<第9回公募・選外作品紹介>「李文琴 」
その頃の僕は一年間のアメリカ留学の資金を貯めるのに必死で、保険会社のコールセンターと小さなバーでのアルバイトに明け暮れていた。そんなに働いて肝心の講義で眠ってしまっては本末転倒だと、両親は留学資金の援助を申し出てくれたけれど、出来るだけ自力でやってみたかった。それに、どうせ既に頭の半分は異国の地での暮らしを彷徨っているような、夢見がちでハイな状態だったのだ。気が済むまで働かせておけ、と当時の自分を顧みては苦笑混じりにそう思う。
グラスを洗う手を滑らせて右手をざっくりと切ってしまったのは、八月中旬の出発まで一月半をきった頃だった。救急で七針を縫う怪我だった。
利き手であった右手と明暗を共にする様に使い物にならなくなった僕は、予定より三週間ほど早く、二年ほど世話になった二つのアルバイトを切り上げた。急にぽっかりと空いた時間に、拍子抜けした。
久々にたっぷりと睡眠をとった頭で講義に出始めると、聞き流していた講義内容は興味深く、いつの間にか訪れていた初夏の構内の美しさに、それまで感じたことのない日本での学生生活への未練すら生まれてきた。
七月の大学は夏休み直前の試験に備えてどの講義も軒並み出席率が高く、熱心に板書をする学生が多かった。そんな中で僕はいい年をして包帯を巻いた手が妙に気恥ずかしく、無意識に左手で右手を覆うように腕を組み講義を聴いていた。
トントンと指で机をはじく音に驚いて、音の方へ視線をやると、隣の席の女の子が僕の右手とノートを交互に指さすようにして首を傾げている。<書けないの?>そう尋ねているのかと思い頷くと、自分のノートを指さして僕の方に押し出すような動きをした。<後で見せてあげる>と言ってくれていることがわかったので、僕は<ありがとう>という感じで少し手を挙げて微笑んだ。
講義が終了し教室が一斉に湧きたつのと、彼女が話しかけてくれたのはほぼ同時だった。
「ノート、見ますか?あんまり奇麗じゃないけど。」
彼女の髪形や化粧の垢抜けない雰囲気に一回生かと思ったけれど、彼女のイントネーションでピンときた。
「助かります。怪我しちゃって。留学生なんですか?」
「はい。今年の春から。台湾人です。」
はにかみながら彼女が答えた。
「台湾からなんですね。祖父が昔台湾に住んでいたことがあって、よく話を聞かされていたんです。とてもいいところだって。」
彼女の黒目がちの目が嬉しそうに緩んだ。困っている人に当たり前のように手を差し伸べることのできる彼女は、祖父から聞いていた台湾の人々の印象とぴったりだったので、僕はまるで懐かしい絵本の登場人物と再会したような不思議な気持ちになった。
何度目かでやっと聞き取れた彼女の名前はリウェンチェン。コピーをとる前のノートに書いてもらったその李文琴の字面の美しさに思わず息を呑んだ。
知り合ってみると幾つか同じ講義をとっていることもわかり、李が友人と一緒でない時はどちらともなく声をかけるようになった。ロータリーの隅にある、繁茂した蔦で昼でも薄暗いベンチがなぜか李のお気に入りで、僕はそこに彼女を見つけると、三回に一度くらいは彼女の隣に腰を降ろすようになった。そこではいつもイヤフォンをしている彼女を驚かせないように、僕はいつも手を振ってから、できるだけ静かに彼女に歩み寄った。
知り合いの少ない僕は、いつのまにか彼女と話すのが通学の楽しみとなっていた。母親からの手紙で飼い猫が恋しくなったこと、台湾で人気だった日本のドラマ、そしてそれらとなんら変わらない調子で、将来は観光に携わる仕事がしたいと口にする李は、進路を尋ねられる度にその場を濁してきた僕には眩しく映った。
毎日のように顔を合わせ、急速に互いを知っていきながらも、どうしてか僕は李に一月後には日本を離れることを言えずにいた。時折躓くと英単語を交えながらも、細かいニュアンスまで伝えられる李の言語能力に引け目もあったし、真剣に授業を聴く様を見る度、熱に浮かされたように先ばかり見て、視野を狭めていた自分が恥ずかしく思えたのだ。
李に住んでいるアパートに来るよう誘われたのは、二人が最後の筆記試験を終えた日のことだった。同郷のアパートの住人と、台湾の鍋料理をするとの誘いに二つ返事で李に続いた僕は、こざっぱりとした五畳ほどの一間に既に六人もの女の子がいたことに驚いた。
まだ少し右手の痛む僕をかわるがわる世話してくれる彼女たちは、親戚のおばさんのようでもあったけれど、姉妹で話すような甘えた声音のマンダリンは愛らしく、まさに女学生と言った風だった。いつもゆっくりと話す李が、通訳も忘れて早口で冗談を言い合う様も新鮮で可笑しかった。手土産の青島ビールをほんの少しで酔っ払った彼女たちが、僕に李のボーイフレンドなのかと口々に聞いてきた時には、近隣から苦情が来ないか心配になるほど部屋中が盛り上がった。
帰りに駅まで送ってくれた李を今度は僕がデートに誘った。別れが近いと知りつつも、もっと李のことを知りたかった。
翌週、駅で待ち合わせて深大寺行きのバスに乗った。その日も僕が来るまでイヤフォンをしていた李に、いつも何を聴いているのか尋ねると、彼女は悪戯そうに僕の耳にイヤフォンの片方を押し込んで再生ボタンを押した。流行歌かと思っていたそれは予想に反して、ピアノと弦楽器と打楽器の織りなす、どこか動物的な美しい音楽だった。
バスを降りるとむわっと濃い緑の匂いがした。たたみかけるように蝉が鳴いている。
「上京してから、息が詰まるとよくここに来たんだ。」
溢れる緑の中に軒の低い店を連ねる深大寺は、訪れる度に小さな集落に入り込んだような安心感をあたえてくれた。
肩を並べて歩く石畳の上に、境内の菩提樹の葉に、すれ違う人々に、門前の店から立ち上る湯気の中に、バスで聞いたばかりの旋律が溶け込んでいる様だった。それらはずっと李を待っていたとばかりに、彼女が近づくと息を吹き返し、周囲の空気を一層色めかせた。
そして、いつもよりくっきりと見える李の後ろ姿に、今この瞬間にも進行形で、彼女がこの場所に、僕に、より深く根ざしていっていることに切なく気がついた。
「ここ、私の好きな大学のベンチに似てます。なんて言うんだろう、holdされてるみたい。」
「つつまれているみたい、って言うかな。たぶん。」
澄んだせせらぎに指を伸ばしながら言葉を交わす内に、僕の心は静かに固まっていった。
「来週から一年間、アメリカに留学するんだ。なかなか言い出せなくて、ごめん。」
李は水面を眺めたまま、表情を変えることなくゆっくりと口を開いた。
「知ってた、気がする。顔に書いてある、っておもしろい日本語ね。初めてはなしたときから、はなれる人の顔だった。」
淡々とした口ぶりに、心が読めなかった。
「来年僕が帰国した時には、李はもう日本にいないんだね。」
言葉を続けようとする僕の目をしっかりと捉えて、李は小さく、マンダリンで告げた。
「再見。」
アメリカに着いて一月ほど経った頃、李にメールを書いた。推敲を重ねて送信したそれは、結局数行でこちらの様子を伝えただけのものになった。数日後に届いた李からの返事は僕のものよりも少しだけ長く、丁寧な日本語で日々の様子を綴ったものだった。そこに添付されていた写真を何気なく開いた時、思わず声が漏れた。
スクリーンいっぱいに、夕暮れ前の柔らかな木漏れ日に染まる深大寺が広がった。その写真に引きずり込まれるように、李への、美しい日本の夏への、苦しい恋心が蘇った。
それから李が交換留学の期間を終え台湾に帰国する三月まで、僕らは写真を添えた短いメールを何通送り合っただろう。ファインダー越しに彼女に見せたい風景を臨む時だけ、李が隣にいるような幸福な錯覚ができた。僕からの写真は街並みや新しい友人の表情を写したものがほとんどで、李からの写真はいつも深大寺の一帯を被写体にしたものだった。
山のような課題のすき間に、苔むした蕎麦屋の水車や、紅葉した落ち葉に囲まれた御堂を目にするといつも心が凛としたし、ふざけた李が真冬に神代植物公園の熱帯温室の写真ばかりを送ってきた時には笑ってしまった。
充実を増すにつれ加速したかのように、あっという間の感の中で一年の生活は終了した。僕はまだ実感も湧かないまま、一月ばかり南米に足を延ばしてから帰国する旨を早速李に連絡した。ところが旅先の宿で何度確認しても、すぐに来るはずだった彼女からの返事はなく、予定が合えば台湾を経由して帰国しようという目論見は叶わなかった。
実家に帰り荷物を整理していると改めて李がもう日本にいないことが心に迫った。釈然としない気持ちを抱え再会した同窓生と飲み回り、二日酔いでパソコンを開いたそんなある日、僕の目に李の名前が飛び込んできた。
そこには返事の遅れた侘びと、日本での就職に備えてこちらに来ていること、そして、深大寺で待ち合わせをしたいと、書かれていた。去年二人で深大寺を訪れた日付を画面に認めた僕は慌てた。待ち合わせは今日だったのだ。約束の時間まで三時間を切っている。僕は大急ぎで家を飛び出した。
(東京都八王子市)