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<第2回応募作品>『深く大きな森の夢』著者:八木澤 峻

八重はときどき熱い夢を見る。
今日のも変わった夢だった。いつの時代か分からない大昔だ。深い森の奥から突然大軍が攻め寄せる。甲冑の赤い色が鋭く光る。大振りの鉄剣をかざした敵は強く、味方は次々と倒される。敵は土地と水と女を奪いに来た。逃げろ。音は何も聞こえない。身体の芯が震える。気がつくとひとり荒涼とした高台に取り残されていた。そのときだ。小型の馬に跨った単騎の若武者が、遠くから自分を見ていた。はるか向こうだ。でも男の顔がすぐ目の前。なんて美しい顔、と思った瞬間、くらっとなって目が覚めた。・・・・
 今日のバイトは忙しかった。ネット販売の深大寺蕎麦がよく売れた。パソコンでの注文処理と、紹介ページの更新。やっと一息つく。昔からこの土地は水が豊かで、早くから開けた。今でも細い清流が木立の中に幾筋もある。あれは古代からの名残り。森はもうないが、雑木林は残っている。太く古い樹木が多い深大寺界隈を、八重は気に入っている。ことに植物園の裏手の街路樹の道。紅葉の季節はお気に入りの場所だ。深大寺までのわき道から望む八雲台の方角には、もっと大きな森の名残りがある。一度行ってみたいと思っていた。
 ・・・友達からメールが来ている。合コンの誘い。行く気になれなかった。素敵な誰かに出会える可能性はゼロ。行ったら行ったで、お酒や食べ物はそれなりにおいしいけれど、何か新鮮なことが起きる期待はない。八重なんて古風な名前だね、から始まるパターン。へぇー深大寺に住んでるの、府中の方だよね。違うよ調布だよ。そして、結局、それだけ。・・・
 熱い夢を期待するようになった。
 左右に敵と味方が向かい合っていた。周囲は深い森で、真ん中がぽっかりと空いた巨大な円形競技場。どちらの軍勢も動かない。敵は圧倒的に組織立っている。甲冑や武器が斬新で統制の取れた隊列。味方はぼろ毛皮を着て棍棒を構えただけの雑兵ばかり。必死だから迫力が熱気になって伝わる。突然、鐘が鳴り渡った。兵士の手元の銅鐸型の楽器から一斉に音が放たれたのだ。それが突撃の合図。あとは入り乱れての白兵戦。人間はこんなに簡単に殺されるのか。仲間の血の流れが細い川を作っていく。血が透明になる。最後の叫びは同じ言葉で、蹂躙される屈辱と敗者の恨みが、渦巻いて、森に吸い込まれていった。・・・
 あの銅鐸は本当に楽器だったのだろうか。
八重は祭りの準備を手伝いながら思った。金管と打楽器のミックス音。不思議なリズムで腹の底まで響いた。あの音をもっと聞きたい。
 祭りは、有志が集まり、新作の盆踊りがメインの地元密着型。テーマは「ロハスな昔を思い出そう」。屋台も出て結構賑わう。知らない男にまた声をかけられた。この平凡な田舎顔の責任ではないけれど、もっとましな奴はいないのか。・・・
船に乗っていた。大海原だ。いや大河か。船団は大船が5隻。先頭の船が一番豪華。船上の飾り物はまるで祇園祭の山車みたいだ。
 自分はかしづかれている。大勢の女官が話している言葉は日本語ではない。なのに意味が分かる。どうやら自分はどこかに嫁ぐ途中らしい。えっ、結婚願望でこんな夢を?・・と思うということは、やはりこれは夢だ。
 かすんでいた陸地が見る間に迫った。神輿のような乗り物に乗せられて、わっしょい、わっしょい、浅瀬を岸辺まで運ばれる。あ、木陰に隠れたあの影。あれは例の若い男?・・
 
 大学の同級生だった高木君からいきなり電話があった。会いたいという。何年ぶりだろう。そんなに親しくもなかった人。ま、いいか。会うくらいは。深大寺にお参りしたいという。わけが分からない。
 境内から懐かしげに東の方角を眺めて、高木君は今外国にいるのだと言った。なんとなく小汚いし陽に焼けてるし、きっと先進国じゃないなと思って聞いてみた。え、パリ?うっそー。ほんとにそんなんでフレンチかよぉ。ヴィトン、エルメス、ルーヴル・・と言葉を追って想像していたら、違っていた。インドネシアのバリ島に暮らしているのだそうな。なんだ、バリね。
 何のために?・・彼は答えなかった。第一、なんで今頃?。なんで私に?・・・
 質問が次々に浮かんであやうく聞き始めるところだった。不思議とこの人はめんどくさくない。でも聞くのはやめた。彼の方もあまり自分のことは話さない。しょうがないやつ。自分から呼んでおいて。あげくに、何食べる?だってさ。フランス料理くらいご馳走してみろよ。付き合ってあげてるんだから。
 本当にフランス料理に連れて行かれた。高木君が一生懸命話したのは、バリの3大神のこと。シヴァにブラフマにヴィシュヌ。破壊と、創造と、保存の神様。それがどうしたの?
 バリ島のバロンダンスは正義のバロンと魔女ランダの戦いだ。魔女の方が強いから大概バロンが負ける。でもたまに勝つ。2勝8敗くらい。神様同士だから、死んでも生き返り、勝ったり負けたりで、結局戦いはエンドレス。永遠なのだそうだ。で、3つの神様は、要するに破壊して創造してそれを保存して、これも繰り返しでエンドレスだって。つまり高木君によれば、これが世界の秩序と運命を表している。正義は大体が負けても2回くらい勝つから希望を持ってもいいんだって。へーぇ。
 本当に久しぶりのフランス料理はおいしかった。夢に出てくるのかしらと思ったが、しばらく夢は見なかった。・・・・・
 
国は乱立し、大国は砦と館を囲う城壁と防御の水壕を巡らせた。小国は物見櫓の周囲に集落を円環状に配置した。国は奪い、奪われ、征服し合い、大きくもなり、滅びもした。
 自分は先住民の皇女だ。はるか西域で鉄と水を支配した強国が今度の相手。負け戦になる。決戦場は森の中の高台。夥しい死体が丘を埋め尽くすだろう。鉄の鍛冶場を奪われれば武器も農具も作れない。水場を奪われれば暮らしが成り立たない。敵の使者がやってきた。すべてを差し出し国を譲れという。和睦の条件に皇女を欲しいとはっきり告げられて、側近たちは色めきたつ。私が相手の王のもとに下れば、みな殺されずにすむのだ。使者は祭儀の神官の姿で、これは国と国の結びであるという。私は、血なまぐさい鬼の姿を思い浮かべて怖気づいた。結びの神官が言う。いや、王はそれは若々しく、美しい顔立ちをされている。あなたを決して不幸にはしない。いやじゃ、いやじゃ、信じるものか。叫んだ声は声にならなかった。・・・・
 夢から醒めて汗ばんでいたのは初めてだ。
 今日、高木君を空港まで見送りに行くかどうか、迷いながら眠ったせいだ。どっちでもいいようなことを彼は言っていたが、バリ島に戻ればしばらく会えないね、と言ったのは、やっぱり最後に会いたいのだ。
彼が韓国人だったなんて、初めて知った。学生時代は誰もそんなことを言わなかったし、全然違和感はなかったし、とにかく彼は日本人だったもの。就職とかで色々あったのかも。
 最後のデートは、植物園の桜の木の下で、この森がもっと深くて大きかった時代ならよかったね。高木君はそう言った。どういう意味? それって、告白?
 今まで近寄れなかった。間にたってくれる友達もいなかった。自分から声をかける勇気はあったが、そうしたとたん、君に好きになってもらおうと、僕は必死であらゆる努力をしただろう。それで、もし君が僕を好きになってくれたら、それは最高だけれど、それは僕が君を無理やりそうさせたのだと、一生引きずるだろう。だから、何もできなかった。
 え、え、え、・・・なにそれ。ややこしすぎるよ。理屈っぽいよ。なんでもっとストレートに。・・・
八重は空港に行かなかった。
・・・・
花火があり、蕎麦祭りがあり、大晦日に初詣、だるま市・・・また年をとった。そして、やっと、久しぶりに夢を見た。
私は女帝で、大きな国を統べている。森は豊かに広がり、高台に遠い日の戦さの記念碑が建った。神々は死に、奉られ、やがてもっと大きな戦いのときが迫った。
私は寝所で、汗ばんだ肌着を肩から脱ぎ、相手の男の前に立っている。男の顔は影になって見えない。決断のとき。私がこの男を刺すか、あるいは、抱きしめるか。それでこの国の運命が決まる。新たな時代を拓くためには、いっそこの国と、私自身もろともを、この男のもとに差出そうか。・・・
不意に音が始まった。最初は鐘のような金属音。そして、低く太く、竹筒の空洞を渡ってくる地響きが腹に届く。私は落ちていく。舞いながら空中を飛ぶように、落ちていく。
・・・・
目が覚めたとき、開けたままのパソコン画面がちかちかしていた。
エンタキーを叩いた。画像が復活してくる。バリ島のどこかの村の光景。大勢の人が集まって、向かい合った演奏団の競演を聞いている写真。ジェゴグという太い竹筒のガムラン楽隊が、村の代表で競いあう演奏。その脇に写っているのは、間違いなく高木君だ。
昨夜、偶然、この画面に行き着いたのだ。
会いに行こう。八重は思った。
そうだ。会いに行こう。でも、その前に、深大寺でお守りを買わなければ。確か根付の鈴のような、小さな鐘の形をしたのがあった。あれを買おう。身体の中で音が始まりそうだ。これは森の音だ。昔からこの地にあった音。森と水が育んだもの。鉄と、戦いと、人間の血が、聞いてきた音だ。
八重は、その音を聞きに行くのだと決めた。

八木澤 峻(東京都調布市/51歳/男性/会社員)

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