<第4回応募作品>「椿老人と僕」 著者: 藤森 重紀
強盗のように相手の心を奪い、別れるなら殺人鬼のように冷酷でなければ本物の恋愛ではない、と力説する椿老人との出会い。これはまったくの偶然からだったが、本当に僕はあの人物と出会ったのだったろうか。もしかすると、深大寺のかげろうと蝉しぐれが齎した単なる白昼夢なのではなかったろうか。
それでも椿の古木の前で、初対面の人物は気の毒なほど慌てふためいていた。
「せっかく撮りたいのにバッテリーが減ってしまって・・・」
突き出すデジカメが同じ銘柄だった縁で、僕とこの人物(最後まで名乗らなかったので仮に椿老人)についての話をはじめなければ
ならない。
「使ってください。僕は撮りませんから」
特別の思い入れがあるのか、六十前後の人物は涙ぐみつつ椿の花を丹念に写し始めた。
散り敷いた花弁を踏みしめて老人は円い緋毛氈に立つ花仙人のようにみえる。かげろうが立ちのぼる。老人そのものがゆらゆらと揺れている。
「あなたのおかげで今年も会えました。どうも、ありがとう」
この日が初会とすると、神代植物公園で再び椿老人と出会ったのは八月の暑い盛りだった。年末提出の卒業論文に「深大寺の文学碑」についてテーマをしぼった僕は、あの春の日と同じデジカメを抱えて、この寺の境内に立つ十五もの歌碑や句碑を写し回り、やっと山門にたどり着いたときだった。
「やあ、きょうも偶然ですね」
汗を拭う顔が涙ぐんでいて、歳をとるとつい、などといわせるのも気の毒だったから、
「やっと決着がつきました! さっき〈逢ふもまた別るゝも花月夜かな〉という小林康治の碑文を見つけて、文学における人と人との間(あわい)というか取り合わせというかタイミングというかスタンスというか、日本文学の根底にある情緒を・・・」と一方的にまくしたてるのを遮って、
「ほう、剣道でいう相手との距離感ですね。まさに一足一刀の間合い。男女の仲もこの間隔こそ重要なんです。遠間から近間の案配を計算する真剣勝負。恋もこうでないと本物ではありません。いいテーマを思いつきましたね!」
「青みががって横たわる素朴な句碑も、句の意味も、いい感じでした」
有頂天そのものの僕に、椿老人はこの前のお礼といいながら、当然のように蕎麦屋の方角へと歩きだしていた。
「茶店風あり御屋敷風ありで、長生きして一年に一軒ずつ、それでも二十年ここに通わんといかん」
深大寺ビールで乾杯すると老人も表情が明るく饒舌になっていった。
「・・好きな女の人はいますか? 深大寺にきて気分が軽くなったらご利益なんだから、男同士恋の話をしなけぁ」
微醺を帯びた椿老人の誘いに乗って僕は梨恵との関係をどう切り出したものか正直迷っていたのだ。
単純に好きなタイプと断定していいかどうか。中学の後輩だった梨恵は、調布駅北口からバスで武蔵境に通う短大の一年生だった。
会えば、どちらからとなく軽くハグしあう雰囲気になっていたが、キスをするわけでもなく、そこから先へ進むこともなかった。好きな女ではあったが、この関係は何なのだろう、と自分でもふしぎに思う。
筒井筒ほどではないけれど、幼稚園ころは風呂場でよく水浴びごっこをした。梨恵の胸もとに散らばるほくろを、星座のように数えてその数も僕は憶えている。
短大の合格通知が届いた二月の上旬、僕は彼女を多摩川原橋へサイクリングに誘った。
近況報告めいた雑談の後、いきなり梨恵は現在付きあっている人がいるか、と詰問口調で聞いてきた。なんでそんなこと、と僕が反問してから、ほどなく口論となった。自転車も放置したまま鶴川街道を調布インタの方角へ気まずく僕たちは歩くだけだった。
深大寺に続く通りには、サザンカが咲きこぼれていた。歩き疲れ二人はどちらからとなく道路を挟んで向きあった。短く叫ぶ梨恵の声がダンプカーの排気音にかき消された。また叫ぼうとしたとき、彼女は咳き込みながら路肩にかがみこんでいった。顔面を紅潮させたその様子が異常だった。こんなときに限り車の往来がなかなか途切れなかった。
このとき梨恵は僕の名を呼んだに過ぎないと思ったのに、意外にも椿老人は声高に、
「大人になった彼女の告知だったんですよ」
と鈍感な僕を諌めるような目つきだった。気力の限り告白したから思い余って倒れざるをえなかったのだ、とも強調するのだった。
うずくまる梨恵に近寄ると亢奮も収まり、下から僕を見上げて、寒い寒いと連発する。ダウンジャケットをかけてあげてもまだ寒がったので、僕は強引に梨恵を抱きしめた。そのまま、道端の陽だまりに立っていた。
脇をにやけながら通過する中年の男や子供を抱えて駆け抜ける親子連れもいたが、僕たちは互いの腕をほどかなかった。ほかに何を求めるのでもなかった。この場所で、このとき確実に聞こえていたのは相手の胸の音だけだ。
その日以来、自分は永遠なんて信じていない、時間はくり返せない、出会った今をおいて最優先させるものはほかにあるわけがない・・・彼女に会いたくなると僕はメールを矢継ぎ早やに送信した。梨恵も即座に返信を寄
こす。送信をクリックして返信が戻るまでの間合い。微妙な緊張と興奮。
昼夜分かたず早朝でも深夜でも梨恵からメールが届く。しかし時折、意味もなく返信がこない日もある。三日も四日も一週間も途絶える。僕は毎日送信しているのに。
彼女の気紛れな周期に滅入る日もあるが、僕は嫌味を書き送ったりはしない。信じていれば梨恵との関係は切断されるわけがない。そんな頑な自負、それだけだったけれど。
「それでいいんです、それで」
女のわがままに振り回されても、好きならば厭わず信じるべきだとは、椿老人の言い分だった。無償の行為に徹すべきで、女に代価を求めてはならない。自分はそのことで痛く悔いている、と老人は深く溜息をついた。冷房を止めてもよさそうな風の揺らめきが窓越しの景色をいっそう涼しくみせている。
千三百年前の同じ季節にも、この風は満功上人の御身にやさしく吹き寄せていたのだろうか。クーデターと内乱が頻発する一方で記紀や風土記などが編纂されて、仏教文化が大きく開花した天平の時代、この寺は建立されているのである。
「つぎは私の番だね・・三十年前、婚約した娘と深大寺にきた憶えがあります。椿のいい花があると聞いては埼玉の安行とか鎌倉の頼朝廟とか連れ回りましたが、子宮癌で呆気なく・・若いので進行も早くて・・。ここの椿が末期の花です。きれいねと感嘆したあの声が聞きたくて・・・」たびたび出向いてくるのだと、少年みたいにまた老人は涙ぐんだ。
蝉の声がいちだんと高まっていた。
「娘を理想の鋳型にはめて硝子細工のように護ろうとばかりしておりました・・私が尊敬する小説家は、恋愛は後味を残すもんじゃない。相手の全身全霊を強盗のように奪い、別れるなら殺人鬼のごとくあれ、といって失恋した一人の女性だけを生涯書き続けました。男の本音だと思います」
「それは未練ですか、復讐ですか?」
「復讐です」
「なんと恐ろしいことを。小説家はそんな冷血漢なのですか!」
「いえ、自分への復讐なのです。その人を恋した処断です。優柔不断で女を扱っても恋は
成就しません。これは私の慙愧です」
それなら僕と梨恵の関係はどう説明すればいいのだろう。優柔不断というものだったら
まさしく現在の自分ではないのか。傷つくことを避け、そして傷つけることを畏怖している自分ではないのか。男の弱腰を徹頭徹尾糾弾する椿老人は、死別した娘とのかなしみをどのように乗り越えてきたというのだろう。
「やさしさと優柔不断は別です。思い立ったら強引に進むことです。後悔は美徳にはなりません。回想は悔いの溝を深めるだけです」
老人はそういって席を立ちかけた。
「また会いましょう。深大寺では泉下の恋人が見えるし、恋愛論も華やいできます。あなたも俳句や短歌に関心が生まれて本当によかった。私も気に入った作品があるとメモして置くんです。これなんか、どうですか?
〈死とはただ居なくなること秋桜 博〉
〈亡き猫よ夏の路地から現れよ 真里〉
どう泣き叫ぼうが身悶えしようが、死んだら最後、愛するものは二度と還ってはこないのです。生きている今が勝負です。思い出は所詮儚い慰めでしかありません。そうは思いませんか?」
即答できずにいると、たたみこむように、
「たとえ懇願されても彼女とは会いませんからね。恋はあばたもエクボ。他人の評価などどうでもいい。椿は千年長寿の木だと万葉集にあります。深大寺の椿の下で祈れば、恋はかならず成就します。神代の昔から惚れて惚れて惚れぬけと歌の文句にもあるじゃありませんか。あなたたちも、そうしなさい」
会心の笑みを残し、老人は地鏡の上を滑るように去っていった。
これが彼をみた最後となるのだが、このとき、なぜか僕には入れ替わりに突如、梨恵が現れてきそうな気配がしないでもなくて、そのまま遠ざかりつつゆらゆら揺れる椿老人の輪郭を、不自然なほどしばらく見守りつづけていたのだった。
藤森 重紀(東京都町田市/男性/自由業)