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<第4回応募作品>「変わり行く季節、未来・思い」 著者: 音込深 烈

 梅雨は、まだ明けそうになかった。

「夏、か……」
 ケータイの画面を見つめながら、大規は独りだけのその場所に身を委ねる。
 七月半ば、雲の隙間から差し込む光が、吹き抜ける風が夏の香りを届ける昼下がり。
 季節を先取りしたセミの鳴き声、遠くに聞こえるお経そして太鼓の音。小さなお堂と誰かを模した像、それらを彩るこけ苔や草。
「夏になったら、何か変わんのかな……」
 ケータイを閉じて、空に向かって枝を伸ばす木々に手を伸ばす大規。
「……ま、何も変わらないんだろうけど」
 どこか諦めたような口調で言葉を漏らした大規へ、じゃり、砂利を蹴る音が届く。
「……わ。本当に、来た」
 続いて細く高い声が耳をくすぐり、思わず声の方へ顔を向ける大規。
「あの、聞いてもいいですか?」
 同い年くらいの女の子がこちらを見つめているのを認めて、身体を緊張させる大規。お堂の傍まで歩いてきた彼女の口が、三言目を紡ぐ。
「二〇八八年は、ステキな未来ですか?」
「……………………はぁ?」
 唐突に放たれた言葉に、甲高く抜けた声を上げる大規。
「あ、あれ、違いました?」
「だから、何のこと――」
 言いかけた大規の目の前で、彼女が人差し指を向ける。
「それです」
「……俺のこと?」
「ち、違います、後ろのですっ」
 振り向いた大規の目に、幾何学的な模様が刻まれた石碑と、『一九八八―二〇八八』と刻まれた金属板が映る。『未来カプセル』と命名されているそれらを指して、彼女は口を開く。
「二〇八八年って凄い遠くて、全然想像つかないじゃないですか。でも、私思うんです。きっと二〇八八年という未来はステキな未来だ、って。そしていつか、ステキな未来を伝えてくれる人が来るって、思ってたんです」
 大規は何を口にするべきか迷った。
 想像がつかないといいながら「ステキな未来だ」と言い切り、未来人が来ることを想像する彼女は、言ってしまえば『変なヤツ』。
 けれど、細く差し込む光の下で微笑む彼女に、その通りの感想を言うのは何故だかためらわれた。
「お前、面白いヤツだな」
「……わ。そんなこと言われたの、初めてです。さすが未来人さんシンキングです。私には全然理解できません」
「……せっかく表現を和らげてやったのに、お礼代わりがその言葉か」
「ふふ、冗談ですよ」
 微笑む彼女に溜息を吐く大規。身体の緊張はいつの間にか解けていた。
「……未来を想像するのって、楽しいですよね。未来の世界では、私は何にでもなれて、何でもできる。私が楽しいって思うこと、嬉しいって思うことが、世界でもやっぱり楽しいことで、嬉しいことなんです」
 大規の傍へ歩み寄った彼女が、石碑に手をかざして呟く。振り返った彼女と大規の視線が交差する。
「それって、ステキな未来ですよね」
「…………そう、かもな」
 かけられた言葉がまるで、湧水のようにすっ、としみ込んで来るのを感じながら、大規は石碑へと視線を向ける。
「すてきな未来……どんな未来なんだろうな……」
 伸ばした手にぽつ、と当たる冷たい滴。
「ん? 雨――」
 それが雨だと気づいた時には、次々と雨粒が木々を貫き、二人の身体を濡らしていく。
「やば、降ってきやがった。そこのお堂で雨宿りしよう」
 傍のお堂に駆け込む二人、すぐに雨は勢いを増し、敷き詰められた砂利を砕かんばかりに降り落ちる。
 屋根から滴る水滴が、二人の足元で弾けた。
「ったく、傘くらい持って来ればよかったか」
「大丈夫です、この雨はすぐ止みますよ」
 妙に自信ありげな様子の彼女が気になって、言葉をかける大規。
「どうして分かるんだ?」
「匂いが、違うんです。これは梅雨の長雨じゃなくて、夏の夕立だって、教えてくれるんです」
「ふぅん、匂い、ねえ……」
 試しに嗅いでみるものの、大規には彼女の言う違いはさっぱり分からなかった。
「……そういえば、お前」
「のぞみ希望です」
「うん?」
「今、私のこと呼びましたよね? お前、じゃなくて、希望(きぼう)と書いて希望(のぞみ)。それが私の名前です」
「いや、別に名前で呼ぶ必要は――」
 大規の言葉は、「名前で呼んでください」と訴えるような彼女、希望の視線に遮られる。
「……希望」
「はい! 何でしょうか?」
 名前を呼ぶ恥ずかしさの中に、笑顔を向けられたことへの喜びを噛み締めつつ、言葉を続ける。
「希望は、どうしてここに来るんだ? ほら、ここって特に何かある、ってわけでもないだろ。案内図にも載らないような場所だし」
「え? あるじゃないですか、あれが」
 希望が指差すのは『未来カプセル』。
「いや、確かにそうだけど……それだけ?」
「……あれ、私と同い年なんですよ。私と同じ年に生まれた、それだけで特別な気がしませんか?」
「ああ……なるほどな」
 彼女の言葉に納得するように頷く大規。
「何だ、俺と同じ理由だったのかよ」
「……わ。未来人さんが私と同い年なんて不思議です。何か運命を感じます」
「いつまで俺を未来人扱いしやがる……俺は大規だ。大の字に規則の規で、大規」
「大規さん……じゃあ、私からも一つ聞いていいですか?」
「え、あ、ああ、いいけど――」
「大規さんは、この夏何かが変わると思っていますか?」
「えっ……」
 大規は言葉に詰まる。「どうせ何も変わらない」と思っていたのに、希望の目の前でその言葉は言えない、言いたくない気がした。
「私は、変わると思っていますよ」
「……どうして、そう言い切れるんだ?」
 大規の問いに希望はあはっ、と笑って答える。
「分かりません!」
「分かりません、って、お前なあ――」
「いいじゃないですか、分からなくたって。変わらないと思ってれば、変わらないかもしれないし変わるかもしれません。でも、変わると思ってれば、きっと変わるんです。そういうものなんです」
 そう言い切る希望が何だかカッコよく見えて、でも素直に言うのは恥ずかしくて。
「お前、やっぱり面白いヤツだな」
「……わ。また言われました。やっぱり大規さんは未来人さんです。私の想像外のことばかり言ってくれます」
「……そうか、お前に雨に濡れる趣味があったなんて知らなかったぞ。せっかくだから叶えてやる、大人しくしやがれ――」
 苦笑しつつ振り上げた手は、希望がくしゃみをする仕草で止まる。
「っと……大丈夫か?」
「は、はい、大丈夫です……くしゅんっ!」
 大丈夫といいながら二度目のくしゃみをする希望。辺りの空気が、まるで雨が入れ換えてしまったかのように冷え切っていた。
「こんなものしかないけど、まあ、ないよりましだろ」
 言って大規は、ポケットに突っ込んでいたタオルを、希望の頭に被せる。
「あ、ありがとうございます。……わ、大規さんの匂いがします」
「そ、そっか」
「はい、とっても優しい匂いです。大規さんは優しい人です」
「そ、そんなわけねーだろ」
 希望の言葉が照れくさくて、何だかほんわりと温かくて、でもやっぱり素直に言うのは恥ずかしくて。
「お前、とんでもなく変なヤツだな」
「……未来人さんに当たり前のことを言われても、面白くないです」
「お、お前なあ……お?」
 今度こそと振り上げられた手は、飛び込んできた光の眩しさに止まる。
「ほら、晴れてきましたよ」
「……本当だ」
 お堂から降り、濡れた砂利に足を着けた二人を、夏の香りを取り戻した風が迎える。
「いい風ですね」
「そう……だな」
 頷き返す大規、再び差し込む光に目を細めて、そして一息に言葉を紡ぐ。
「何も変わらないかもしれないけど……でも、変わらないと思っているよりは、変わるかもしれないと思っている方が、楽しいかな?」
 ちらり、視線だけ希望に向ける大規。
「そうです! 絶対に楽しいです!」
 希望が返すその笑顔は、今まで見てきた中でも最高の笑顔だと、素直に思えた。

 梅雨明けが発表されたのは、それから間もなくのことであった。

音込深 烈(東京都港区/26才/男性/専門学生)

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