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<第4回応募作品>「トックリの木」 著者: 井手 博之

入学式とオリエンテーションが終わり、通常の授業が始まった。ようやく東京での一人暮らしのリズムもつかみ始めたころ祖父との約束を果たすために深大寺に行った。
新宿から京王線に乗り調布駅で降りた。調布駅からはバスが出ているらしい。駅前のロータリーに向かい深大寺行きのバス停を探した。深大寺がどのあたりにあるのか、東京に来てまだ日が浅く、しかも都心から離れているこのあたりの土地勘は全くない。バス停に立っているおばさんに聞いてみると、深大寺に行くにはいくつかのルートがあるようだ。おばさんが待っているバス停からも深大寺に行くバスが出ているらしい。
「深大寺は初めてですか」
「ええ。昔、祖父がこのあたりに住んでいたらしいのですが僕は初めてです」
話はそれで終わった。知らない人に祖父の話や深大寺に行く目的を話しても仕方がない。
駅前から出たバスは住宅街を通り抜け、十分前後で深大寺の入り口に着いた。祖父から聞いて想像していた様子とは少し違っていた。深大寺の周辺は緑が多く回りは田や畑、それに武蔵野の面影を残す林があると聞いていた。緑は多いものの住宅やビルも多く、かなりにぎやかな印象をもった。
「まずは、お参りをしなきゃ」
子どものころから祖父とよく遊んだ渉は昔の慣習をよく知っていた。それが合理的であるかないかに関わらず自然と身についていた。入り口にある深大寺の説明文を読むと今から千年以上前に開かれた寺で境内には山門や本堂をはじめ多くの建物がある。また山門に続く道にはたくさんのお店が並んでいる。何故か蕎麦屋が多いのには驚いた。渉の故郷では麺類と言えばうどんで蕎麦はうどんのついでに作っているような店が多かった。お土産物屋も覗いてみたかったが後でじっくりと見ることにして山門へと急いだ。
山門の階段を上がると正面に本堂が見える。寺院めぐりが好きな祖父と多くの寺院を見たが、今まで見た寺院の中でもかなり大きな部類に入るだろう。お賽銭を投げ入れ、これから始まる東京の生活が無事に過ごせるように、また楽しい学生生活が過ごせるようにお願いをした。お参りを済ませると気持ちが落ち着いてきたのか、ゆっくりとお寺全体を見る余裕が出てきた。境内の地図を見ると、深大寺に接して大きな植物園がある。時間があれば寄ってみようと思った。
「まずは、トックリの木を見つけないと」
渉は地図を確かめ、なるべく効率よく境内を見て回ろうと思った。境内には多くのお土産物屋とそれを囲むように多くの木がある。都心から離れた場所にある深大寺だが、天気が良いこともあり多くの人が来ていた。
祖父が東京を離れて五十年経つ。トックリの木は五十年経つと、どのくらい大きくなるのだろう?どうやって見つければよいのだろう。自分の家の庭にも同じ木がある。子どものころから見慣れているので、すぐに見つかるだろうと思っていたが、境内にある木の種類と数の多さを見ると本当に探し出せるのか不安になった。渉は店の横や奥にある木々を注意深く眺めていた。
三十分ほど歩いた後、古い日本家屋を利用した喫茶店を見つけた。ちょうど歩き疲れていたので中に入った。厚みのあるテーブルが四つ、その一つには六十代と思われる夫婦がコーヒーを飲んでいた。室内は障子を通じて柔らかな光が差し込んでいる。店の奥は庭になっているようだ。渉は奥のテーブルに座った。人の気配を感じたのか、店の奥から店員が出てきた。
「いらっしゃいませ」
澄んだ声が聞こえてきた。ちょうど渉と同じくらいの年齢の女性だ。メニューをテーブルの上に静かに置くと、「ご注文が決まったら呼んでください」と言ってまた戻っていった。渉はホッとした。注文の品が決まるまで横に立っていられるのが一番苦手なのだ。
「すみません」
しばらくして奥に声をかけると、アイスコーヒーを注文した。

半年前、東京の大学に合格したことを報告すると、普段はあまり感情を表さない祖父が喜んだ。
「そうか、東京の大学に合格したか」
祖父も大学生のころ東京で一人暮らしをしていた。同じ経験を孫がすることが単純にうれしかったかもしれない。
「渉、東京に行ったらお願いがある。深大寺というところに行って、この庭にある木と
同じ木があるか探して欲しい。もうないかもしれないが、それはそれでかまわない。一度見てきてくれんか」
「いいけど、なんで?」
祖父は少し言葉に詰まったようだ。
「内緒にして欲しいが。昔ある人とこの庭にある木と同じ木を一緒に植えた」
渉はそれ以上、詳しいことは聞かないようにした。祖父の青春時代の断片を見たような気がした。

境内の地図を見ながら、これからどのように見てまわろうか考えていた。
「深大寺は初めてですか」
アイスコーヒーを置きながら店員が声をかけてきた。かなり夢中で地図を見ていたので、店員が来たのに気づかなかった。
「最近、東京に引っ越してきたので」
「熱心に地図を見て、何かお探しですか」
「ええ、ちょっと・・・」
店員に木を探していることを言ってもわかってもらえないだろう。渉は適当に応えた。
「あっ、おばあちゃん」
窓越しに庭を見た店員がつぶやいた。庭には七十過ぎと思われるおばあさんが大きな木を見上げていた。
「また、あの木を見ている」
その言葉で渉はその木を見た。
「あっトックリの木だ」
「えっ、あの木をご存知なのですか。とても珍しい種類の木みたいで」
店員の視線に気づいたのか、おばあさんはこちらに向かって微笑み、店の方角へ向かってきた。
「おばあちゃん、またあの木を見ていたの」
「そうだよ。ちょうど今日であの木を植えて五十年経ったのよ」
そんな話をしているおばあさんの顔をチラッと見た。おばあさんも窓越しに木を見ていた視線をチラッとこちらに向けた。
「いらっしゃ・・・」と途中で声を詰まらせた。渉の顔をじっと見た。
「あの、何か僕の顔についていますか?」
「おばあちゃん、そんなにじっとお客さんの顔を見て失礼でしょう」
店員は渉に謝り、おばあちゃんの背中を押して店の奥へ行かせた。
「すみません。祖母が失礼なことをして」
店員はこのおばあさんの孫娘らしい。 
「深大寺にはあの木と同じ木が他にもあるのですか?」
店員は少し考える表情をした。その顔は幼稚園の子どもが何かを思い出そうとするような表情だった。
「多分、ここだけだと思いますが」
渉はこれから探そうとしていた木が偶然に見つかったことに驚いた。あのおばあさんはもしかして祖父と一緒に木を植えた人かもしれない。祖父は東京の大学に通っているうちに、ここのおばあさんと知り合いになったのだろう。何かの事情があり東京を去ることになり最後の日に一緒にこの木を植えたのだろう。郷里の広島に戻った後は地元で結婚し、自宅の庭にも同じ木を植えたらしい。幼いころから祖父が、この木を大切にしていることを思い出した。
「とてもあの木が気に入っているようですね」
「はい。あの木に思い出があるらしいのです。昔、好きだった人と一緒にあの木を植えたらしいのですが、詳しいことは教えてくれないのです」
「そうですか」
さぞかし、昔は美人だったに違いない。今見てもかわいいおばあさんだ。
しばらくすると、そのおばあさんがお茶を持ってきてくれた。
「先ほどは失礼しました。昔に会った人にとても似ていたので、ついお顔を見てしまいました」
「いえ、気にしないでください。私の祖父も昔、東京に住んでいて、このあたりにも良く来ていたらしいです。それに偶然かもしれませんが、私の郷里の庭にも同じ木があるのです」
そう話すと渉は少し微笑んでおばあさんの目を見つめた。おばあさんの頬が少し赤くなったように思った。孫娘は何故、二人がお互いの顔を見ているのかわからない。
「また人の顔をじっと見て失礼でしょ」
「いいえ、大丈夫です。現実にはありえないですが、僕も昔会ったような気がしてきました」
カップに残ったコーヒーを飲み干すと
「ご馳走さまでした」
渉はレジで勘定を済ませた。
「ありがとうございます。おばあちゃんが失礼なことをして申し訳ありませんでした。お気を悪くせず、またいらしてください。」
明るい笑顔に渉はしっかりとうなずいた。
今度はトックリの木ではなく、孫娘の笑顔を見に来ようと思った。

井手 博之(東京都大田区/50歳/男性/会社員)

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