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<第4回応募作品>「二重のご縁」 著者: 火原 緑青

 その晩、電話越しで私たちは喧嘩した。
 遠距離恋愛から、ようやく側に暮らせるようになって、もう何度目になるか知れない喧嘩だ。
 喧嘩の理由は、些細なこと。
 私の機嫌が悪いから、いちいち口煩い、自分の非を認めない…私の言葉が、あの人に迷惑をかけているらしい。
 彼は進学の為、地方から東京に越してきた。不慣れな土地では心細かろうと、マメに毎週通っていたのがよくなかったのだろう…彼は夏休みに入って、その日のうちに里帰りした。
 何気なく帰りの日程を聞くと、7月の半ばから、9月頭まで丸々いないという。大学が始まるぎりぎりまで休むつもりなのだろう。
 側にいられなかった分だけ、これからは出来る限り一緒に……思っていたのは、私だけらしい。8月生まれの私と、夏休みにいられないということは、今の彼氏彼女の関係は、偽りではないかという錯覚に見舞われる。
「別れちゃいなよ」
 のろけすらこぼしたことのない私が心の声をふと漏らすと、友人たちにそう口にされる。私自身はそれを望んでいない…そう思うのだが、彼の気持ちはどうなのだろうか。
 聞けば、好きだよ、と決まり文句が帰ってくる。喧嘩中は、答えたくない、と言われる。
 ではなぜ、一緒に誕生日を祝ってくれないのだろうか。夏休みだからって、どうして丸々実家に帰らねばならないのか。

 今日幾度目になるかわからないため息をついていた。
「お客さん、どうかしたんですか?」
 深大寺の蕎麦屋のお兄さんが声をかけてくる。苦笑しながら、私は「なんでもない」と答えて、できる限り平気な顔をしてお茶をすすった。
「さては、恋の悩みで来たんですね~?」
 常連客だと知っているだろうに、そのお兄さんは笑顔を浮かべていた。
「たまたま近所だから、ここに食べに来てるだけよ」
「そうそう、どうせ近所なんですから、深大寺にお参りして、その恋を成就させちゃってみては?深大寺は、縁結びのご利益があるんですよ~」

 恋なら、実っている。……と思う。

 言葉を飲み込んで、何とか笑顔を浮かべる。
「そんなに御利益在るんなら、お兄さんと縁を結んでほしいって言ったら、できるのかしら?」
「勿論、できますよ」
 お兄さんは、屈託のない笑みを浮かべると、そそくさと奥に引っ込んで、「オレ、ちょっと休憩もらいますね~」といって、腰に巻いていたエプロンを取って出てきた。
「じゃ、行きましょうか?」
「え、どこに?」
 差し出された手を見て目を丸くしていると、お兄さんは私の手を無理やりとった。

 深大寺は何度か訪れたことがあったけれど、男性と見て回ったのは初めてだ。彼と回ったことすらない。長い付き合いなのに、なぜだろう。そんなことを考えているうちに、賽銭箱の前に立っていた。
「ほら、お祈りして下さい。五円玉と、あと二十円、かな。二重のご縁、ですよ」
 言われるがままにお賽銭を投げて、手を合わせる。

 自分は、誰との縁を結んでもらいたいのだろうか。

 目を閉じたままのため息は、お兄さんにも聞こえたらしい。肩に、大きな手が置かれた。
「自分の気持ちを誤魔化すから、ちゃんとしたお願いが出てこないんですよ」
 目を開けると、お兄さんの顔がこちらを向いていた。私は視線をあわせることができなかった。
「ねぇ、お客さん…彼氏と喧嘩でもしたんですか?」
「喧嘩なら、短い期間に結構な回数したわ」
 合わせていた手を離して、来た道を戻り始めた。
「尽くしすぎていたのかもしれないし、干渉しすぎていたのかもしれない…気がつけば、喧嘩ばかりして、些細なことが積み重なって、私、うまく笑えなくなったの」
 近くに置かれていたベンチに腰掛けると、お兄さんもそれに習って腰掛けた。私は顔を前に向けたまま、独り言のように呟いていた。
「うまく笑えないのが、辛いですか?」
「でも、彼と面白いテレビを見たり、どこかへ出かけるのは面白かったから、全く笑えなくなったわけじゃないのよ。ただ……」
「ただ?」
「遠距離から始まった恋愛が、側にいられるようになると、周りの言葉ばっかり気になって、自分の気持ちがわからなくなったの。彼の言動一つ一つが、私を利用しているんじゃないか、私が嫌いにならないって確信があるから、ぞんざいに扱われているんじゃないかって」
「本当に、そう思ったんですか?」
「わからないの」
 両手で顔を覆うと、涙を堪えるために歯を食いしばった。どう言葉にしたらいいのか、分からなかった。本当に私は彼のことを今でも好きなのだろうか。それとも、もう心は離れていて、ある種の責任感のようなもので彼と付き合っているのか。私は、声を何とか絞り出した。
「付き合った男性は何人かいたけれど、こんなに長く付き合って、深く付き合ったのも、彼だけだから…彼もそれを知っているから、彼の中にも、責任を感じている部分があるんじゃないかって、疑うようになって…」
「ずっと昔にね、好きになった人がいたんですよ」
 お兄さんは、初めて笑顔の時とは違う声を漏らした。
「その人は遠くはなれた所に住んでいたけれど、オレのこと好きでいてくれたから、ずっと手紙や電話でやり取りしてたんですよ。余裕が出来たら、逢いに行ったりもしてました。といっても、年に数えるほどですが。ある時、彼女が近くに越してきて、オレ一生懸命彼女のために時間空けて、彼女との時間を作ってました。なのに…彼女はある日、オレと別れるって言い出したんですよ」
 お兄さんは、遠くを見つめたままゆっくりと話していた。
「何で?」
「今のお客さんと全く同じ事いわれました」
 驚いた私は、目を丸くしてお兄さんの横顔を見つめた。お兄さんは、こちらを向いて、少し寂しそうに笑った。
「きっと、遠くにいる間はお互い時間のある時にしか逢わなかったんですよ。それが、側にいるからって、お互い無理しちゃったんだろうなぁ、って。そう思ったら、なんか、無理するの、馬鹿馬鹿しくなっちゃいまして。逢いに行くのも、彼女の為に何かするのも、《彼女を好きなオレの為》にしてたのに、彼女の為にしてあげているって、気がついたらそう思っていたんですよ」
 お兄さんは、いつの間にか満面の笑みを浮かべていた。私は、その笑顔を眺めることしか出来なかった。

 ほんの少し前のこと、私は彼の考えを探っていた。けれど、彼は私のことを考えているのかどうか、疑うようになってしまった。同じ考えでいてくれる人だから、例え遠くにいても付き合おうって決めたのに、私はその最初の気持ちを忘れてしまった。
 それに気がついて、私はお兄さんに問いかけた。
「ねぇ」
「ん?なんですか?」
「その彼女と、別れちゃったの?」
 お兄さんは、悪戯っぽい笑みを浮かべると、私の肩に手を置いた。
「きっと、お客さんと同じですよ」
 そういってお兄さんは立ち上がると、両腕を力いっぱい空に伸ばした。
「さぁ~て、休憩時間もそろそろ終わりかな。お客さん!」
 お兄さんは、姿勢を正して、私に向き直る。
「また、うちの蕎麦食べに来てくださいよ。そのときには、とびっきりの看板娘、紹介してあげますから!」
 そう言い手を振りながら、お兄さんはお店へと駆けていった。私はその後姿が見えなくなるまで、ずっと眺めていた。

 しばらく呆然としていたけれど、立ち上がって、賽銭箱の前に戻った。無言で手を合わせると、小さな願いを口に出した。
「二重のご縁が、ありますように」

 私と、彼と。
 お兄さんと、彼女と。

 重なり合った縁が、もう一度重なりますように。

火原 緑青(神奈川県/22才/学生)

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