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<第2回応募作品>『恋愛方程式』著者:柳場 篤

「俊彦、久しぶりに深大寺に行っておそば蕎麦でも食べようよ!」
姉の香織が僕を昼食に誘ったのは、五月のよく晴れた土曜日の昼前で、なかば強引に連れ出された。
 我が家は調布市の野川のほとりに位置し、深大寺にも徒歩で気軽に行ける距離にある。普段は感じないが、年末年始などの時期には、渋滞の車を尻目に見てかっぽ闊歩することに優越感を見出していた。
 姉はこのところ上機嫌だ。挙式が来月に迫っており、公私ともに充実しているからである。
 「俊彦、今日は恋愛がじょうじゅ成就する方法を教えてあげる。方程式と呼んでもいいかな?」
 「えっ、何それ?そんなの本当にあるの?」
僕は立ち止まり、姉の顔をまざまざと見つめてつぶやいた。
 「ふふっ、あんたも興味があるんだ!」
姉はニヤッと笑い、僕の気持ちを見透かすようにいたずら悪戯っぽい目で僕の顔を見つめ返す。
 「そりゃあ、誰だって気になるよ、そんなことを聞けば!」僕は照れながら言い返す。
 「ごめん。少しからかってみたかったの。でも、方程式は本当にあるのよ。実際に私が実践したんだから!」
 姉は真顔になり、いつになく興奮気味に話しかける。
 「深大寺が縁結びで有名なのは知っていると思うけど、ただお参りすればいいというものではないの。他にも大切なことがあるのよ!」
 ジーパンに赤いトレーナーを着た姉の歩く速度が落ち、会話に熱がこもる。
 綿のスラックスに半袖のポロシャツを着こんだ僕も、姉の熱意が伝わってきたようで次第に汗ばんできた。  
      
 姉は俗にいうみそじ三十路である。大学の同級生との失恋が尾を引き、しばらく暗い生活が続いた。その後、失恋の痛手から立ち直り、勤務先の先輩と職場恋愛を実らせ、寿退社へと着実に人生を歩んでいる。
 「これから言うことは茶化さないで、真面目に聞いてちょうだい。でも前もって話しておくけど、一番大切なことは相手への思いやりなの。忘れないでね」
 今日の姉の言葉にはいつもと違って、妙に説得力があり、素直に僕の心に響いてくる。
 いつの間にか僕たちは住宅街を通り過ぎ、深大寺の門前へと続く歩道を歩いていた。
 歩道の両側にはそばや蕎麦屋が目立ち始め、盆栽・庭石などの造園業、みやげ土産物屋、喫茶店なども視野に入ってきた。
 深大寺は浅草寺についで古い歴史を持つ寺で、厄除け、商売繁盛、縁結びのご利益がある寺として有名である。
僕たちは我が家のしきたりに従って、門前通りから山門へと向かった。門前通りの両側には店頭に各種の土産物を置いた店が立ち並び、老若男女でにぎ賑わっている。
僕たちは門前通りの賑わいを眺めながら山門をくぐった。この山門は桃山時代の建築でケヤキを使い、分厚い草葺の屋根が落ち着いた雰囲気をかも醸しだしている。
本堂を礼拝し、次に良縁じょうじゅ成就を祈願する元三大師堂にも二礼二拍手一礼で礼拝した。
毎年、三月の三日・四日には厄除け元三大師大祭が催され、同時に催されるダルマ市は日本三大ダルマ市の一つとして有名である。
深大寺周辺の土産物屋には大小のカラフルなダルマが居並び、代表的な土産のひとつとなっている。
境内を出ようとした時に姉がおもむろに話しかけてきた。
「俊彦、当たり前のことだけど、お参りはできるだけ好きな相手と一緒にした方がいいのよ。時期は正月でなくてもいいから。深大寺を案内するからと言って、立ち寄ることがポイントなのよ!植物が好きなら、神代植物公園に行った後に立ち寄ればいいの」
「なるほど、自然にふるま振舞えばいいんだね」僕は素直に納得し、次の言葉を待った。
「そして、ダルマを買うの!」
「えっ、どうしてダルマなの?受験とか選挙ならわかるけれど」
「縁起ダルマとしてちい小さなものを買うの。好きな相手と2人で来たときには、二つ買うのよ。そして、ここからがミソなの。ダルマの目にはハートのマークを入れるの。色はできれば赤がいいわねぇ。そして、相手が入れたものを一つずつ持ち合うの」
「うーん。それって、子供っぽくない?相手に馬鹿にされそうだけれど!」
僕は照れ気味に反論したが、姉は強気に言い放った。
「男性には理解できないと思うけれど、女性はかたち形があるものを持ちたがるの。女の習性かもしれないけれど、持つことで不安が解消されるの。女には形あるものが必要だし、なぜかひ惹かれるのよ」
「そう言われると、そんなものかなぁと思えてきたけれど。女って、本当に不可解だね」
「そうよ、だからおもしろ面白いのよ。女は単純に見えて、単純じゃないの。女のさが性は怖いのよ。指輪を欲しがるのも女の習性なの。愛の究極の形としては、妊娠することかもしれないわね。愛の証として子供が欲しくなるものなのよ。これは余計なことだったわ」
僕は複雑な気持ちで姉の言葉の意味を理解しようとしていた。
それを察知したように姉が話題を変える。
「さあ、お昼にしましょう」
僕たちは近くのそばや蕎麦屋に入り、それぞれ好みの蕎麦とビールを注文した。
「ねぇ、俊彦、彼女とはうまくいっているの?正直に話しなさい」
姉はおいし美味しそうにビールを飲みながら、僕の目を笑顔で見つめる。
「うん、まあまあだね」と僕は取りあえずあいまい曖昧に答え、ビールに口をつけた。
僕は二十七歳になるが、結婚についてのあせ焦りはない。姉と同じように、勤務先に恋人がいる。関係はうまくいっていると思っている。
「彼女を大事にしなさいね。さて、さっきの続きだけれど、もう一つ大切なことがあるのよ」
姉が真顔で話し始めた。
「二人で深大寺を参拝した後、名物のおまん饅じゅう頭をお土産として相手の家に持ち帰らせるの。これがとても大事なことなの」
「どういう意味があるの?」と僕は思わず聞き返した。
「現代っ子はカラッとしていて、なかなか気づかないけれど。相手の両親に対するきづか気遣いなのよ。情緒のあるところをそれとなく見せるの」
「なるほど、よく理解できるよ。お饅頭なら、嫌いな人はほとんどいないからね」
「そうなの。気のき利いたところを見せて、ご両親の歓心を得るのよ。お饅頭といえども、お饅頭の効果ははか計り知れないものがあるの!馬鹿にできないアイテムなのよ」
「姉さん、よく判るよ。もちろん、婚約者には実践したんだよね?」
「当たり前でしょ。実践して結果が良かったから教えてあげてるの。あまり知れ渡ると効果が無くなるから、気をつけなさい!」
 「姉さん、ありがとう。必要な時がきたら、試してみるよ」
「馬鹿ね!試してみるのではなく、後がないと思って真剣に行動するのよ。思いやりを持って実践しないと、相手にも気持ちが通じないし、決してうまくいかないから!」
「ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないんだ。今日、姉さんが話してくれたことは大切にするよ」
二人とも笑顔でビールを飲み干し、注文した蕎麦にはし箸をつけ始めた。
僕たちは蕎麦屋を後にし、再び歩道を歩き始める。
豊かな自然のなかをゆっくりと歩く。静けさが気持ちよく、一歩一歩踏みしめて歩く。なぜか歴史の重みを感じ始めていた。
僕にとっての深大寺が大きく変わろうとしていた。
姉の話を聞いたからなのだろう。深大寺へのイメージが今までと異なり、より近づきやすいものに思えてきた。
縁結びの神様をまつっている深大寺。その深大寺の周囲には豊かな自然や花と緑が満ち溢れている。
このような環境のなかで、神様は静かに恋人たちを見守ってくれるのだろう。神様にも静かな環境は必要だ、と僕は思う。そうでないと神様だってきっと、間違った判断をしてしまうのではないだろうか。
その結果として、相性の悪い相手と縁を結ばれては泣くに泣けない。
姉の言うとおり、神様にお祈りするだけでなく、思いやりのある行動をとるべきなのだろう。とるべきというよりも、必然的にとってしまうのだろう。
姉のような感性があれば、自然に生きていくすべ術が身につくのかもしれない。そこにちょっとしたエッセンスが加われば、より確かなものになっていくのだと僕には思えた。
そんな姉がいと愛しく思えてきた。何か言わなければと口を開きかけた矢先、僕は腕をつかまれていた。
「いけない。美味しいお饅頭を忘れていたわ!店を教えてあげるから戻りましょう」
僕たちは深大寺へと再び足を向けた。

柳場 篤(埼玉県入間市/53歳/男性/会社員)

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