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<第2回応募作品>『蝉時雨の縁結び』

セミがないてる。
見慣れない道だけど、セミの声も空の色もなんらいつもと変わらない。
リョウタはおばあちゃんの家が東京にあるのが不満だった。夏休みはみんな東京の「外」にあるおじいちゃんおばあちゃんの家に行って海や川を満喫して帰ってくる。リョウタの家からおばあちゃんちまではせいぜい車で一時間程度。あるのはリョウタの家の近くにもある小さなスーパーぐらいだった。
だからというわけではないけれど、買い物を頼まれたリョウタはまっすぐおばあちゃんちには帰らずに、わざと通ったことの無い道を選んで一人でちょっとした探検にきていた。セミがないてる。
リョウタは「東京に無いもの」を探してひたすら歩いていた。さっき買った豆腐が汗をかいてきて、袋から水が滴り落ちる。まるで買い物袋の中で「無駄なことはやめて早く帰ろう」とリョウタをせかしているようだった。30分ほど歩いて、リョウタの顔も汗でぐちゃぐちゃになったころ、そこにはリョウタの探していた海や川はないのだということに体がようやく気が付いた。
やっぱりだめか。小さな抵抗をあきらめて、リョウタはもと来た道を帰ろうと、中年のサラリーマンのようにため息をついて額の汗をぬぐった。汗でぬれた手の甲を額から離して顔をあげると、リョウタの目に突然あるものが飛び込んできた。
「・・・フカダイデラ?」
そこはどうやらお寺のようだった。海や川を探していたので気付かなかったが、よく見たらいつのまにか周りは先ほどまでの風景とは違い、たくさんの緑に囲まれている。なんとなく厳かな雰囲気。ここならもしや、とリョウタは思った。リョウタのしらない「東京に無いもの」がここにはあるかもしれない。なんのためらいもなくリョウタはフカダイデラへと入っていた。
何の花かはわからないが、そこにはいい香りのする花が咲いていた。リョウタは何故か、小さな頃母親におぶられて見たちいさな紫色の花のことを思い出していた。そこには何年か前にマンションが建ってしまったので、もうあの花はいないだろう。
木が森のように茂っていて本当に東京ではないみたいだ。
リョウタの胸の高鳴りは最高潮に達していた。若干早足でずんずん森を進んでいく。するとやがて境内らしきものがリョウタの視界に現れた。木々に囲まれ、不思議な空気をまとったその境内らしきものは、明らかにリョウタの求めていたそれだった。リョウタが今まで見たことのない、リョウタの知る「東京」には無かったもの。が、しかしリョウタが釘付けになったのは境内ではなく、その前にちょこんとのっている水色の物体だった。
リョウタには小学校6年生の姉がいた。水色のワンピースをまとったその「物体」は大体姉と同じくらいのように思われた。足をぶらぶら揺らしながら彼女は鼻歌を歌っていた。なぜだか理由はわからなかったが、リョウタは彼女から視線をそらすことができなくなった。
次の瞬間いきなりぴたりと鼻歌がやみ、彼女の視線がいきおいよくリョウタのほうへと向けられた。リョウタはやばい!と思ったが、逃げようにも足がぴくりとも動かない。彼女のくりっとした目からそそがれる視線が痛いような気もしたし、心地よいような感じもした。
「おいで。こっち。お隣どうぞ。」水色の人はにっこり笑って、大人びた口調で手招きをした。リョウタは何も言わずに水色の隣に自分の小麦色の肌を並べた。
「ここらへんに住んでる子?いい所ね、ここ。東京じゃないみたい。」リョウタはただ黙って彼女の隣に座っていた。彼女の声はとても澄んでいて、まるで鈴の音のようにリョウタの心を震わせた。
「縁結び、しにきたの?」またくりっとした視線がリョウタに注がれた。
「え、えんむすび?」
「うん、ここの神様、縁結びの神様なんでしょ?」
「ああ・・・ま、まあね。」リョウタには「えんむすび」の意味はわからなかったが、
ついつい勢いでこたえてしまった。
彼女はリョウタが今まであったことのないタイプの女の子だった。くりっとした目であどけない顔に、それに反した大人びた口調。ひじの辺りまで伸びたきれいな黒髪が、彼女の大人への憧れを感じさせた。
彼女はリョウタの隣で鼻歌を歌いながら、時折ポツリポツリと自分のことを話した。この寺の近くにおじいちゃんちがあること、おとうさんがいないこと、水色が好きなこと、海に行きたいと思っていること、他にも話してくれたような気もしたが、リョウタは彼女から時折そそがれる視線に耐えるのに必死で、ちゃんときいていなかった。
一時間ほどたっただろうか。
「あの、いつおうちに帰るんですか」
勇気を振り絞って今度はリョウタから彼女に視線を送ってみた。
「うん、本当のおうちに帰るのは、今日の夜。」少し寂しそうに彼女はこたえた。リョウタはなぜかちくりと、針で刺されたような痛みを感じた。
「きみは明日も来るの?
」リョウタはこたえることができなかった。「ねえ、また私にあいたいって思ってくれる?」
リョウタは頭が真っ白だった。もっといろんなことを訊いておけば良かった、もっと自分のことを話しておけばよかった。
「もし会いたいと思ってくれるなら、君、私と縁結び、してくれる?」彼女は少しからかうように、小さな八重歯を見せて笑った。
と彼女は突然すっくと立ち上がると、また鼻歌の続きを歌いながら、すたすたと森の中へと歩いていってしまった。リョウタは身動きをとれずに水色の後姿が小さくなるのをただただ黙って見つめていた。
十分ほどボーーっとした後に、リョウタははっとわれに返った。
しまった。名前をきくのを忘れてしまった。正気に戻ったリョウタの心に、じわじわと後悔の念がわきあがってきた。いや、名前なんてこの際どうでもよかった。「えんむすび」とは何のことだろう?彼女は、また会いたいのならえんむすびをしろと言っていたが、えんむすびとは何をどうすればいいのだろう?「円結び」というくらいだから、なにかを丸く結ぶのだろうか。それともお金の単位をあらわす円・・・?一瞬のうちに様々な考えがリョウタの頭の中を走り回った。
あいたいと思った。
もう一度あの水色と、くりっとした眼差しにあいたいとリョウタは心のそこから思った。
その時リョウタは彼女の言葉を思い出した。そうだ。ここにはえんむすびの神様がいる。リョウタは振り返って境内をじっと見つめた。この中にきっと神様がいる。
リョウタはさっき買った買い物袋を勢いよく開いた。
豆腐はもうぐちゃぐちゃになってしまっていた。
袋からねぎを取り出すと、リョウタはそのねぎを一本ずつ結んで大きな円をつくって境内の前に置いた。ねぎは全部で三本だったので、円というよりはゆがんだ三角形のような形になった。
「これ、あんたにあげるから」
リョウタは境内の前で手を合わせ、目を瞑った。なにをどのように祈ればいいのかはわからなかったが、あの水色の後姿が瞼の裏側にこびりついていつまでもいつまでも消えなかった。
セミがないてる。
8月の風が木々の香りと少年のちいさな願いをのせて
いつもとかわらない水色の空へと吸い込まれていった。

(東京都八王子市/19歳/女性/学生)

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