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<第4回応募作品>「銀竜草の夢」 著者:伊勢 湊

 この時間にこの場所に来るのは何年ぶりだろうか。かつては東参道の坂を下り歩いてきたものだが、いまでは足腰が弱ってしまいタクシーに乗って来ざるをえない。駅前から離れていても息子夫婦と暮らす吉祥寺では夜の静寂はかつて自分が味わってきたそれとは全く異なるが、木々に囲まれたこの場所にはあの日の静寂が残っている気がした。星の明かりが木々の闇に溶け込むような薄い影を地面に落とす。静かだ。山門前の蕎麦屋や茶屋も、日没と共に暖簾を片付けるのか、人影を見かけることはない。まるであの日と同じに思える。いま、一人であること以外は。
 
 思い出すのも億劫になるくらい昔のことだ。六十年、いやもう七十年と数えたほうが近い。戦争が始まる前、私はたびたび多喜子と共に夜の深大寺を訪れた。家と家で結婚をすると言われていた時代だ。私たちのような恋愛は珍しかったかもしれない。私たちはお互いの意志で将来を約束した。手を取り合い、唇を重ねるために、この暗く静かな場所に良く訪れた。手を繋ぐことさえ人目を憚る、そんな時代だった。
 やがて戦争が始まり、私は南方へと行くこととなった。戦地へ向かう前のあの夜、多喜子は青地花柄の浴衣を着ていた。長い髪を後ろで団子にまとめ、初夏の夜の星の下に浮かび上がる姿は涼しげで美しかった。並んで歩いた。山門を抜け、本道でお祈りをし、乾門を通り、坂を下る。その時間が失われることが歩みを止めることなく二人で歩き続けた。私は頭のどこかで死を予感していたのかもしれない。歩き続けていればこの時間は消えてなくなってしまわないと錯覚していた気がする。延命観音の前で多喜子が立ち止まった。ちょっと疲れてしまったと私に微笑みかけ、そして小さく囁いた。
「きっと大丈夫。またここに来ましょう」
そして多喜子は唇を私の唇に重ねた。何度も。約束を交わすように。
 
 多喜子のきっと大丈夫だという予感は当たり、戦争が終わり、私は生きて帰ってきた。しかし完全に死の予感から逃れられてはいなかった。生の喜びと、再開の期待を胸に帰国した私は多喜子の死を知らされた。空襲による死。命日は五月二十五日だったという。そういう理不尽な時代があったことを、いまでも認めたくないし、認めるつもりもないが、現実としてあの戦争の頃は死がありふれた時代だったのかもしれない。それでも私はひどく動揺した。悲しみや衝撃もあったが、次の一歩をどの方向に出せば良いかすら分からなくなっていた。私は自分の死はある意味では覚悟できていたのかもしれない。だが、多喜子の死はそうではなかった。
 
 その後の時代はこの国の中でも特別だったのではないかと思う。全てがめまぐるしく成長を続ける中で、その流れは踏み出すことさえ出来ない私をも未来へと運んでいった。とにかく生きるために働き始めた会社は、最初は小さかったが、やがてどんどん大きくなり、生活が安定すると親戚に薦められた見合いで妻と出会い、一緒になった。働く中で私は多喜子の記憶を封じ込めていった。思い出せば動けなくなる。しかし時代はそれを許してはくれない。日々は速い速度で進んだ。そんな中で私は妻と生活を築き、生きた。息子二人、娘二人も無事に育ち、今では六人の孫と二人のひ孫までいる。
妻のことは生涯大切にした。それが愛するということであれば、私は妻を愛し続けた。大きな喧嘩をすることもなく、周囲からは仲の良い夫婦だといわれた。その妻も半年前に他界した。多喜子のことは結局最後まで妻に話すことはなかった。
 
 あの後一度も深大寺に来たことがなかったわけではない。妻に誘われて訪れたときには近くにこんないいところがあったのか、と少し驚いて見せた。さほど演技をしたわけではない。私の中では夜のその場所、その風景こそが特別なものとして存在してはいたが、私はそれを心の中の直接触れることの出来ないガラス玉に閉じ込めていた。そしてそれを柔らかい場所に押し込めていた。壊れないように。しかし直視せずに済むように。
 辿るだけで夢をみるのと同じほどの長い歳月を経て、今晩、私は夜に再びこの場所を訪れた。五月二十五日。多喜子の命日。妻が他界してしまったことで、多喜子への想いが浮かび上がってきていた。それを自分に対し誤魔化すつもりはない。頭では、それは妻に対する裏切りなのかもしれないと考えた。しかしなぜか自責の念は全くなかった。私より十歳近く若かった妻の死が、私に自身の死の予感を再び持たせたのかもしれない。
 夕方にリビングのテレビの横のカレンダーが目に入った。日付が私の目から脳に入り記憶を刺激した。多喜子のことを思い出し、何十年ぶりに自然に一粒だけ涙が流れた。数年前から杖生活だ。ただ周りを見回して、私の歳で寝たきりや車椅子ではないことには感謝を感じる。いろいろ考えたが、どうしてもうまい説明が見付からずに、出掛けてくる、心配するな、とだけ書置きして家を出た。
 
 初夏ながらこの場所は相変わらず涼しい。旅館などもあり人が全くいないわけではないはずだが、風が笹を揺らす音にあらゆる気配は掻き消されてしまうように思う。あの日と同じように私は歩く。いまは一人、ひたすら歩くのだが、振り向けば何分も前の自分の残像がすぐ後ろに見える。歳をとるということはそういうことなのだろうか。いずれ自分も何かに追いつかれてしまうのだろう。そうなる前に、歩く。予感の中で何かを探すように歩く。
 やがて、いまでは急な坂を上り、少し左に入り、延命観音の前。風の音。息が荒い。同時に空気の冷たさを感じる。期待し、予感していたこと。地面に小さな白い花。そこから視線をあげていく。そして青地花柄の裾が見える。
「どうして」
 望み、しかし驚き、答えを望む。夢だとして、現だとして、その意味を望む。しかし声はない。杖を手放し、そして無理やりに背を伸ばす。強引に時間を取り戻す。あの頃の自分になるために力を入れて背を伸ばす。目の前には、あの日のままの多喜子がいた。寸分違わない。あの日のままだ。まだ声を発さない。若い姿のままの多喜子に話しかける。それが普通のことではないことは分かる。しかしそれを欲してやまない自分がいる。
「待っていたのか? わしは歳をとった。約束も守れんかった。別の女と一緒になり、子供も、孫もおる。おまえはわしを恨むだろう。わしの後悔はあの日おまえの心配をしてやれなかったこと。わしは自分の心配だけをしていた。おまえが死んでしまうことは考えてなかった。自分のことばかりを考えてしまった。そしてやっと、こんなに歳をとってここへ来た。さあ、好きにしてくれ。黄泉へでもどこへでも連れて行ってくれ」
 しかし多喜子は答えない。私の姿を何度も眺める。その声を待つ。
「多喜子。おまえは幻なのか? 幻でもいい。おれを連れて行ってほしい」
分からなくなる。多喜子。おまえは私の中の多喜子なのか。おまえそのものの多喜子なのか。
「多喜子。おまえはわしを恨んでいるだろう。多喜子、わしはここに来た。おまえに連れて行かれるために」
多喜子は最後に私の目を見つめた。そしてゆっくりと首を横に振った。
「約束は、二人でするもの。そしてそれぞれが想いを果たすもの。うれしい。ただ会いたかった」
 声が風に乗り耳へ届く。あの日のままの声が。そして眼差し。多喜子の目は微笑んでいた。夜の闇の中でもはっきりと多喜子の視線の色が私に届く。私は震える。溢れ出してくる。心の中のガラス玉が割れた。封じ込められていた、あの日の声が、色が、空気が溢れ出してきた。そしてそれは目の前の多喜子の姿と重なった。
「多喜子、おまえは」
 言葉が続かない。私は泣く。涙は流れない。それが悲しい。多喜子の手を取ろうとする。しかしそれは叶わない。
「ありがとう」
多喜子が微笑む。間違いなく、それは多喜子だ。そして霧散するように、目の前の多喜子は消えた。多喜子の気持ちだけが胸に残った。悲しくて、しかし涙すらまともに流れない自分が悔しかった。私は膝を付いたまま、涙なく泣いた。
 
 ゆっくりと坂を下る。どこか遠くから風呂桶が何かに当たる音と、子供がはしゃぐ声が聞こえる。家族で風呂に入っているのだろう。静寂はもうそこにはない。気が付けば夜にも関わらず、バス停にはバスが停まっている。茶屋も全部が閉まっているわけではなかった。犬を連れた孫と同じくらいの若者が、元気な声で「こんばんは」と言いながら私の側を駆け抜けていった。時間は動き出していた。私はその中を再び、今度は多喜子の想い出と、杖をついて歩き始める。

伊勢 湊 (東京都稲城市/34歳/男性/会社員)

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