<第4回応募作品>「初恋」 著者:伊東 ポピー
1
驟雨だった。
あの時のように、細かい雨が絹糸のように体にまつわり、落ちてゆく。
展示場の軒下にはいって、ハンカチで洋服をふきながら、あの時の幻を見つめていた。彼が恋しかった。
上京して、三鷹の近くの大学の付近で、アパートを借りての一人暮らし。
憧れていた学生生活のはじまりだった。父親が事故で亡くなったのは、私が中学の時だった。母親の仕送りでまがりなりにも、これから、十八歳の一人暮らしがはじまる。貧しくても、希望に光り輝いていた。朝昼の二食は、学食ですまし、夕飯は自炊した。お米を買い野菜を買い、肉や魚を買った。毎日がおままごとのように過ぎた。
母親が、故郷の仙台でいけばな教室を開いている。幼いころから花を生ける母のそばで、あそびながら、この花は薔薇ですよ 菊ですよ葉蘭、南天 カトレアなどなど、聞かされていた。そのせいか、花や、樹木が好きになっていた。神代植物園は、暇ができると、よく足をはこんだ。無理に大学で友人をつくるより、私にとっては、ずっと自然だった。
あの時も、梅雨空のなか、読書につかれた目を、緑や、花でいやされたくて なんとなく来てしまった。樹木に囲まれると、母といるように、安らいだ。くちなしの木の下まで来て、不意にシャワーのような雨につつまれた。
「あ、どうぞ、傘に入ってください。梅雨の時はしょうがないですねえ、
雨が待てしばしがなく、降ってきますからねえ。でも、雨にぬれて、生き生きする植物をみるのが好きなんですよ」
見知らぬ男性だった。四十代だろうか、話しなれた風で、傘をさしかけてくれた。ブルーのカラーシャツが清潔そうな印象だった。
1諸に園内をぐるりとまわった。さりげなく、お茶も誘われて、深大寺のそばの喫茶店に行った。父親に接しているような、親近感で、学内の愚痴なんかも、知らず知らずに、しゃべっていた。
2
あれ以来、時々、神代植物園であった西川哲也が、誘いの電話をくれた。
渋谷の劇場への誘いとか、やはり、渋谷にあるロシア料理とかへの招待だった。
「ここは、シアターコクーンといって、お芝居のほかに、海外から呼び寄せたオペラや、音楽の演奏会も行われるのですよ」
「コクーンなんて、変な名前ですね」
「そうですね、聞きなれない言葉だけど、繭という意味のようですよ
ここで、蜷川芝居のギリシャ悲劇を見たときは、感動しましたよ。紅ちゃんは
今日のような、お芝居は、また、蜷川芝居とは、趣きが違うけど、お好きですか」
「あ、劇団旅人という名前は聞いていましたが、はじめてみました。お芝居のテーマというか、作者が なにをいいたがっているか、わかったような気がします。
役者さんたちもすばらしかったわ。このような、世界もあるのですね。新鮮な驚きです」
観劇のあとはロシア料理店に案内された。
西川は 慣れた感じで、ウエイターに料理の注文をし、ワインも何年ものが美味しいとか熟知した感じでオーダーしていた。慌てて、私は未成年者ですと言ったら、えっと、ひどく驚いた。
もう二年で飲めますからと言ったら、また驚いた風で、若い人の年は見当もつかない、とうろたえていた。
3
西川との、ときどきの交流は楽しく、私の貧しい学生生活を華やかにいろどってくれた。明日、会いたいという電話が来た日は、胸がはずんで、その夜は、なかなか 寝付かれなかった。そんなこんなで大学の生活にも、慣れてきたが、内気な私には、友人は、なかなかできなかった。。
クラブは演劇クラブにはいった。西川に案内された、お芝居の影響からか、クラブをえらぶのに時間はかからなかった。
彼らはチエホフのかもめをとりあげていた。いい役はみんな、先輩のもので、こちらは衣装がかりとか、小道具とか、使い走りに毛の生えたような裏方ばかりだった。
先輩とのつきあいは、むずかしく、大学の講義には、ついてゆけたがクラブのしきたりには、心の中で反発していた。
「先輩は、そんなものですよ、どこの世界でも・・・・。彼らに理屈はないのですよ。先輩風を吹かせたいだけなんだから・・・。反発しないで、スルーすればいいのですよ。それよりも、クラブに入ったおかげで演劇のアウトラインがわかってきたでしょ。そうして、本物のお芝居を見れば、味わいが1段と深くなる筈です」
「そうかもしれませんね。でもね、先輩が私の台詞をきいて、君のなまりを治すには二年か三年かかるなあ。アクセント辞典を買って練習しなさい。と言うのよ」
「それは、厳しいですね、まるで プロの世界だ。まあ、高みをねらって努力するのはいいことですよ。なまりと言うか、方言にはいい味があって、僕は好きですが、なおせたなら、社会にでた時もおおいに役に立ちますよ」
西川の言葉は人生の先輩として、重みがあった。
急に西川と連絡がとれなくなって、一ヶ月になる。何か気にさわることを言ったのかしら?お仕事が忙しいのかしら。心を痛めたが、思い当たることもなく、あきらめかけていた時、メールが入った。
「桂木紅子さん 始めまして。急にメールを差し上げてごめんなさいね。わたしは、西川哲也の妻です。あなたのことは、伺っておりました。神代植物園で夫と偶然にお会いしたのですね。彼はとても、喜んでおりました。死ぬまぎわに若いお嬢さんと知り合えたことを。
彼は末期癌でした。息をひきとってから、1ヶ月たちました。ようやく落ち着きましたので、メールをさしあげる決心がつきました。彼は、癌の宣告をうけてから、気持ちを落ち着かせるために、よく植物園にでかけておりました、樹木やお花が好きで、見ていると、穏やかに死を迎える準備ができそうだと言っておりました。あなたのことを、くちなしの花の精が急に目の前に現れたようだったとはなしておりました。彼は劇団旅人の役者でした。
紅子さんをスカウトしたいなどと冗談を言っておりましたが・・・。もう、今は天国で、お芝居を演じているでしょう。
紅子さんのような若い方が、あんなおじさんと付き合ってくださって、有難うございました。彼は最後のお芝居を 若いお嬢さんと演じられて、役者冥利につきると言っておりました。かさねて、有難うを申します。紅子さんには、輝かしい未来があります、もう、哲也のことはお忘れください。おからだお大切におすごしください、では、失礼いたします」
ショックで、何も考えられなくなった、食事も胃が受け付けなくなった。何日も起き上がれなかった。奥様への連絡も、携帯が不通になっていてできなかった。やっとの思いで深大寺におまいりして、彼の冥福を祈った。
植物園にはいると、雨が落ちてきた。あの時と同じだが、傘をさしかけてくれる彼はいなかった。
伊東 ポピー(神奈川県藤沢市 /54歳/女性/主婦)