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「ソフトクリーム・クランクイン」著者:しおみ詩織

 カコン、というカチンコの高い音を皮切りに話し声が途切れ、蝉の声だけがバス停を支配する。撮影クルーが陣取っているバス停に、カップル役の俳優と女優が降りてくる。バスから降りてくるというただそれだけの光景に、バス停脇の駐車場にざっと集められたエキストラの誰しもが目を惹きつけられていた。
「やっぱほんまもんの俳優はオーラが違うねぇ」
 有紗の肩越しに主演の二人を見やった直哉がため息をつく。
「朝ドラ出身女優と今をときめくアイドルが主演ですもんね。」
「ほんとそれ。こんな注目作のエキストラ役をもってきてくれた四宮先輩にマジ感謝だね」
「昨日の今日で慌てましたけど、あの二人を見られただけでもラッキーですね」
 直哉と有紗が所属している大学の演劇サークルの稽古場に、誰か月曜日から始まるドラマのエキストラに来てくれないか、とOBの四宮が駆け込んできたのがつい昨日の昼頃のこと。全部員を巻き込んだ阿鼻叫喚のじゃんけん大会を制したのが直哉と有紗の二人だった。有紗は入部したばかりで役の経験もなかったが、他の部員勢いに巻き込まれじゃんけん大会に参加したところ勝ち残ってしまった。有紗は最後に出したグーの手のまま、今年一年分の運を使い切ってしまったのではないかと震えた。一方の直哉といえばサークルの公演でも何度か主役を張っている。部員の誰もが認める実力者だったので、ほとんど初心者の有紗が役を勝ち取ったことに不安そうだった四宮も、直哉が選ばれたことであからさまにほっとしていた。
「有紗ちゃんは困ったことがあれば直哉に任せとけばいいからさ」
 と言ったものだから、辞退することもできず今日の撮影を迎えたのだった。
 バス停の方ではシーンの撮影が終わっていたのか、人々のざわめきが戻ってきた。助監督、と書かれたネームタグをつけたスタッフらしき男がエキストラの塊に駆け寄ってくる。
「エキストラのみなさーん、台本をお配りしまーす」
 男が小脇に抱えた紙の束を一枚一枚エキストラ役に手渡していく。今回の撮影では、主演の二人の休日に深大寺を訪れるシーンが撮影されるらしく、老若男女のエキストラが集められていた。仲のいい家族連れと思しき三人組は山門近くの蕎麦屋に、老夫婦は土産物屋に、といった体で三々五々エキストラたちが散っていく。直哉と有紗はカップル役として深大寺の参道入り口あたりに立ち位置が指示されていた。
「鬼太郎とかめっちゃ懐かしいな。有紗ちゃん見てた?」
 直哉の視線の先を見やると、生い茂る青葉に埋もれるように駄菓子屋風の日本家屋が建っていた。鬼太郎茶屋と屋根の上に掲げられた茶屋の屋根には、赤い鼻緒の大きな下駄がどっかりとのっており、二階部分の漆喰の壁にはキャラクターたちが丁寧に描かれている。
「日曜日の朝と言えばこれでしたよね」
「そうそう。ここの立ち位置指示になったのも何かの縁、ここで芝居作っていこうか」
「作るって?」
「撮影開始までまだ時間がありそうだから、ここで簡単に役の設定を作り込んでいこう」
 直哉は茶屋の前に立っているねずみ男の像の肩を楽しそうに叩いている。
「例えば、俺と有紗ちゃんは飲み会をきっかけに仲良くなって、今日でデートは三回目。一回目のデートは原宿、二回目のデートは横浜、で今日は暑いから涼しい場所に行こうってことで深大寺を選んだってことでどうかな」
 直哉に任せておけばいいと言ったのはこういうことだったのか、と有紗は四宮のほっとした顔を思い出した。場数を踏んでいる直哉は初対面の相手でもどう役作りを進めていけば良いかがよくわかっている。安心すると同時にそういった技術を持たないままここにきてしまった自分が恥ずかしくなった。
「二人とも食べ歩きが趣味で美味しいものに目がない、っていう設定だったら場所のチョイスも説得力増すかな」
「原宿だったらクレープ、横浜だったら中華街ですかね」
「いいね。俺あんまそういうとこ行かないから肉付けしてくれると助かるよ」
 雑誌で読んだ一般的な意見を口にしただけだったけれど、直哉に認めてもらえたことで体温がふっと上がったように感じた。
「深大寺だったらお蕎麦が有名ですね」
 有紗の意見に頷きながらあれも有名だよね、 と直哉が指差した先には「目玉のおやじまん」と赤字に白抜きで書かれている暖簾がぶら下がっていた。カウンターには他にも甘酒、かき氷などのメニューが掲示されており、どうやらテイクアウトして食べ歩きができるようだ。
「目玉のおやじまん」
 暖簾に目を惹かれた有紗がぼそりと呟くと、直哉が吹き出した。
「わかる、声に出して読みたい日本語って感じ」
「インパクトがすごくてつい……」
 カウンターに近づいてみると他にもコロッケや飲み物などのメニューがあったが、有紗の心が惹かれたのは二十世紀梨と書かれた手書きのPOPが添えられた若草色のソフトクリームだった。
「ソフトクリーム美味しそうだね。今日めちゃめちゃ暑いし冷たいの食べたくなるなぁ」
 直哉も同じ気持ちだったようで、嬉しくなる。よかったら撮影終わったら食べませんか、と口にすると直哉がにやっと笑った。
「せっかくならさ、今食べちゃおうよ」
「えっでももう撮影始まっちゃうかもしれないですよ」
「大丈夫、なんなら食べてるほうがリアリティ出るでしょ」
 そういった直哉は有紗が止める間もなく若草色のソフトクリームを二つ買って戻ってきた。直哉に促されるままに受け取った右手がヒヤリと冷気に包まれる。ソフトクリームには目玉のおやじが描かれたサブレが添えられており、木の匙は一反木綿を模していた。これは写真映えするだろうな、と思いつつソフトクリームに口をつけると柔らかいさわやかさに頬が緩む。喉を通る冷たさに解かれていく気持ちに、思っていた以上に緊張していたことに自分自身が驚いた。
 ありがとうございます、と直哉に頭を下げると、直哉はいたずらっぽく笑った。
「俺も食べたかったんだし、いいのいいの。それにさ、冷たいもの食べるとちょっと落ち着くよね」
 フォローしてもらったことに気付き、有紗は直哉の笑顔をそれ以上見ていられなくなって視線を逸らしてしまった。有紗ですらわかっていなかった自身の心のかたちを、ありありと捉えられてしまうのではないかと思うといたたまれないような、逃げ出してしまいたいような気持ちになった。青葉に遮られても尚力強い夏の日差しにとろけていくソフトクリームの輪郭にめまいがするようで、木の匙を繰り食べるのに集中するふりをする。さっきは喉を潤してくれたはずの甘さはわからなくなってしまって、冷たさだけが一層熱をもった喉に染み入るように感じた。役者という眼差しはこれほどまでに人の心を詳らかにするのだろうか。それとも直哉という人が夏の日差しのように人の心を明らかにしてしまうのだろうか、有紗にはわからなかった。
 有紗がちまちまと食べているうちに直哉は食べ終わってしまっていて
「急がなくていいからね」
 という直哉の言葉にさえ、なんだか後ろめたいような気持ちになって急いでサブレをかじったら割れたかけらが足元に散らばった。ボロボロになったサブレに気を取られていたら、ソフトクリームが傾いていたようで
「あぶない!」
 と、すんでのところで直哉が有紗の手のひらごとソフトクリームを支えてくれた。さっきまで冷気に包まれていた有紗の右手が、温度差でやけどしてしまいそうに熱い。周りを支配していたはずの蝉の声よりも自分の鼓動の音が大きくなって耳の奥で暴れている。
「よかった。ソフトクリーム落ちなくてよかったね」
 頭上からの強い日差しが逆光となり、直哉の表情を隠す。
「三回目のデートだったら、手を握ってもセーフかな?」
 遠くでカコン、と音がなったのが聞こえた。

しおみ詩織(神奈川県川崎市/女性)