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「本物のかぐや姫」著者:M.Y

「ルナ、お昼は用意しなくてもいいの?」とケーコさんが言った
「飲み物さえあれば充分よ。お昼は外で蕎麦を食べる約束だから」と私は答えた。
 ケーコさんは母方の祖母に当たる人物だ。七十歳を超えているが、そんな風には見えない。若々しく、スタイルもなかなかで、名前のとおり往年の大スター岸恵子に似ている。
 私は地方の生まれ育ちで、四月に東京の大学に入ると、迷わず深大寺にあるケーコさんの家に居候を決めた。実家近くには父方の祖父母がいて、おじいちゃん・おばあちゃんと呼んでいるが、ケーコさんをおばあちゃんと呼んだことは一度としてない。どういうわけか私の母が、実の母親をケーコさんと呼んでいるからだ。ちょうど十年前、九歳の夏休みを、私はこの家でケーコさんと過ごした。そのことで自分は救われたと思う。
 午前十一時近くに、カイトのメールが届いた。調布駅前からのバスが、まもなく終点の深大寺に到着するらしい。私はバス停のある大通りへ迎えに出た。七月後半の東京は猛暑続きだけれど、夏休みが始まったせいか、平日でも人の出は多い。大通りでは白いシャツを着たカイトが、花束を手に待っていた。夏休みは二人とも地方の実家に帰る予定なのだが、その前にケーコさんに会っておきたいと、カイトが申し出てくれたのだった。
私たちは深大寺を背後にして、蕎麦屋の横の坂道を登り始めた。周囲には住宅が密集しているが、人の姿はなく、大通りの喧騒が嘘のようである。ゆるい坂道を数分ほど登ると、右手にベージュ色の塀が見えてきた。高い塀が広い敷地を取り囲み、それに阻まれて敷地内の建物は見えない。鐘楼らしき細長い塔と、南側に並んだ大木の列だけが目に入る。
「ここはカルメル会の女子修道院なのよ」
「へえ、こんな住宅街の真っただ中に、そんなものがあるんだ」
 カルメル会はカトリック内では最も厳格で、俗っぽさを根絶して祈りに専念する修道会だ。私たちはカトリック系大学の学生なので、信者でなくてもそれぐらいの知識はあった。
「昔ケーコさんが言ってたわ。ここはかぐや姫みたいな人たちが住んでる場所だって」
 カイトは怪訝な顔をしたが、早くも家に着いてしまった。この家は道を挟んで修道院の南側の塀と向き合っている。初対面の挨拶を交わすと、カイトはカーネーションの花束を差し出した。「ケーコさんは花がお好きと伺ったもので」
 カイトが最初から<ケーコさん>と自然に呼ぶのが嬉しかった。ケーコさんも笑顔で花束を受け取りながら、「花を活ける間に二階の部屋をお見せしたら?」と勧めてくれた。
 私が居候しているのは、母が娘時代に使っていた洋室である。この家にはケーコさんの夫だった祖父も住んでいたというが、私は祖父の顔も知らない。早くに病気で亡くなったからだ。以来、教師だったケーコさんが女手一つで娘を育て、私の母も教師になった。
 私とカイトは部屋に入り、北側の窓の前に並んで立った。正面にカルメル会の高い塀と、生い茂る大木の列が見える。欅や楓の他に、南国風の花をつけた変わった木もあった。それらが自然の目隠しになり、修道女たちの住む二階建ての建物を見えないようにしていた。
「あそこにかぐや姫みたいな人たちが住んでるって、どういう意味?」とカイト。説明すれば長くなるので、私は言葉を濁す。その話はお蕎麦を食べながらするつもりなのだ。
 幼かった頃、私のお気に入りの本は、かぐや姫の物語だった。古典の先生をしていたケーコさんが、字を読み始めた私に、それを送ってくれていた。竹から生まれたかぐや姫は、あっという間に美しく成長し、男の人から言い寄られても天皇さえ袖にして、月を見上げて泣いてばかりいる。そして、最後は天の羽衣に着替えて、月に帰ってしまうのだった。
 十年前の九歳の夏休みにも、この部屋の窓越しに、高い塀や大木の列をぼんやり眺めていた。すると、私のかぐや姫好きを知るケーコさんが、こんな話をしてくれた。
「あの塀と木に守られて、かぐや姫みたいな女の人たちが隠れ住んでいるのよ。修道着という変わった服を着て、早く天に帰りたいとお祈りしているの。かぐや姫が月のお父様を恋しがって泣いたように、あの人たちは天のイエス様に恋い焦がれているのね」
 ほとんど意味が分からないまま、なぜかその話が気になった。
 その夏休み直前に、私は若い男にいたずらをされかけた。両親が共働きで、放課後は祖父母の家で過ごしており、そこへ行く途中の空き地での出来事だ。空き地を通ることは禁じられていたが、祖父母の家への近道になる。その日空腹だった私は、近道を通った。
 空き地の隅には崩れそうな小屋が建っていた。雑草の生えた地面を足早に歩いて行くと、小屋の陰から何かが飛び出すのが見えた。とっさに<馬>を連想したのは、坊主刈りで丸眼鏡をかけた若い男が、妙に長い顔をしていたからかもしれない。必死に叫んだ気もするが、私の身体は背の高い男に軽々と抱き上げられ、小屋に連れ込まれた。
 薄暗い小屋の中で、馬に似た男は荒い息を吐き、不快な口臭を撒き散らした。ねばつく手が下着の上から私の下半身を撫で回す。その手が下着の中に入ろうとした瞬間、小屋の扉が開け放たれ、怒鳴り声がした。やはり私は助けを求めて、泣き叫んでいたらしい。
「おまえ、やめろよ! 何してるんだ!」
 その夏を深大寺で過ごす間に、両親が引っ越しと転校の手続きをした。出来事の具体的な意味を知っていたわけではないのだが、ケーコさんの話を聞いて幼心に漠然と思った。かぐや姫が月に帰ってしまったのは、私がされたようなことを死ぬほど嫌っていたからではないかしら、と。
 その後の夏休みは、深大寺行きが恒例の行事になった。深大寺のかぐや姫がカルメル会のシスターだと知ってからは、カトリック系中高一貫女子校への受験準備を始めた。合格して思春期をそこで過ごしたことは、私のような経験をした者には守りになったと思う。 高校時代はシスターに憧れたりもしたが、それを戒めたのもケーコさんである。「あなたの気持ちが本物かどうかは分からない」と言って。それは正しかった。私は本物のかぐや姫ではない。月でも天でもなく、結局、この地上で大切な人を見つけたのだから。
 私は翻訳を志すようになっていた。今の大学を選んだのは、カトリック系というよりも、語学教育が有名だったからだ。同じ大学のカイトとは、通学の電車内で知り合っている。
「お茶にしましょう」と、階下からケーコさんの声がした。
アイスティーを飲みながら、私たちはリビングで一時間ほどお喋りした。
「二人とも洒落た名前なのね。カイトは凧だしルナは月だし、どちらも空に関係あるわ」
 そう言われて、初めてそのことに気づいた時は、とても嬉しくなったものだ。
やがてカイトが暇を告げようとすると、ケーコさんは姿勢を正して頭を下げた。
「ルナから聞いてます。なんとお礼を言えばいいのか」
 そう、それは、カイトを知るきっかけになった出来事なのだ。私は新宿までは京王線で、そこから中央線に乗り換えて通学している。ラッシュ時は女性専用車に乗るのだが、四月末のある朝、混んだ中央線の普通車両に押し込まれてしまう。乗客同士が密着し、両側を背の高い男性に挟まれた。左側は白いシャツで、右側はサラリーマン風の背広姿だ。
 電車が新宿を出てまもなく、私は違和感を覚えた。誰かの手が下半身を撫で回している。
スカートの生地越しに、ねばつく手の感触が感じ取れる。どちらの男が触っているのだろう。卑猥な手から逃れるために無理やり身体をひねると、右側の男の横顔が見えた。坊主頭でこそないものの、丸眼鏡をかけた妙に長い顔。あの時の<馬>にそっくりではないか。次の瞬間、やはりあの時と同じ怒鳴り声がした。「おまえ、やめろよ! 何してるんだ!」
 そう怒鳴ったのがカイトである。その後は他の乗客たちの助けもあって、痴漢は警察に引き渡された。事情聴取を受けながら、カイトが同じ大学の理工学部の学生である偶然に、二人で驚いたものだった。そんな私たちが付き合い始めたのは、必然だったと言える。
 今、頭を下げられて、カイトはすっかり慌てていた。
「いやあ、僕、ルナに好かれてるのか自信がないんですよ。今日もかぐや姫がどうとか、わけ分かんないこと言うし。いっそケーコさんを先に攻略しようと押しかけて来たんです」
 この言葉に、ケーコさんと私は同時に噴き出した。
「お蕎麦屋も混んでくるわ。早くお行きなさい」と、まだ笑いながらケーコさんが言った。
 玄関を出がけに、私は大声でこう宣言した。
「お昼を食べたら深大寺にも行かなきゃ。あそこは縁結びで有名だもの。今日は俗っぽいデートを思いきり楽しんでくるわ」
 お蕎麦を食べながら、私は自分が本物のかぐや姫でなかったことを、カイトに説明するだろう。でも、そこに微かな微かな痛みがあることは、黙っているかもしれない。
 蕎麦屋に向かう坂道を下りながら、私は高い塀と木々の向こうに、見えない建物を探していた。羽衣なのか修道着なのか、不思議な衣装を身に着けた女性の姿が、ちらりと覗いたような気がした。

M.Y(東京都八王子市/65歳/女性/家事従事)