梶川は、よく承知したね。メールには、彼が、僕の動静を気にかけていて、しばしば博子さんの経営する料亭に行く機会があり、聞いていた、と書かれていた。彼のことだ。本当はわざわざ出掛けていたに違いない。そうでしょ?そういう男だよ。
 そこで、僕が妻を亡くしたことを知り、今なら、心も動いて、会う気になるかもしれない、と考えた。あなたの病のこともあり、この際悔いの残らないようにしたら、と。
 あなたは、自分の想いだけを叶え、梶川の心を犠牲にするのは耐えられない、お互いフリーハンドになりましょう、と言った。
 メールアドレスは博子さんに聞いたのか。一つの謎は解けたけど、梶川は心底それでいいと思っているのかな?何故あなたの行為を許したのか?もっと深く考えるべきかもしれない。彼の配慮で、あなたとこうして会えた。それで充分。いや、充分すぎる。これ以上望むのは罰当たりと言うものだろう。
 あなたはやはり、梶川と生きるべきじゃないのかな?僕はこれまで、あなた無しに生きて来られたけど、彼は違うと思うから・・。

仲馬 達司(神奈川県相模原市/男性)

   - 第2回応募作品