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<第2回応募作品>『寄り道』著者:宮埼 由多可

 幸せだなと、感じることが少ない年齢に私は達していた。
 毎日の日々が単調に感じたのは、いつ頃からだとうか。随分前のような気がする。
 嫁の、アサミと結婚したのは二十七年前。彼女と初めて出会ったのは、二十八年前の私が二十三歳のときだった。
 思えば、アサミとの出会いは偶然なのか必然だったのかわからない。運命といってしまえば、簡単に片付いてしまうのかもしれないが、当時はなにも考えることが出来ず、ただ舞い上がっていただけだった。
 田舎から東京に上京して、一年が経過した頃だ。私は、まだ都会にはなれておらず、都会の喧騒に嫌気がさしていた時だった。
 私が乗る電車を間違えたのが、きっかけだった。すぐ気付けるほど、東京には染まってはいなかった。
 そのときの間違いに、今の私は感謝しているのだろうか……。
 
私は都会生活を続ける気力が、なくなりかけていた。そんなときにテレビを何気なくつけたときだった。映っていたのは井の頭公園だった。私は一瞬で虜になった。どこか、田舎の公園に似ていたからだ。私はそれから、消えかけていた気力が、みるみる回復していくのが実感できた。
 さっそく私は、外に出て、井の頭公園について調べることした。雑誌で調べていくうちに、吉祥寺に行くことを一瞬で決めたのだった。三鷹市、武蔵野市に私は故郷を感じた。もちろん違うのはわかっていた。だが、なにかに頼りたかったのも事実だった。
 私はその週の休日に吉祥寺へと出かけようと心に誓った。
 休日になり、私は意気揚々と最寄りの駅から新宿へと足を運んだ。田舎者から抜けきれてなかった私は、とりあえず新宿に行けばなんとかなるだろうと思っていた。そんな浅はかな考えが小さいミスを引き起こしたのだ。
 私は中央線に乗るつもりが、京王線に乗ってしまったのだ。落ち着いて対処すれば、簡単に済む問題だったのだが、私はパニックに陥ってしまった。新幹線じゃないんだ、すぐ停車するんだ。そんな考えすら思い浮かばなかった。田舎出身を恨むことすら忘れていた。
 私はキョロキョロと周囲を見回した。そんな私が滑稽に映ったのか、一人の女性が声をかけてきた。
「どうしたんですか」
 その女性は私を、年配者を扱うように話しかけてきた。ムッとしたが、冷静に対処しようと心がけた。それが効を奏したのか、私はしだいに自分を取り戻してきた。
「ちょっと電車間違ったみたいで」
「行き先はどこですか?」
 彼女は心の底から心配しているかのように、私に尋ねてきた。彼女を見て、私は冷静さを取り戻しそこなった。彼女がとても美しかったからだ。親身になって私の声に、耳をかたむける彼女は、とても眩しかった。
「いえ、大丈夫ですから」
 言って私は、ますます舞い上がってくるのがわかった。このままだと緊張のあまり、相手に気まずい思いをさせるかもしれない。パニックと緊張が、混和し私は気分が悪くなってきた。
でも彼女と話したい。
 その思いだけが今の私を、支えていた。
「吉祥寺に行きたいんですけど」
 私は勇気を振り絞って声を出した。
「吉祥寺ですか、だったら大丈夫ですよ」
 だが、彼女の顔色は「大丈夫ですよ」と安心させるような顔色でも、声音でもなかった。病人に話しかけるような口調だった。想像は出来た。私が青ざめていたからだろう。
「明大前で降りて、京王井の頭線に乗りかえてください」
 彼女は優しく、私に対処法を教えてくれた。
「ありがとうございます」
 今の私が、唯一声に出せる言葉だった。
「じゃあ気をつけてください」
 と、言ってから彼女は私の側から離れていった。
私を気味悪く感じたのだろうか。私は小さく深呼吸をした。気分が落ち着いてくるのに、電車の停車、発進を数回要した。
私が安堵したとき、彼女が目の前に立っていた。正確にいうとホームから私を見つめていた。私と彼女の間には、開いたドアがあった。彼女は私になにかを、訴えかけるような表情をしていた。彼女は地面を指差していた。彼女の動作の意味に気付いたのは、彼女が慌てて電車に飛び乗ったの同時だった。
私は「明大前」のアナウンスに気付かなかったのだ。そんな私に彼女は笑顔で言った。
「降りないから驚きました」
 彼女は心配で、ずっと私のことを観察していたのだろう。彼女の笑顔は一瞬で私を虜にした。三鷹、武蔵野に見とれたのと同じように。彼女は微笑したまま私に続けて言った。
「もしよかったら、ついでに寄り道でもしません?」
彼女の誘いに私は戸惑った。
「と、言うと?」
 私は素直に問うた。
「変な女だって思ってますか?。そうですよね。誰だって変に思いますよね」
 私が田舎者と気付いたのだろうか。私は騙されているのだろうか。
 だが、私は思いとは逆の台詞を口にだした。
「はい、寄り道しましょう」
 彼女はクスリと微笑んだ。
 騙されてもいい。私は素直に思った。
 彼女と電車を降り、バスに乗った。都会での初バスに高揚したのか、それとも彼女とのデート気分に高揚しているのか、私は上京してきて初めて楽しい気持ちになった気がした。
 彼女に連れてこられた場所は、深大寺という場所だった。私は不思議な気分に包まれた。
「ここって色んな顔を見せてくれるんです。来るたびに様々な色を見せてくれるんです。だから飽きないんですよ」
 言う彼女の顔色は寂しそうに見えた。
「いいとこですね。寄り道してよかった」
 彼女は小さく笑った。
 私達は散策してまわった。除夜の鐘、釈迦堂や歩いてまわった。そのつど彼女は詳しく説明してくれた。
 たしかに色んな顔を見せてくれた。
「春夏秋冬この場所に来てみたい。四季の変わり目は深大寺に訪れてみたい」
 私は独り言のように呟いた。それを聞いて彼女は嬉しそうに笑ってくれた。
 できればあなたと。
私は心の中で呟いた。
「今日はありがとうございました」
 彼女は私に頭を下げた。お礼を言いたいのは私のほうだ。そう返答しようと思ったが彼女が遮った。
「今日、一人じゃなくてよかった。実は一人で来たくなかったんです」
 彼女は切ない顔で私に話し出した。私は黙って話を聞いた。
 彼女は最近、好きな人と別れたらしく、ふっきれるために、彼氏との思い出の地の深大寺に訪れたのだった。
 彼女には申し訳ないが、私は今日という小さな偶然に幸せを感じ感謝した。
 深大寺に訪れる四季は様々な顔を見せてくれる。彼女も深大寺の四季のように、色を変化させ気持ちを切りかえるのだろう。彼女はこれから新しい一歩を踏み出すのだ。できれば私も彼女の一歩に貢献したい。
「あの、名前、名前を教えてください。聞くの忘れてました。なんか順番違いますね。初めに聞かなければならないのに。でも寄り道から始まったし、合ってるかな」
 私の照れながらの必死の問いに彼女は、笑顔で頷いた。
 私は貢献出来るのだろうか。
 彼女の名前を聞いて、私はふとそんな疑問に頭をめぐらした。
「あなた」
 私は嫁の声に、昔から現実へと舞い戻った。
「早く食べてください」
 テーブルには朝食が並べられている。一口も手をつけていない。
「ああ」
 私は気のない返事をした。箸を握らずに外を眺めた。
 この街に一目ぼれしたのが始まりだったな。
 季節が変ろうとしている。
「なあ、アサミ、昼食は蕎麦を食べよう」
 久しぶりに嫁の名を呼んだ気がした。
「久しぶりに、深大寺にでも行こうか」
 アサミは満面の笑みを浮かべた。
 そうだ、私はこの笑みに幸せを感じるのだ。
 深大寺の四季は様々な顔を見せる。だが、アサミの笑みは変らない。初めて出会ったころと変らない。あれからずっと私の側で笑ってくれる。彼女が笑ってくれる。それだけで幸せを感じるのだ。
 私は簡単なことを、随分忘れていたような気がした。
 私は貢献出来たのだろうか。
 答えは未だに出ていない。だが、あれからずっと彼女は私の側にいてくれる。
 それが答えなのかもしれない。
 四季の変わり目を、深大寺に感じに行こう。そして、変らない幸せを、アサミと感じに行こう。寄り道せずに真っ直ぐ、深大寺に向かおう。
 私は箸に手を伸ばし、急いで食べ始めた。
 寄り道してもいいかな。アサミと一緒なら楽しい筈だ。
 久しぶりにこみ上げる高揚に私は、幸せを感じた。

宮埼 由多可(埼玉県川口市/28歳/男性/フリーター)

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