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<第4回応募作品>「かわり雛」 著者:木下 蒼

―「お父さんがね、そんなもの買ってやる必要ないって」―
私の記憶のはじめのほう、母と手をつないで坂道を下っている時だった。
「まなちゃん、おひなさまが欲しいの」
それから私は、何もねだらない子になった。
昭和56年、家の周りは森に囲まれていて、田畑もまだ残っていた。横浜にもそんな風景が残っている時代だった。家から出てすぐ、道の右側には山から流れてくる水がちょろちょろと音を立てていて、左側には防空壕がのぞく竹林があった。空気は冷たかったが、天気は晴れだった。
 あれから20年後に、もう1度母に聞いた。本当に父がそんな事をいったのかと。そのとき初めて、母の父に対する憎しみをあの時から私にぶつけていたことを知った。母は嘘をついていた。本当に父がそんな事を言ったかのような芝居をつけてまで。しかし、母は父の前ではいたって普通に振舞っていた。私さえ黙っていれば「明るい家庭」は成立した。
 深大寺で綿菓子を売っている母娘をみながら、そんな思い出がよみがえっていた。よく働く娘だ、まだ小学校の中学年くらいだろうか。少女は髪を後ろで束ね、7分丈のジーンズからは、綺麗に日焼けしたふくらはぎがすらっと伸びていて、その脚が綿菓子を作る母のところにいったり、機械の周りを回ってお客のところにいったりと、くるくるぴょんぴょん休むことなく動いている。ベンチに座りながら、私はその娘の姿ばかりを追っていた。
紅葉にはまだ早い初秋の頃。蕎麦の季節の深大寺は、子連れ、犬連れ、恋人連れの人たちで混雑している。1人の人もいるけれど、大抵カメラ片手にうろうろしている。蕎麦屋も土産屋も飴屋も繁忙期だ。しかしあの綿菓子屋は面白い。もうすぐ紅葉だっていうのに、青色の綿菓子がある。季節感というものを思いっきり無視しているんじゃなかろうか。白が普通だから、きっと子供にはウケがいいのだろう。商売に季節感を出すのは、子供相手には必要ないのかもしれない。綿菓子を買う子連れの相手をしながら、ずっとあの娘は手伝いをしている。父親らしき人は店にはいない。大丈夫だろうか、我慢しているんじゃなかろうか、そのうち私みたいに・・・。
「ただいま」
「ああ、おかえり」
わが夫である。季節の行事が好きな夫は、ただでさえ丸い顔をもっと丸くしてニコニコしている。男にしては珍しく白くてすべすべした肌の持ち主だ。マシュマロというか大福というか、とにかくすべてが白くて丸い。
「トイレから出たらさあ、階段の所に毛並みがサラサラしたでっかい黒い犬とミニチュアダックスがいて。やっぱいいよなあ犬がいる生活って。でもやっぱりコーギーだよ。あのボンレスハムにポークビッツみたいな体型、最高だよなあ。」
コーギーの話は結婚してこの3年、犬を見る度に聞いている。いつもまともには取り合わない。ただでさえ世話の焼ける男に犬までついてきたら、私の生活はどうなるんだ。孫はまだかとも言われているというのに。
「なんか腹へったなあ、ソフトクリームでも買おうかな。」
「さっき蕎麦食べたばっかりじゃん。もうお腹すいたの?」
「たしかに玉乃屋の蕎麦は美味しかったなあ。太麺があれほど香るとは。俺はまだまだ麺の世界をしらないな。そういえば、昼の薬は飲んだ?ああ、蕎麦屋で飲んでたか。」
結婚するまで、私は食べ物のことなんて興味がなかった。実際今でも食べ物があれば何でもいい。食べること自体がしんどいから食に感動したことはなかった。でもたしかに、玉乃屋の太麺は粗挽きの蕎麦粉が噛むごとに香って、蕎麦のおいしさとはこういうものかと思ったばかりである。それにしても、夫の食に対する気持ちは貪欲だ。
「ソフトクリーム食べる?」
「丸々1個は食べられないよ」
「じゃ、2人で1つね、買ってくる」
週末は大抵、100CCのバイクで2人乗りをして出かけている。車なんて持つ余裕などない。でもそれで十分。私も夫も自動二輪の免許を持っている。1人でバイクに乗るのはストレス解消になるけれど、夫の後ろでタンデムしているときは、なんだか楽しい。バイク歴は私のほうが長いから時々運転の仕方にイライラするけど、夫の体重を後ろに乗せるのも結構しんどい。
「買ってきたよ、抹茶とバニラのダブル。」
2人で1つのソフトクリーム。まさか私がこんなことをするとは。結婚や家庭などもろいもの。恋にあこがれることもなかった。仕事してお金を貯めてマンションを買って、そうやって生きていくと思っていた。それが何だ今のこの光景、はたから見たらラブラブじゃないか。私にはそんな気はないぞ。道行く皆々様、勘違いしてもらっちゃ困るんだよ。私はひたすらポーカーフェイスを貫いた。
「何か買いたいものある?」
「特に、何もないよ」
聞かれて一番困る言葉。買いたい物なんて、あるのかないのかわからない。例えば、なんとなく気になったこの如意棒みたいな長いお菓子は、欲しい物の範疇にはいるのか?生活に必要な物なら買いたいとは思うけれど。一般的に欲しい物って何のことをいうのだろう。
「それじゃ、お参りしようか?」
「いいよ、行こうか。」
夫が行きたがっていくからついて行く。結婚以来変わっていない私のスタンスだ。階段を上り左手にある洗い場で手を洗う。中央に戻って線香を買って立てる。浅草寺みたいに、手で煙を頭に持っていく。この行為に何か意味はあるのだろうかと思いながら、さらにちょっとした階段を上がって御堂の前の賽銭箱に向かう。
「5円玉ある?」
「ないよ」
「じゃ、10円でいいか、はいこれ」
渡された10円を賽銭箱にいれ、1礼2拍手?だっけか?まあいいや。それにしても神様も大変だ。たまに来られて10円で願い事されちゃたまんないだろうに。そんな事を思いながらとりあえずお参りをすませた。
ん?
下りようとした時、左手に何かあるのに気がついた。夫は既に先を歩いている、なんとなく気になって私は左に進んだ。
神社の名前か、神様の名前かが書かれたような細い棒。横にはペンが立ててあって、100円と書かれた箱がある。
(書き方の一例  表 神大寺 洋子  
裏 『母の病気が良くなりますように』)
なるほどね、絵馬を棒にしたバージョンか。100円で棒を買うらしい。
「なんか願い事するの?」
階段を下りたと思っていた夫が突然声をかけてきた。
「うーん・・・、やめとく。」
「そう。」
夫が階段を下りていくのを見計らって、私はものすごい勢いで名前と願い事を書いた。
「なんだ、書いたんじゃん、何書いたの?」
「たいした事じゃないよ」
「どうせ即物的なもの書いたんだろう、金くれ、みたいな」
笑いながら、夫が言う。
「あはは、そんな事は書かないよ」
私がお金で苦労してきたことを知っているからだろう。でも、うつ病で8年も通院している人間にそんなこといわなくても、とも思った。そんな小さな不満をかくしつつ境内を歩く。思えば思うほど変わった人だ。付き合うときに病気のことを話したのに、ああそう、だけで済まされた。結婚までは早かった。主治医から頼まれているからといって私の薬の管理までして、つくづく奇特な人だ。猫背な彼の背中を見ながらそんな事を考えていた。
 ふと見上げ、周りを見渡す。枯葉が混じる緑、少し赤みがかった木々。水の音もする。風も少し寒くなってきた。そっくりだ、あの頃と。小さい頃のあの風景と。悲しさがまたよみがえる。私はすぐに小走りで夫に追いつき、横に並んで門前町まで下った。右を見ると、またあの娘が日焼けした脚をぴょんぴょんと忙しく走らせている。あの娘はどんな人生をおくるのだろうか。何を思って手伝いをしているのだろう。お小遣いでももらえるのかな。友達と楽しく遊べているのかな。必死にいい子のふりをしてなければいいけれど。そんな事を考えながら、綿菓子やの前を通り過ぎた。
 帰り道、夫の運転するバイクの後ろに乗りながら、まだ浅いこの人との歴史を振り返っていた。2005年12月、私は夫を見つけた。翌年2月、結婚が決まっても自分がなぜ結婚するのかわからなかった。3月3日、夫は会社を休み2人で婚姻届けを出した。それから毎年バレンタインのお返しに、夫は雛人形をプレゼントしてくれる。お内裏様が倒れると、彼はいつも「ああ、俺がぁ!」と言って慌てている。私達は大抵タンデム。お内裏様の運転でお雛様が移動する。私はお雛様なんてガラじゃないけれど。いつの間にか、本当にいつの間にか、彼は私のすべてになっている。夫であり恋人であり、兄であり弟であり、親であり子供。まさしく、源氏物語の中で光源氏が紫の上を指していったかのように、彼は私のすべてになっていた。
いつもいつも願うこと。欲しい物はわからないけれど、願い事はいつも同じ。正月も七夕も神社でも、願い事をするときはいつも同じことを思っている。

表 真奈  
裏 ずっと夫と仲良く暮らせますように。

木下 蒼(東京都稲城市)

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