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「ベゴニア」著者:尾崎真佐子

 先生が私を深大寺の植物公園に誘ったのは、夏休みに入って最初の日曜日のことだった。「それってデート?」と尋ねたら、先生は「小学生が生意気言うんじゃないの」と、私のおでこをはたいた。私は十二歳で、先生は二十七歳。歳の差はたったの十五歳なのに。
「私、もう157センチあるし、先生と並んだらカップルに見えると思うよ」
「カップルかぁ。じゃあ、先生もおしゃれしていかなきゃな」
 急にその気になったような先生は、裾が伸び切ったポロシャツをさらに引っ張って、「これじゃダメかな」と、わりと真剣に首を傾げた。
 お世辞にも爽やかってタイプじゃない。若いのに、クラスの女子から人気があるってこともない。ハキハキしていないから、たまに学級崩壊が起きているくらいだ。
 そんなだから、先生は私の描いた絵を教卓に飾ったり、文集の最初のページに私の詩を載せたり、ずいぶんと明らかに特別扱いをしていたのに、あんまりクラスのみんなはそのことに興味を持たなかった。
とはいえ、小学校の担任が休みの日に女子生徒を連れ出すなんて、ちょっとあり得ないし、はっきり言ってえこ贔屓だ。でも、先生と私がそんなふうになったのには理由がある。
 私が十歳のとき、父が亡くなったのだ。
 父はフリーのライターで、酒を飲むと言葉が荒くなることはあったけれど、普段は朗らかで、アートや音楽を愛し、誰からも好かれる人だった。母は若い頃に雑誌のモデルをしていて、父とはそこで知り合ったらしい。モデルとして生きていく気概もそれほどなかった母は、父からの猛烈なアプローチを受け、ほどなく父と結婚した。姉と私を産んですっかりお母さんにはなったけれど、それでも十分に美しかったし、いつも機嫌よく笑っている、自慢の母だった。お金持ちというわけではないけれど、私の家族は完璧。自分でも、こんなに健やかな子ども時代を過ごした子はいないんじゃないかと思っていた。
 そのうえ私は、父のお気に入りだった。父は私の感想が面白いと言い、音楽会や展覧会、映画に連れて行ってくれた。それは時々、母や姉に嫉妬されるくらいの仲の良さだった。
 だから、父が亡くなったあと、私は文字通り、起き上がれなくなった。
 そんな時に、新しく担任になったのが先生だ。不登校の私のために、なんどもうちに足を運んでくれ、本やCDやDVDを貸してくれた。いつしか先生と私は、父とそうしていたように、二人で出かけるようになった。あの二人は特別だと、家族も了解していたし、学校でも特に問題にもならなかった。
 そういうわけで、深大寺の植物園が私たちの初デートではない。ただ初めての、少しだけ遠出だった。私は吉祥寺の駅からバスに乗り、待ち合わせの深大寺へ向かった。
 母のアニエス・べーの黒い水玉ワンピースをこっそり借りた。それは母が、「二の腕がキツくなってきちゃった」とあまり着なくなったものだったが、まだほっそりした私の腕と腰にはピッタリで、鏡の前で自分で見ても、よく似合っていた。父に似た私は、母のルックスには勝てないと思っていたけれど、これなら対抗できるような気すらした。
 吉祥寺からのバスは思ったよりも渋滞せず、待ち合わせより少し早くに、私はバス停に降り立った。そこから深大寺までの坂道を、午後の日差しを浴びながら歩く。七月の暑さはまだ本格的ではなかったし、この辺りの湧水のおかげなのか、風も涼やかだった。
 お寺に着く直前に、池があった。都会の池はすべからく濁っているものだと思っていたが、その池は、まるで巨大なエメラルドの宝石だった。陽の光が射すと、半分だけ飲み込んで半分は跳ね返す。反射してゆらゆらと波打つ光は、夏の日の幻影を見るかのよう。
「『シベールの日曜日』みたいだね」
 柵にもたれて池に乗り出していた私に、やってきた先生が声をかけた。
 『シベールの日曜日』は、先生の貸してくれたDVDの一つにあった古いフランス映画だ。ベトナム戦争で心を病んだ青年が、寄宿学校に入れられた孤独な少女を連れ出して、デートを重ねるお話。お金がない二人は、公園で水の波紋を見て遊ぶのだ。
「ねえ、小さくなって、あの池に漕ぎ出しましょうよ。ほら、あの落ち葉を浮かべたら舟になるわ。ねえ、あなた、そうしたらきっと楽しいわ。私、ちゃんと漕げるんだから」
「君に舟を漕がせたりできるもんか。僕は男なんだから、ほら、あの松の葉を櫂にして、僕が漕ごうじゃないか」
 吹き替え版のシベールとピエールの声色を真似して遊んでから、私は先生と顔を見合わせて笑った。先生は私のワンピースを見て、ちょっと不思議そうな顔をしたけれど、「小悪魔風って感じで、君によく似合ってる」と褒めてくれた。先生の白いシャツにも、きれいにアイロンがかかっていて、いつもより少しだけ気障な感じがした。
 それから私は先生の腕に手をかけて、ぶら下がるみたいにして歩き始めた。深大寺の脇を上がった先に、植物園はある。チケット売り場を抜け、鉄柵の大きな門をくぐった。
「魔女の門みたい」
「眠れる森にようこそ」
 二人で雑木林を歩く。高い木々が鬱蒼としているせいで薄暗く、カラスが空気をかき切るように飛び抜けていくのも気味が悪い。私は、先生の腕にかけた手に力を込めた。
「赤ずきんちゃんになった気分」
「大丈夫。植物園に狼はいないし、この先に行けば、そうだな、シンデレラになれるよ」
 先生がいうとおり、五分ほど歩くと、急に目の前が開けて、ヨーロッパの宮殿のような空間に出た。青い空が視界いっぱいに広がり、その下一面には、赤やピンクのばらの花が咲き乱れている。ドレスを着たプリンセスが、今にも出てきそうな、見事な庭だった。
 庭に降り立ち、花壇を端から眺めながら歩く。ばらには、それぞれに名前があった。ファンファーレ、ルビー・リップス、聖火、レッド・デビル、クイーン・エリザベス……。どれも誇り高く、その美しさを競うような名前だった。
 けれども、私の気持ちはなぜか沈んでいった。ばらの花をあまり美しいとは思えなかった。ばらなんておばさんくさい。口にこそ出さなかったけれど、ばらは重かった。熱心に写真を撮っているおじいさんや、妙なフリルのついたブラウスを着た中年女性の集団ばかりが目につき、どんどん気持ちが萎えていく。夕暮れで、ばらが生気を失いつつあったからかもしれない。なによりも、あたりに漂う香りが息苦しかった。
 少し休みたいと、私は先生に訴えた。「熱中症かもしれない」と、先生は焦り気味になって、私たちはばら園を突っ切って温室へ入った。
 熱気のこもるジャングルコーナーを足速に抜け、冷房の効いた休憩所にたどり着く。先生は私を座らせ、自販機で水を買うと「首の後ろを冷やすといいよ」と、ペットボトルを首の裏にあててくれた。スッと体が冷え、息を吹き返すように気分が良くなる。先生は私のおでこに手を置いて、「そこまで熱くはなってなさそうだね」と安堵の息を吐いた。
 突っ伏してしばらく休んでいたら良くなって、私は起き上がって温室を眺めた。目の前のガラスの中には、ベゴニアがそれぞれ植木鉢に植えられて孤高に咲いていた。その花は、しっとりと水を含んでみずみずしく、表面は固くつるりとして、どこかひんやりして見えた。ばらよりもずっと清潔。ぼうっとする頭でそれらを心地よいものとして感じる。花言葉は「片想い」だとプレートには書かれていて、それにも妙に納得した。
 カリヨンが童謡を鳴らし、それが終わった。先生に支えられて、私は立ち上がった。温室を出ると、陽は落ちかけて夕陽が眩しい。庭へ向かう階段で、先生がふと足を止めた。
見上げると、先生の目は真っ直ぐに前を見つめている。眩しさに細めた瞳が、柔らかくうっとりと湿気を帯び、唇の端がゆっくりと上向いていく。スローモーションのようにそれを眺めながら、私はなぜだかまた空気が重たくなるのを感じた。
 先生の視線の先にある、ばら園の中央通路に目をやる。そこには、日傘をさし、赤いワンピースを着た女の姿があった。ばらを背に女王のように手を振りながら向かってくる。
 母だった。
 つないだ手に、ぎゅっと力が込められた。先生は、目線をじっと前に据えたまま、ひざを落とすと、私の耳元にささやいた。
「僕、君のパパになってもいいかな」
 その後のことは、あまりよく憶えていない。ただ母は、それからも、誰とも結婚することはなかったし、誰かが私の父親になることもなかった。
 あの頃の私は、母と先生の気持ちに気づいてはいなかったのだろうか? いや、たとえ気づいていたとしても、二人の幸せを願うには幼すぎた。母と同じ歳になった今、母に謝りたいと思うけれど、その母も早くに亡くなり、もうこの世にはいなくなってしまった。

尾崎 真佐子(神奈川県横浜市/52歳/女性/自営業)