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<第4回応募作品>「ひろと私」 著者: 渡部 夏之介

 六月も終わろうとしていた土曜日の早朝のこと。突如母が激しい腹痛を訴え、救急車で病院に運び込まれた。幸いにも命に関わることではなさそうだったが、それでも検査を含めて数日入院しなければならないとのことだった。私は急いで家に戻り、とりあえずの入院生活に必要な母の身の回りのもの一式を病院に届けなければならなかった。
 母の部屋に入るのは久し振りだった。私が高校に入った頃から母は年頃の娘を気遣ってか私の部屋に入らないようになり、それと同時に私も母の部屋に入ることを遠慮するようになった。部屋は朝の混乱ぶりとは恐らく関係なく、まるで泥棒に荒らされたかのようにぐちゃぐちゃに散らかっていた。母は毎朝私より早く起きて出かけ、私より遥かに遅くに帰ってくるキャリアウーマンだからそれは仕方ないことだし、そもそもこれが母の性格と言えなくもない。けれどここまで散らかっていると、日頃掃除ぐらいしてあげるのに、と思ってしまう。
 この散らかった部屋のどこに何があるのか、入院生活に何が必要なのかも分からないので、とりあえず私は手当たり次第に母のタンスや押入れを開け、下着やら服やらタオルやらを大きな旅行鞄に詰めていった。鞄がいっぱいになった頃に母がいつも使っていたバスローブを入れてないことを思い出し、とりあえず大きな洋服ダンスを開けた時に私はそれを見つけた。赤いフエルト生地のブックカバーが掛けられたそれは、手にすると少し埃っぽいにおいがした。ぱらぱらと頁をめくると、そこには今より丸みがかっているけれど確かに見覚えのある字が躍っていた。それは母の学生時代の日記だった。

「ひろくん」「ひろくん」「ひろくん」「ひろくん」
 とにかくこの日記には「ひろくん」がやたらと登場する。迷うべくもない。向井大と書いて「むかいひろ」。私が生まれてすぐに亡くなった父の名である。実のところ私は父に余り関心はない。母もこれまで余り父のことを話すことはなかった。ただ私が母と一緒にお酒を飲むようになってから、つまりここ一、二年、母は父の話をぽろりぽろりとするようになった。この年で好きになってしまったビールの苦味を堪能しながら、私はとりとめもない母の話を聞いてあげた。
 だから私が父について知っていることは極めて断片的で、僅かなものだ。ラグビーをやっていて筋骨隆々だったこと、身長が一八五センチもあったこと、無類の蕎麦好きだったこと、江ノ島デートで泳げないことが発覚したこと、デートと言えば父が一人暮らしをしていた近所の深大寺という古いお寺だったこと、などなど。今私がすぐに思い出せることといえばこれぐらいだ。
 父にはそれほど興味はないが、若い頃の母には興味がある。私は荷物を詰めることも忘れて母の日記に夢中になった。どの頁をめくっても「ひろくん」「ひろくん」「ひろくん」「ひろくん」であり、そこには今の母の自立した女の強さなどこれっぽっちも見当たらない夢見る乙女の日記だった。けれども私にはそんな母の意外な一面がたまらなく可愛く思えた。お相手の「ひろくん」は、出不精で、愛想がなくて、無口で、私には余り魅力的に思えないのだけれども、母にはそこが堪らなくいいらしい。思わず熱中しすぎて、私は危うく母の荷物を午後の面会時間内に届けられないところだった。

「心配かけたわね」
 病院に戻ると、痛み止めのおかげか母にはいつもの力強さと笑みが戻っていた。
「もう大丈夫なの?」
「胆石の疑いがあるらしいわ」
 母はそう言うとにこりと笑った。
「無理しちゃダメよ」
 言っても聞かないのは分かっている。
「月曜に大事な会議があるのよ。どうしても行かないと」
 私は日記のとあるフレーズを思い出す。
『ひろくんの背中をずっと見ていたい』
 目の前の母が日記と同一人物だとはとても思えなかった。
帰りの電車で私は再び母の日記を開く。
『嫌がるひろくんを強引に連れ出す。ひろくんは一週間ぶりの外出。いつもと変わらず深大寺。雨の中のデート!』
 明日、母の見舞いの前に深大寺に行こうと思う。写真を撮って母に見せたらどんな顔をするだろう。

 翌朝、私は雨の中、京王線つつじヶ丘の駅に初めて降り立った。私は傘も差さずにロータリーに止まっていたバスにスカートを翻して飛び乗った。バスに乗り二〇分も走ると辺りの緑がぐんと濃くなった。雨のせいか緑が青々としている。終点の深大寺で降りたのは私だけだった。まずは一通り歩いてみる。短い表参道の正面に存在する古い山門にカメラを向ける。ただの古いお寺かと思っていたものの、予想外に門前町が広がっており風情がある。蕎麦屋があり、蕎麦まんじゅうやリンゴ飴が売られているこの風景は恐らく江戸時代よりそれほど変わらないだろう。ましてや母の学生時代とはほとんど変わっていないに違いない。私は小さな池の前にある蕎麦屋に入り再び母の日記を開く。
『いつもと同じひろくんが奥、みさが手前。いつもと同じとろろ蕎麦。でもいつもより新鮮なのはひろくんが無精ひげ姿だってこと!』
 私が座ったこの席にもかつて母と「ひろくん」が向かい合って座ったのかな。でも私の前には誰もおらず、ちょっとだけ寂しくなる。そんな寂しさを蹴散らすようにつるつるととろろ蕎麦を食べ、私は店を出る。雨は相変わらず降り続いている。

 ようやく山門をくぐり古い境内へ突入すると、境内は雨のせいかびっくりするほど静かで、そして誰もいなかった。
『いつもと同じ願い事。もうお百度参りができたんじゃないかな』
 日記に書かれていた母の願い事は叶ったのだろうけれど、結果的に母は女手ひとつで私を育てるという重荷を背負ったのだ。そんな母を思うと素直に本堂にお参りする気にはなれず、札所に足を向けた。仏様に正面から向かい合いたくない心境というのもあるのだ。
「あっ!」
 だが出会いはこんなところに転がっていた。そこで売られていた鬼の御札は我が家のリビングに私が物心付いた頃から貼られているものだった。私が何度聞いても母がきちんと説明してくれなかったその鬼の御札は、説明によれば角大師と言い、かつて元三大師様が疫病神を追い払ってくれた時の仮のお姿だという。つまり私は生まれてから二〇年間、ずっとこの元三大師様に見守られてきたことになる。御札は毎年新しくなった。そのことは母が今でも毎年ここに来ていることを意味し、それは、つまり、同時に、母が今でも「ひろくん」を想っていることを意味しているような気がした。
 私は動揺したまま本堂を、そして元三大師堂を見て回る。
『いつもと同じ願い事。もうお百度参りができたんじゃないかな』
 私は立ち止まり、雨の中で若き日の母と「ひろくん」の面影を追った。
 母と父は大学在学中に付き合い、卒業して数年で結婚し、そして私が生まれた。父はすぐに死んでしまったが、今でも母は父を愛している。そういうことなのだ、きっと。

 随分と長いこと境内にいたせいか、私はなかなか現実に戻れなかった。もう一度お土産屋を見て歩く。甘いものでも食べれば現実に戻れるだろうと考えてみる。
「すみませーん」
 店員が出てくる気配は全くない。
「ごめんくださーい」
 少々恥ずかしいが声を上げて叫んでみる。
「蕎麦まんじゅうくださーい!」
 やがてどたどたという音が店裏から聞こえてきて、次いでからんからんというサンダルの音と共に店員が飛び出してきた。
「いらっしゃい!」
 私は蕎麦まんじゅうを指し、財布を取り出そうとバッグに手を入れた。
「あげるよ!」
 驚いて顔を上げるとそこにはなんと同じサークルの悟先輩が立っていた。
「先輩?わっ!えっ?こんなところで何してるんですか!」
 私は蕎麦まんじゅうを食べる前に現実に戻ることができた。
「俺はここのバイト長いからね。向井は何してるの?」
 私はちょっとだけ考えてみる。
「お父さんに会ってました」
「お父さん?この雨の中で?」
 私は頷いて、悟先輩からもらった蕎麦まんじゅうを一口食べた。甘さが口の中いっぱいに広がった瞬間、悟先輩の苗字が広崎で、同級生からは苗字の上を取って「ひろ」と呼ばれていることを思い出した。
 これが「ひろ」と私の出逢いになった。

渡部 夏之介(神奈川県川崎市/35歳/男性/会社員)

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